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◆燃え落ちる世界7


「つまり、サガは見つかったが居所は明かせない…そういう報告かな?」
 聖域の最深部である教皇の間で、星矢の返却した射手座の聖衣箱を横に、アイオロスはにっこりと微笑んだ。その隣ではサガの弟であるカノンが、やはり物騒な笑みを浮かべている。
 星矢は負けぬように笑顔をみせたものの、どうも分が悪いよなあと内心でひとりごちた。脳裏には蛇二匹に睨まれた小さなカエルの図が浮かんでいる。
「事と次第によっては、脱走罪を適用すると話した筈だが」
 次期教皇が笑顔のまま物騒なことを言う。星矢は慌てて答えた。
「女神の許可はとってるよ」
 アイオロスは目をぱちりとさせ、それから獲物を目の前にした肉食獣のような表情を浮かべた。
「なるほど、先手を打たれたね…それでは強制的に連れ戻すことは出来ないな」
 語調が穏やかな分、後ろに浮かぶ小宇宙が怖い。星矢の背に冷や汗が流れた。
「アイオロス、まだるっこしいからコイツを絞めて吐かせようぜ」
 カノンが更に物騒なことを言っている。
 肉体年齢上の歳は並んだものの、星矢はまだまだこの二人に適う気はしなかった。
 このままアイオロスとカノンに追求されると、根が正直な星矢では到底太刀打ちできない。
「ごめん、サガはちゃんと面倒みるから!」
 星矢は叫ぶと、その場から脱兎のごとく逃げ出した。


 その頃、サガは日本にいた。
 住まいは予定していたヨットハウスではなく、グラード財団系列企業所有の元社宅マンションだ。売却予定の物件であったため、現在住んでいる者は誰も居ない。相談を受けた女神がサガの体調を気遣い、まかないの家政婦つきで用意してくれたのだった。星矢のヨットハウスではすぐに足が付くとの配慮でもある。
 家政婦は住み込みではなく、仕事が済むと帰っていく。おかげでサガは充分に自分の時間を堪能することができた。
 ある程度身体を動かすことが出来るようになると、サガは近所を散策することによってリハビリを兼ねた。
 日本の景色は物珍しく、全てが新鮮だった。回復につれて散策の範囲を広げていくと、それほど遠くない場所に星の子学園があることも知れた。興味半分にその場所へ向かい、中を覗いてみると、なるほど子供たちが元気に駆け回っている。
 幼いといえど、聖域であれば既に厳しい修行をつんでいる年齢だ。明るく遊ぶ子供たちの顔を見て、サガは眩しそうに目を細めた。少なくともこの子らは戦にかり出されることはない。
 施設で働いているらしき若い女性がサガに気づき、声をかけてきた。
「何かご用ですか?」
 警戒心もあるだろうに、近隣者へかけるような親しみの篭った声だ。
 得体の知れぬ外国人が門の外にじっと立っていたら、かなり怪しいだろうなとサガは自分を省みる。
 声をかけた女性…美穂のほうは、サガの容姿を見て天使のようだという感想を持ったものの、それは花を見て美しいと思うのと同じ感覚だった。同年齢の女性にありがちな、見た目の美しさだけに憧れたり捕らわれたりするようなミーハーさと、彼女は縁遠い。親の居ない美穂は早くから施設で働き、人を見る目を養うだけの経験と苦労を積んでいる。
 サガは内心でこの女性に少し好意を持った。サガと初めて会う者は、大抵の場合平常心を保てず極度に緊張するか、容姿と力を神のようだと讃えるか、嫉妬の目を向けるか(これは男性に多い)、とにかく普通に扱ってくれる者はまれだ。しっかりした女性なのだなというのが、サガの側の第一印象だった。
「不躾に覗いてすまない。わたしは星矢の知人だ。この場所のことを彼から聞いて」
 発音が微妙にたどたどしい日本語で答えると、美穂は目を見開いた。
「もしかして、聖域とかいう場所のかた?」
 美穂は『日本人でない星矢の知人=聖域の人』という見当をつけただけなのだが、日本でまさか一般人からサンクチュアリの名が出されるとは思っていないサガは驚いた。しかしすぐに、星矢の縁の者ならば彼から話を聞くこともあるだろうと思いなおす。
「そうだった…というのが正解だろうか。わたしはそこから逃げてきた身なので」
 星矢の知人へ嘘を付く気にもなれず、馬鹿正直に答えると、意外なことに美穂の表情が柔らかくなった。
「良かった。聖域の人だったら追い返しちゃうところだった。星矢ちゃんの知り合いなら大歓迎です。中へどうぞ、お茶でも用意しますね」
 不思議な反応に首をひねりつつ、頭を下げてから門を通る。
「私は美穂と言います。星矢ちゃんとはこの施設で一緒に育った幼馴染なんですけど、星矢ちゃんは連絡不精だから、たまに電話をくれるくらいで、ちっとも顔をみせないんですよ。怒っといてくれます?」
 そう言いながらも本気で怒っている様子ではなく、明るく優しそうな美穂に対して、サガはますます好感を持った。
「わたしの名はサガ。星矢の先輩というか、同僚というか、恩を受けた者というか…世話になっている者だ」
 自分も名乗り返し、己の立場についてどの表現が日本語として最も相応しいのか悩む。それらしき単語を並べていくと美穂が笑い出した。
「それ、友達でいいんじゃないでしょうか?」
 現状、サガの見た目は星矢と同年齢だ。彼との関係を友達かと問われるとかなり異なるが、訂正すべきか悩んだのは少しだけで、結局サガはその勘違いに甘えることにした。
 星矢の幼馴染から星矢の友人と思われることは、何故か心地よかったのだ。
「君は聖域が嫌いなのだろうか」
 気さくに接してくる美穂につられて尋ねると、美穂は可愛らしく舌を出した。
「気を悪くしたらごめんなさい。私、聖域とか女神とか好きじゃないんです。世界のためにとても頑張ってるのは知っているんですけど、そのために星矢ちゃんの兄弟はみんな連れて行かれちゃったし、星矢ちゃんだって大怪我ばっかり。選ばれた強い人たちが弱い人のために戦うっていうけど、じゃあ選ばれなかった人は?残された人は?って思ってしまって」
 そこだけは星矢ちゃんと意見が合わなくて、よく口喧嘩するんですと美穂は笑った。
 聖域に育ったサガは、かつて双子の弟の存在を秘密とする決定に不満を抱きつつも、はっきりとそれを口にすることは出来なかった。そのような思いを浮かばせる自分を単純に恥じ、女神への疑問をもつこともそれ自体罪であると己の奥底に封じていた。そのような価値観しか知らなかったのだ。
 その価値観の正否は別として、異国の地では多様な価値観を持つものがいるという当たり前のことに、サガは感動を覚えた。
 ここは日本なのだと、その時サガは実感した。

 職員用の小さな部屋にサガを案内すると、美穂は給湯室へお茶を取りに席を外した。
 それと入れ替わるように施設の子供たちが集まってきて、入り口から隠れるように中を覗いている。あまり外国の人間をみたことがないのだろう。小さな子供が恐る恐る近づいてきて、物珍しげにサガの銀髪を掴もうとすると、比較的年長の子が慌てて駆け寄り、それを制して謝った。サガが気にしていないと笑顔で返すと、安心したのか子供たちがわっとサガを取り囲んで、次々に質問を浴びせたり遊びに誘ったりし始めたので、一気に喧しくなった。サガは子供好きされるところがあり、それは日本でも変わらなかった。
(遠い昔に聖域で、こうして後輩や子供たちの面倒を見たこともあった)
 まだ何の憂いもなく、己の中の影も知らずにいた頃のことを思い出し、サガは一番手前にいた子供の頭をそっと撫でる。あの頃、面倒を見るということはすなわち、その命や身体に責任を持つという事でもあった。無論それは年長者として日本でも変わらぬ責だろうが、聖域ではそれに加えて、子供たちが過酷な修行で死なぬよう、怪我をせぬよう、そして逃げ出さぬように使命を説き、戦闘のための身体作りをサポートする…そういう義務があった。そして、それでも生き残る子供は少なかった。
 何の目的もなくただ子供たちと遊ぶということを、サガはしたことがない。唯一遊んだと言えるとしたら、同い年のカノンとだけ。それも、まだ聖闘士の修行に入る前の、記憶も朧げな遠い遠い過去の話だ。
「おにいちゃん、どうしたの?」
 声をかけられてハッと気づく。
「すまない、何でもないのだよ」
 サガは気づかぬうちに溢れた涙を慌てて拭った。

 美穂が戻ると子供たちは部屋を追い出され、話題は星矢のことになった。
 星矢がサガの脱走を助け、匿ってくれていることを話すと、美穂は自分も協力すると言ってくれた。
「星矢ちゃんて昔から、困ってる人をほうっておけない性格なんですよね」
「星矢らしいな」
「あっ、でも小さな頃は悪ガキだったんですよ。スカートをめくったり、虫を持ってきて泣かせたり」
「それは女性の扱いを判っていない」
「そのくせモテるんです。全くもう」
 美穂は日本茶の入った湯飲みを手に持ち、口をつけて一息ついた。
「昔からモテていたのか」
「実を言うと私も好きだったんです。でも今は幼馴染のままで良かったなって。うっかりセイントなんて仕事してる人を恋人にしていたら、心配で心配で待ってる間に病気になっちゃいますよね…って、星矢ちゃん、今もモテてます?」
「女性にも男性にもモテている」
 サガがこくりと頷くと、美穂は『やっぱり』と真面目な顔を作って一緒に頷き、それから顔を見合わせて二人で笑った。

 ひとしきり歓談をしたあと、サガは星矢の言葉を思い出して施設の手伝いを申し出た。美穂は少し驚いたものの、男手が必要という星矢の言葉に嘘はなかったようで、恐縮しながらもいくつかの力仕事を頼んできた。
 まずは重い荷物の積まれた物置の掃除であったが、運び出しはあっという間に済んだ(サガがこっそり念動力と転移能力をつかい、中の荷物をいっぺんに外へ出したせいだ)。時間がかかったのは掃除のほうで、綺麗好きのサガがあまりに細部まで雑巾で磨き上げようとするのを
「も、物置なのでそこまで丁寧にしなくても大丈夫ですから」
と美穂が声をかけて止めたほどだった。
 家具の移動や庭仕事などでも優秀なところと不器用なところを見せたサガは、夕方にはすっかり感謝されて、帰りがけにはお土産まで持たされていた。次は星矢をつれて手伝いに来ると伝えると、美穂と園児たちは喜んだ。
 手を振る子供たちに見送られながら、サガはことのほか癒された自分に気づき、胸にそっと手を当てた。


 マンションに帰り着くと、部屋には灯りがついていた。
「星矢?」
 急いで部屋へ飛び込むと、予想通り星矢がソファーに座っていて、よっと片手で挨拶をしてくる。
「おかえりサガ、随分遠出してたみたいだけど、身体は平気なのかな」
 今日の出来事を星矢に話したいと思っていたサガは、タイミングよく会えたことが嬉しくて、ただいまの挨拶もそこそこに土産を星矢の前に置き、自分も隣へと腰を下ろした。
「もうほとんど問題はない。今日は星の子学園へ行ってきたのだ」
「よく場所が判ったなあ。みんな元気にしていた?」
「お前が連絡不精だと美穂さんが言っていたぞ」
「うわ、そんなことまで話したんだ」
 星矢がさっそく土産の包みを開く。なんの変哲もない近所販売の饅頭だったが、サガは大事そうに箱からそれを取り出して星矢に渡した。
「次はお前を連れて行くと約束した。一緒に来てくれるな」
「判ったよ。でもサガのことはオレが紹介しようと思ってたのになあ。一人で行って、よく怪しまれなかったな」
 星矢が饅頭にぱくりと食いついている。
「…やはりわたしは怪しいか?」
「怪しいというか、日本では凄く目立つと思う」
「ではお前の名が効いたのだろう。聖域での知り合いと判ると中に入れてくれた」
 それを聞くと、星矢はむせた。
「美穂ちゃん、いい子なんだけど聖域嫌いなんだよ。何か言われたろ」
「ああ、それは聞いたが、わたしは脱走した者だと話したら扱いが良くなった」
「そこまで話したんだ!?初対面でどんだけ話し込んだんだよ…あっ」
 星矢が気づいたように声を上げる
「サガ、それなんだけど、一応脱走扱いにはなってないよ」
「どういうことだ?」
 いくら女神のとりなしがあろうと、己のしたことはどう考えても脱走に他ならない。
 不思議そうな顔をするサガへ星矢は説明した。
「脱走扱いだと、ほら…カノンとアイオロスがどんな手を使っても探して連れ戻しに来るだろ」
「……」
「今も多分探してるんだろうケド、女神公認の休暇ってことなら強硬手段は取らないだろうと思って、それで押し通してる。実際、嘘じゃないし」
「…ありがとう、星矢」
 神妙な顔になって頭を下げるサガを見て、慌てて星矢が顔を上げさせる。
「そんな大した事じゃないから気にするなって。あと、あの二人にサガの面倒を責任もってみるって約束したから、オレも当分ここに住むよ。元々ヨットハウスで一緒に住む予定だったし、いいよな?」
 そう言った後、返事の代わりに突然サガに抱きしめられた星矢は、訳もわからず目を白黒させることになったのだった。


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(−2008/5/8−)