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◆燃え落ちる世界8


 今度は事前に電話でアポイントメントを取り、約束どおり星矢を連れて星の子学園を訪れたサガは、以前にも増して美穂や子供たちの歓待を受ける事になった。
「ちょ、こら、お前ら!飛びつくな!」
 星矢の方は、群がりまとわり付く子供たちを腕や腰へ引きずるようにぶらさげているのに比べて、サガの方は穏やかにひとりひとり抱き上げて笑みかけている。サガの子供あしらいが上手いというより、子供達がサガを天使様扱いして無闇に飛びつかないのだ。みな宝物に触れるように近付き、それでいて遠巻きではなく親愛の視線を向けている。
 病み上がりであるサガの身体の負担を心配していた星矢だったが、これならば大丈夫そうだと内心胸をなでおろした。
 喧騒が落ち着いた頃、ようやく星矢は子供達から死守した土産の菓子を美穂へ手渡すことが出来た。
「いらっしゃい、星矢ちゃん、サガさん」
 二人の様子を微笑ましく見守っていた彼女は、子供達を部屋から出して改めて挨拶をしたあと、またくすりと笑った。
「なんだよ美穂ちゃん」
「ごめんなさい、お友達のサガさんは落ち着いているのに、星矢ちゃんは相変わらずなのねって」
「サガの落ち着きと比べられたら、誰だって分が悪いぞ」
 実際、サガと星矢は同い年に見えるが、実年齢は15歳も離れているのだ。教皇職をもこなしていたサガと自分では、風格に差がでるのが当たり前だと星矢は思っている。その差は僻みを生むものではなかった。サガが褒められるのはむしろ嬉しかった。
(本来ならば、はるか雲の上の存在なんだよなあ)
 星矢は星矢で、聖戦の立役者でもあり、神聖衣をも纏える特別な存在であるという自覚が全く無い。
 彼の中で黄金聖闘士たちは今でも頭の上がらぬ大先輩たちであり、なかでもサガは誰より強く優しい憧れの存在なのだ。
(そのサガと友達扱いなんて、聖域では考えられな…)
 思考の途中ではっと気づき、美穂の発言を脳内で反復して青ざめる。いま彼女は『お友達のサガさん』と言わなかったか?
 慌てて星矢は美穂へ訂正を入れた。
「いや、友達じゃないんだ」
 過去の大罪人であるとはいえ、教皇まで勤めた彼を友達扱い出来るような人間は、聖域にもそうはいないだろう。サガに厳罰を求める古参の神官たちですら、彼への敬意は忘れないのだ。星矢はサガのことを畏れ多いというようには思わなかったが、サガの側が気を悪くするのではないかと、それが気になった。
 サガの方を振り返ると、いまの言葉に反応したのか、じっとこちらを見ている。星矢はますます慌てた。
(やっぱり、気を悪くしたかな。サガはけじめに厳しい人だとアイオリアが前に言ってたっけ。どうしよう)
 星矢が懸念するなか、サガの唇から柔らかく低い声が零れる。
「…星矢のいうとおり、わたしは友達などではない…」
 覚悟していた台詞であったというのに、それを聞いた星矢の胸は何故かチクリと痛んだ。
 しかし、続けられたのは予想外の言葉だ。
「わたしは唯のゴクツブシの居候ゆえ…星矢はわたしの監視役なのだ…」
 星矢はぽかんと口をあけた。ギリシア人がゴクツブシなどという言葉をどこで覚えたのだろうという疑問は横へ置く。サガは遠慮がちに微笑んでいたが、どこかしょんぼりしているようにも見える。
 聞いている美穂のほうは、聖域の常識だの人間関係を知る由もない。それゆえに、遠慮なくものを言った。
「星矢ちゃん、失礼よ」
「そ、そうじゃなくて、サガは上司で、大先輩で、とにかくその、凄く世話になった人で…」
 奇しくも、先日サガが美穂に説明しようとした言葉と同じ内容になっている。
「とにかく凄く大事なひとで、ゴクツブシなんかじゃないから!」
 先ほど以上に慌てている星矢に対し、サガがまだ馴れぬ日本語で呟く。
「…友達だと思っても良いのか?」
「もちろん!」
「図々しい言い分であることは判っている…それでも、もし許されるのならば、星矢からは『大事なひと』ではなく『友達』として見て欲しい」
 直接的な言い回しは、サガらしからぬものだった。外国語だからということ以上に、己の願いをそのまま他人に伝える術において、サガは不器用だったのだ。
「わたしにとって、アテナやアイオロスは大事なひとだ…だが遠い。星矢には近くにいて欲しい」
 美しい顔に真っ直ぐ乞われて、星矢はそれこそ動揺した。サガのような男に「近くにいて欲しい」などと言われて平静を保てるものがいるだろうか。
(こ、このひと、本当に自覚なく罪作りだ…!)
 思わず心の中で叫ぶ。
 隣では美穂がサガに同意して頷いていた。星矢に対して恋人であるより幼馴染であることを選んだ彼女には、色々共感するところもあるのだろう。すっかりサガの味方のようだ。
「…いやか?」
 空色の瞳が揺れて星矢を見つめる。星矢は降参の苦笑をみせた。
「わかったよ、サガ」
 そのとたん、ぱあっと明るくなったサガの表情は、とても黄金聖闘士として聖域にあるときの彼と同一には思えない。
「だけど、卑下禁止の約束を破ったな?」
「居候なのは卑下ではなく事実だ」
「言っておくけどあそこの家賃、サガの給料からちゃんと差し引かれているぞ。売却寸前の社員寮だから格安だけど」
「そうなのか?しかし働いてもいないのに給与など」
「あの13年間、全然聖域からお金を受け取ってなかったんだって?沙織さんがそれを知って、まとまったお金をサガ名義で用意したんだよ」
「う、受け取れるはずがあるまい…!」
 今度はサガが慌てている。
 空気が和んだタイミングを見計らい、美穂がにこりとお菓子の箱を見せる。
「落ち着いたところで、頂いたお土産を一緒に食べましょう。お茶を入れてきますね」
 そう言われて初めて、来訪早々美穂に気を遣わせたことに気づいたサガは、真っ赤になりながらも用意の手伝いを申し出た。


 茶を飲みながらひとしきり想い出話などで盛り上がったあと、星矢とサガは本格的に施設の手伝いをした。先日だけでは対処できなかった建物の修繕や、掃除の続き、一角に作られた野菜園の世話、食材の買出しなど、することは山ほどあった。サガはある程度大きな子供達を集めると、彼らに出来そうな仕事を与えた。その采配は巧みで、子供達は誰一人として嫌がることはなく、楽しそうに手伝い始める。それには美穂が感嘆した。
「サガさんて、保父の才能がありますよ」
「才能など…どの子もいい子ばかりだ。ここでの教育が良いのだろう」
「いつもなら面倒臭がって逃げる子まで張り切っているんです。みんなサガさんに褒めて欲しくて頑張ってるみたい」
 本当に、と聞いていた星矢は思った。
 サガには彼のために働きたいと思わせる何かがある。サガもまた無心に人々へ尽くす。これが本来の彼の姿なのだろう。反乱を起こす前のサガは、近隣の村々でとても慕われていたと聞く。偽教皇となったあとも、サガは貧しい村への慰問だけは欠かさなかった。外へ出て正体のばれる危険が高まるリスクを冒してもだ。
(償いとしてでなく、サガ自身の望みとして、人のために働かせてあげたいな…)
 しかし、聖域でそれを望む事は難しい。何よりサガ自身が今の生を贖罪のためと決め付けているフシがある。今後、聖域でサガがどんなに頑張ろうと、周囲は贖罪のためとみなすだろうし、サガもそう考えるだろう。それがサガ本来の優しさによるものだとは気づかずに。
(サガがこんなにいい奴だってことを、もっと聖域の皆にも知って欲しいのに)
 何だか少し悔しくなって、星矢は床を見た。
 黒サガの執政の一面にしか触れた事がなく、未だに双子座の事を悪く言っている者たちとて、本当のサガを知れば誤解も吹き飛ぶと思うのだ。思うのだが、今のサガを聖域に連れて行くのはまだ早い。
 それに、もしサガが元気になって聖域に戻ったとして、サガを守りつつ聖域の皆に馴染ませていく役目は、多分カノンとアイオロスだろうし…
(あれ?)
 系統の違う悔しさが混じったような気がして、星矢は首を傾げる。
 けれども、星矢が自覚する前に美穂とサガの両者から声が掛かった。
「どうしたの、星矢ちゃん」
「地面を見たまま、ぼーっとしていたが…もう疲れたのだろうか」
 心配そうにこちらを見た二人へ笑顔を作り、なんでもないのだと示す。
「いや、ちょっと考え事してただけ!この廃材向こうに片付けてくるな!」
 明るく答えて走り去った星矢の背中を、サガが信頼の篭った視線で見送っていた。


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(−2010/1/9−)