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◆墜落する星3


 一度アテナによって破壊された冥界には、その際に四散した魂が徐々に集められていた。
 集められたもののまだ正しく選別されていない魂も多く、また冥闘士などハーデスの僕によって記録された選別済みの魂も、輪廻の輪に乗るまではその辺りを寄るべなく漂っている。
 レテ川を越えていた者は、ほとんど生前の記憶なども抜けて大人しいものだ。女神の申し出もあり、現在は死後の魂が必要以上の罰を負うこともないため、静かに生まれ変わりの時を待つ者が大半だった。
 ごく稀に強い意志を持ち、生前の記憶と心を保ちながら冥界へ下りてくる魂もあった。各界の闘士やその候補生たち、神官などがそれだ。闘士に関しては三界の協定により地上へと戻されるが、そうでない者は通常の魂の扱いと変わらない処遇となる。

 サガは空いた時間が出来ると、そのような魂を探して歩いた。厳密に言えば、過去の自分が手にかけた聖域関係者を探した。
 探し出すこと自体は容易だった。何億という魂の中にあっても、亡者となり自我と個性を失った通常の魂と違い、わずかな意思を残す者たちは他の魂よりも強い輝きを持っている。サガの探知能力をもってすれば、夜の河原で光る石だけを拾い集めるようなものだ。
 運良く殺害相手に出会えたとき、サガは彼らに頭を下げて謝罪し、経緯とその後の聖域についての状況を話した。自分が教皇を殺してなりかわっていたこと、女神が無事に聖域へ戻りその時点で自分の悪事は暴かれ死んだこと、そして聖戦では女神が勝利し、おそらく冥王との聖戦はもう起こらないであろうことなどを。
 非業の死を遂げた者たちは、聖職にたずさわる人間だけあって生前の遺恨を引きずる者は少なかったが、それでも女神が無事に聖域に戻り世界を救った事を知ると、聖域に対する心残りや疑惑が取り除かれて安堵し、その魂はさらに輝いた。そして満足すると穏やかに輪廻の輪に入っていった。
 サガは己のしていることが自己満足であると判っていたが、それでも被害者の魂の荷が多少なりとも減る事を思えば、罪滅ぼしのためにも探さずにはいられなかった。

 そんな中で、サガはある少年をみつけた。少年と言うにはがっしりとした体格で、サガよりも背が高い。よくいる雑兵の一人であろうと思われたが、彼には見覚えがあった。ペガサスの継承を星矢と争った候補者として…そして獅子座の洗脳を解くために命を散らせた人間として。
 確か名をカシオスと言った。サガはふわりと彼の前に降りたった。
「少し話をしてもよいだろうか。お前の迷惑でなければ」
 突然現れて話しかけてきた見知らぬ美しい存在に、カシオスは驚いた。
「あんたは神の使者かなにかか?」
 彼はサガの纏う清浄な小宇宙と死の気配でそのように判断したのだが、サガは首を振った。
「いいや、わたしはサガ…かつて双子座の聖闘士であり、偽教皇として聖域に君臨していた者」
 カシオスはさらに驚いて見つめ返した。まさか十二宮で騒乱の元となり、アイオリアに幻朧魔皇拳を撃ったあの時の教皇が、このような人間であるとは思いもよらなかったのだ。
 闇の要素と分離されている今のサガは慈愛に満ちた小宇宙を持ち、正統な教皇であると名乗られても信じてしまっただろう。
 その清らかな反逆者が何故自分へ声を掛けたのか判らずカシオスは警戒したが、サガは構わず彼の前へ両手をつき、頭を下げた。
「お前は青銅聖衣の最終候補者として挙がるほどの者…にもかかわらず、その若さでわたしの謀反に巻き込まれ死に至った。詫びて許されることではないが、本当にすまなかった」
 巻き込まれたことに間違いはないのだが、カシオスは首を振った。
「オレは自分で死んだ。謝られる覚えはねえ…ですよ」
 偽教皇とはいえ、生前は聖域における至高の存在として仰いでいた相手へタメ口をきくのは躊躇われたようで、カシオスは語尾を整えた。
「しかし、お前はアテナの為に星矢の身代わりとなって」
 サガの言葉をカシオスは遮った。
「オレはアテナの為に死んだわけじゃない。星矢の為でもねえ。聖闘士としては失格だ」
「では何故…?」
「オレにとって1番大切な人の為です。オレにとってはその人が女神だった。星矢が死んで、その人が悲しむのが嫌だっただけで」

 サガは深い痛みを覚えた。殺した相手に対峙するときは常に覚える痛みであったが、その痛みに慣れることはなかった。だが、自分の目的のためにと簡単に犠牲にしてきた者たちの声を拾うことは彼の義務だ。黙ってその言葉を受け入れると胸の底へと沈めていく。
 カシオスの言葉はサガの奥底を通って、聖域に居るもうひとりの自分にも伝わっているはずだった。

(聞こえているか。わたしたちが踏みにじってきた者の言葉を。わたしたちはアテナという神のために生きる者だけでなく、人のために生きる人間も殺してしまったのだ)

 実際には女神に仕える者も、女神を通して大切な人のために働いている。ただ、黒サガにはこのように伝えた方が理解されやすい。
 しかし、その呼びかけも空洞に落ちていくかのように返答はなかった。
 サガは悄然としながら、鉛のように重い胸のうちで考えた。

(同じ自らの手による死でありながら、わたしとカシオスとでは全く違う…)

 自ら死を選んだ人間は死の神であるタナトスの支配管轄下となるが、カシオスの魂は死に縛られそうには見えなかった。彼の死はもっと高みにあった。
 サガは頭を垂れたままカシオスに尋ねた。
「何かわたしに出来る事はないか。その大切な者に伝えたい言葉などがあれば、何とかして届けようし、わたしに恨みが残るのならば、ここで晴らしてくれて構わない」
 しかし、カシオスはまた首を振った。
「シャイナさんが無事だってのなら、別に恨みとか今更どうでもいい」
 逆にカシオスは手をつくサガを見下ろして、不思議そうに尋ね返した。
「見たとこ貴方は死んでないようですが、貴方は地上に守りたい人は居ないんですか。生きる力も守る力もあるのに、何で冥界に留まっているんすか」
「…お前たちが死に逝くのに、わたしに蘇生を受ける資格があると思うか?」
 自嘲するサガへ、カシオスはやはり不思議そうに応えた。
「オレは馬鹿だから難しいことはよくわからねえけど、女神が必要としておられるなら、行くのが聖闘士じゃないかと思います」

 サガはその言葉に胸を衝かれた。そしてそのまま答えることが出来なかった。
 カシオスが行ってしまったあとも、サガは項垂れたまま何度もカシオスの言葉を反芻していた。
 額に浮かびあがったタナトスの印…五芒星がジクリと痛んだ。



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(−2007/4/21−)

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