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◆墜落する星1


 冥界はかなりの人手不足であったのだが、タナトスが使役用にと連れてきた人材には流石の冥闘士たちも目を丸くした。
 タナトスが連れてきたのは双子座の黄金聖闘士であるはずのサガ。しかもタナトスは、彼へエリシオンの一宮を貸し与え、そこに住まうことを許しているという。
 タナトスの意向であるならば口を差し挟むのは僭越と、下っ端の冥闘士たちは距離を置いているものの、相当な疑惑の対象となるのは無理からぬことであった。
 聖戦の折に十二宮でサガを見たことのある冥闘士たちは、その印象の違いにも首をかしげた。戦時であったとはいえ、あの時の双子座は覇気も小宇宙もただならぬ戦鬼のような男とみたのだが、いま目の前に居る双子座は見かけは変わらぬものの、静謐かつ清廉な空気を纏い、まるで聖人のように見える。そして、優しげな面差しの下にどことなく感じられる死の気配。
 冥界と聖域は休戦協定を結んではいるが、元敵将を自由に振舞わせることに納得のいかぬ顔ぶれや、好奇心から顔を突っ込みたがる物好きな冥闘士はサガに近づいた。
 アイアコスなどはその筆頭だ。復活を果たした後、真っ先にサガの処へやってきたのは彼だった。

「どうして聖闘士のお前がここに居るのだ」
 アイアコスの直球なもの言いが蠍座のミロを連想させて、サガは目の前の男に親近感を覚えた。無論、そのような素振りはおくびにも出さず丁寧に返事をする。
「わたしは既に死人のようなものだ…タナトスの好意によりエリシオンに留め置いていただいているゆえ、礼の一端としてわたしなりの尽力をしている。今の冥界に尽くすことは、地上の人間の死後の安らぎの為にも役立つのではないかと思い、聖闘士としての立場には関わりなく復興に携わりたいのだが、迷惑だろうか?」
 立て板に水のごとく返されて、論述の苦手なアイアコスはひるんだが、それでも負けずに返した。
「タナトス様を呼び捨てにしないでもらおうか。そもそも、お前とあのお方はどういう関係なのだ」
「関係と言われても…神と徒人、か?」
 サガは思ったままに答えたものの、この返答ではアイアコスの納得は得られないだろうと思った。
「正直に言え。関係がなくて、なぜ聖闘士ごときがエリシオン住まいを許されるのだ」
「…エリシオンにわたしを置くのは、監視目的だろうと思う」
 タナトスにとって、人間などは有用な駒でさえあれば誰でも良いのではないだろうかとサガは思っていた。今は人手不足なので、使える人間は誰でも使おうという思惑もあると考えられる。それが聖闘士ともなれば使い捨てても気に留める必要が無い。また、女神との協定上、建前としては黄金聖闘士に対して粗略な扱いも出来ないので、監視も兼ねて近場に置いているというあたりだろう。
「それはそうだろうが、聖闘士の監視など、我らにお任せ下されば良い物を…」
 いつの間にか論点をずらされていることにも気づかず、不服そうにしているアイアコスに、双子座の半身は穏やかに言葉をかけた。
「聖闘士の誇りにかけて、休戦中の冥界に不義理を働くつもりはない。君のところでも手が足りないようであれば、いつでもわたしに申し付けてくれ」
「それはまあ…助かるが」
「仕える神々のお傍に、わたしのような不穏分子が在ることで不安なことはよく判る。気を使わせて申し訳なく思う」
 すまなそうに目を伏せて詫びる儚げな風情は、白サガ独特のものだ。善の部分のみを抽出したような神聖かつ保護欲を湧かせる風情は、今まで地獄で罪人しか目にしてこなかった冥闘士には縁が無いもので、大概のばあい耐性がない。三巨頭であるアイアコスはそこまで単純ではないものの、居心地が悪そうに態度を柔らかく変化させた。
「い、いや、そのあたりの自覚があるのなら…」
 アイアコスの様子を遠くで見ていたミーノスは『懐柔されるのが早すぎますよ…』と額に手を当てて嘆息した。


 次にサガのもとを訪れたのはラダマンティスだった。
 彼はガルーダのような敵対意識は見せず、ただじっと双子座に視線を合わせた。
「何か、わたしに用だろうか」
 アイアコスに頼まれて冥界の断層で作業を行っていたサガが、優美に振り返る。サガの指先が界の傷跡から離れると、そこにはもう修復された空間しか残っていない。黄金聖闘士の一部は、次元にすら干渉出来る能力を持つが、ラダマンティスにはそれが人の分を超えた力にしか思えなかった。
「お前は何故、聖域に戻らないのだ?」
 翼竜は低く落ち着いた声で尋ねた。サガもその類の問いにはすっかり慣れているようで、直ぐに淀みない定型文が発せられた。
「わたしは既に2度死んだ身ゆえ」
 だが、ラダマンティスは更にサガへと踏み込んでいった。
「聖域では、お前の弟も待っているではないか」
 双子座の主のガラス玉のように青い瞳へ、初めて感情の色が浮かぶ。しかしそれは直ぐにかき消され、水紋のように消えていった。あくまで柔らかくサガは笑った。
「冥闘士から、身内の心配までしてもらえるとは」
 軽い揶揄にも、ラダマンティスは誤魔化されなかった。
「あの男は、俺との生死をかけた戦いの中ですら、お前と女神を優先した。お前が生き返るとなれば、顔には出さずとも1番喜ぶのはあの男の筈だが。お前は戻りたくはないのか」
「そうだな…わたしが生き返れば、弟は双子座聖衣をわたしに戻し、自由に聖域を離れる事が出来るからな」
「そういう事ではない」
「わたしが唯一弟へ残せたものが、双子座聖衣…あれがなければ、カノンはまたどこかへ贖罪の旅に出てしまう」
「だから押し付けるのか。あの男は聖衣を『不要のもの』と言い切ったぞ」
「…知っている。だが、カノンは黄金聖闘士だ」
「勝手な理屈だ」
 わずかに怒気を押し殺しているラダマンティスに、淡々と言葉を交わしていたサガが不思議そうな顔をした。沸いた疑問をそのまま翼竜へとぶつける。
「わたしも聞きたい。冥闘士であるお前が何故、カノンを気にかけてくれるのだろうか?」
「それは…」
 しばし言葉を詰まらせたものの、翼竜ははっきりと答えた。
「あの男ほどの優秀な戦士が、つまらん私事に振り回されているのが見苦しいからだ」
 ラダマンティスが本気でそう思っているようなので、サガもそれ以上の言葉は差し控えた。再び意思を沈め、ただのガラス玉にもどった瞳で翼竜へ微笑む。
「冥界の三巨頭であるお前から、それだけの評価を受ける程に、カノンは聖戦で役立ったのだな」
 しかし、その笑顔はよけいラダマンティスを苛立たせただけだった。
「カノンと同じ顔で、二度とその壊れた笑顔を俺に向けるな」
 サガが何か言う前に、翼竜はバサリと冥衣の翼を翻すとその場を立ち去った。


 サガは何事も無かったように次の作業へと取り掛かった。肉体を持ったまま冥衣の力によって冥界に滞在する冥闘士たちと違い、魂のみで存在するサガにとって、肉体の疲れに当たるものは小宇宙の疲弊だった。だが、死の神の寵愛を受け、その強大な小宇宙の一端を受け入れた彼にとって、休息は当面必要ない。
 ただ、タナトスの小宇宙の侵食により、黒サガと自分の小宇宙が地上から引き剥がされていくのは感じられた。完全に生者の世界から小宇宙が分かたれた時、再び死が訪れるのだろう。
 額に手を当てると、そこに薄くタナトスの印である五芒星が浮き出てくる。
「あと、どのくらい我慢すれば、この命が尽きるのだろうか」
 サガはぽつりと呟いた。
 地上から僅かに届く女神の小宇宙を振り払うかのように、彼はただひたすら自身の消滅を願った。


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(−2007/2/13−)

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