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◆燃え落ちる世界6


 乾いた岩肌の上に、サガは転がっていた。
 横になっていると言うよりも、ただ物体としてそこにあった。目は開いていたものの、映る景色には特に感慨も覚えていない。
 (聖域から、遠く離れる事が出来た)
 空間を把握する能力で、ただサガはそう判断した。

 彼の得意とする異次元経由のテレポートは、加減を損なうと別次元に嵌ることもある。しかし、体力も万全ではない状態の長距離移動でありながら、彼は最初から成功を確信していた。
 彼は注意深く、転移先をシードラゴンの制海権エリアから離れた場所に選んでいた。そして、空間を跳ぶだけでなく、次元を通るさなかにカノンとの同調を切った。そうするともう、互いがどこにいるか感じ取る事も出来なくなる。昔、スニオン岬からカノンが抜け出したとき、カノンはそうしてサガの目をくらませたのだ。
(あの時の別離の痛みに比べれば、ただ距離を置くだけの別れなど、痛みのうちにも入らない)
 サガはそう考えた。ここはギリシアから遠く離れた異国の地。女神の威光もアイオロスの小宇宙も簡単には届かない。体力の回復を待って潜伏してしまえば、あの二人が自分を見つけ出す事は難しいだろう。
 辺りは薄暗く、空には既にうっすらと星が浮かんで見えた。長年にわたり偽教皇をしていた習慣で、つい占星しようとした自分に気づき、サガは目を閉ざした。いろんな事が馬鹿馬鹿しくなった。
(何も、策を弄さずとも、生きたまま隠れる必要はないのではないか)
 このまま消耗に任せて、冥界に戻るという選択肢もあるということに、彼は気づいていた。
(生きて償うといったところで、一体どれほどのことが出来るというのだろう。一度零れた水を盆に戻す事など、神にも出来はしない。何より、わたしが生きていたいと、それほど思わない)
 聖域には充分に育った青銅聖闘士たちがいる。蘇生された仲間たちもいる。
 アイオロスという次期教皇がいて、海界との橋渡しとなるであろうカノンもいる。
 そこに、自分というパーツは不要であろうとサガは思う。
(世界はわたしを必要としない)
 サガはそう決断づけると、疲れから意識を閉ざした。


 そのころ星矢は射手座の聖衣を纏い、カノンが兄をトレース出来た最終地点の上空1200m地点から地上を見下ろしていた。サジタリアスの聖衣は光速の移動に向いているからと、アイオロスが星矢に貸し出したものだ。
「まったくサガは無茶なんだから…」
 目を瞑り、サガの小宇宙を探してみたものの、カノンですら追いきれなかった双子座の気配を星矢が捉えられる筈もなく。少しの努力のあと、星矢は遣りかたを変える事にした。
 今度は自分の小宇宙を静かに燃やす。そして、それに呼応する反応を探した。
 サガの身体には、星矢が治療の足しにと注ぎ込んだペガサスの小宇宙が残留している筈だった。
 それは気は心という程度の補足であり、ヒーリングとしては大して役に立っていなかったが、サガが己の小宇宙を完璧に隠している今、サガの位置にはペガサスの小宇宙のみが浮かび上がる。
 ほんのわずかな光点とはいえ、成長した星矢が自分の小宇宙を捉えるのに時間はかからなかった。
 アイオロスもカノンも、まさか星矢がサガにそのような措置を施していたとは思わなかったので、そういった探索手段は想定のほかだったのだろう。気づかなかったのは無理もない。
 知っていたとしたら、彼らは笑顔で星矢に嫌味の一つや二つ向けていたに違いなかったが。
「見つけた」
 星矢はにこりと笑うと、射手座の翼を広げてその地点へ飛んだ。

 サガが倒れているのは、四方に密林の広がる中そびえたつ高山の、乾いた岩の上だった。
 地理的にも宗教的にも聖域の影響下から遠い国であることを、星矢は月明かりの上空から確認して苦笑した。聖衣の翼で風を切るように急降下し、地面の手前で速度を殺すとふわりとサガの傍に降り立つ。
 サガは憔悴した顔で目を閉ざしており、星矢が近づいても目を覚ます事はなかった。
 常であれば、彼ほどの聖闘士が星矢の接近に気づかぬはずはない。それだけ消耗している状態が伺えて、星矢は心配そうに顔を覗き込む。そこまで近づいて、やっとサガがパチリと目を開いた。
 サガは星矢の顔を見たとたんに、悲しそうな顔をした。逃亡の失敗を悟ったのだろう。
 彼はゆっくり視線を逸らせた。肩をすくめて星矢は隣へと腰を下ろす。
 ひゅうと高山特有の風の音が聞こえた。
「サガ、そんなにあの二人に会いたくないのか?」
 優しく星矢が声をかける。サガは黙ったままだ。
「アイオロスとカノンが嫌なのか」
 ぎゅっとサガが瞳を閉ざしたのをみて、星矢は問いへの否定を読み取った。
 アイオロスとカノンと、サガとの間に何があるのかを星矢は知らない。
 それでも、とても強い心を持つサガが子供のように逃げたのを見て、彼らへ対するサガの想いの深さに気づいたのだった。
「二人とも、とても怒っていたよ」
 心配していたとも、傷ついていたとも言わないでおく。前者は言わずもがなであり、後者はサガをも傷つける言葉だからだ。
 サガがびくりと震えた。星矢は手を伸ばし、刺激しないように肩へ触れた。
 たとえ布越しであっても、優れた聖闘士の超感覚は、相手の体温の低下を感じ取る事が出来る。
 星矢は不器用に自身の小宇宙をサガへ注いだ。相変わらずヒーリングとしては殆ど役に立たないレベルだが、それでも何もしないよりは全くマシだった。
 サガは目を開いたものの黙ったまま、何か言いたげに星矢を見返している。
 敢えて言葉を促さずに、そのまま小宇宙を渡していると、接触している箇所からサガの思念が流れ込んできた。
(見逃してくれないか)
 どうやら戻る気は全く無いらしい。このまま無理に連れ帰っても、またどこかへ行ってしまおうとするだろう。
 星矢は思案をめぐらせた。サガが何から逃げたがっているのか、まず知る必要がある。
「どうして?」
 主語も何もない言葉だったが、聡いサガは星矢の問わんとするところを正確に読み取ったようだ。
(わたしは、一人でいるのが、誰にとってもよいことだから)
 本気でそう思っているらしきサガの返答を聞いて、星矢は内心溜息をついた。これではカノンもアイオロスも苦労するわけだ。
 サガの意思は確固たる決意に満ちていて、簡単には覆せそうにない。
 悲しい拒絶だと星矢は思った。
「誰にも所在すら知らせないと言うのは、脱走だと思われるよ、サガ」
 まずは遠いところから外堀を埋めようとしてみる。
(構わない。わたしのことは放っておいてくれ)
 取り付くしまもない。
「でも、サガがいなくなったら、沙織さんも悲しむ」
 仕方がないので、手っ取り早く最終兵器の名前を使う事にして様子をみた。
 『死んだら』とは直接的過ぎて言えなかったが、これまたサガは正確に意図を読みとり、ぐっと詰まっている。ここで死ぬ事は、蘇生を行なってくれた女神を裏切る事だと気づいたのだろう。
(……女神には、所在を知らせる)
 不承不承といった面持ちで伝えられた意思に星矢は安堵した。これで最大の懸念であるサガの死は避けられたことになる。突破口をみつけて、星矢はたたみかけた。
「アテナには知らせる気があるんだ?」
 今度はサガから応えが返るのに時間がかかった。 
「女神がイヤなんじゃなくて、あの二人や聖域から離れたいのかな?」
 詰問調にならぬよう心がけた声色で尋ねると、ようやくサガがぽつりと反応した。
(そのようなわけでは…)
「じゃあ、何」
 じっと答えを待つ星矢に観念したのか、サガが小さく言葉で呟く。
「わたしは、誰かをたのむ自分の弱さが、許せないのだ」

 大切な者の前で揺らぐ心を弱さと呼ぶサガへの反論を、星矢はいくらでも持っていた。
 けれども、今それを言ったところで、サガに上手く伝えられるか判らなかったし、サガの側にそれを受け入れる余裕もまだ無いようにみえる。
 アイオロスやカノンに伝えたとおり、サガに必要なのはじっくりと一人で考える時間だと星矢は思った。
 ただ、本当に独りにすることは心配であると言う先輩二人の言い分も充分理解できた。こんなサガでは放っておけない。
 星矢は思案の上、サガに提案をしてみた。
「なあサガ、日本にオレと来ない?」
 唐突な誘いに、サガの目が丸く見開かれる。そういう表情をすると、サガも結構子供のようにみえるなあと星矢は頭の片隅で思った。
「沙織さんが日本の城戸邸にいるときに、オレが住んでるヨットハウスがあってさ…そこなら沙織さんも知ってるし」
 せめて身体が治るまでの療養期間だけでも、と付け加える。
 いくら黄金聖闘士とはいえ、こんな場所で野ざらしのまま小宇宙も無しに転がっていては、回復前にハゲタカに突かれる予感がする。
(聖域に戻れと、言わないのか?)
 サガが驚きと、多少の警戒を篭めた思念で尋ねた。
「う〜ん…サガの意思を無視して連れ帰ってもしょうがないだろ」
 連れ帰ったら、アイオロスとカノンに閉じ込められそうだし、と少しだけ思う。あの二人は決して間違ってはいないけれど、出来ればサガ自身の意思で聖域に戻らせたいなと星矢は考えていた。
 サガは透き通った青い瞳で、星矢をじっと見た。
(何故そこまで、親切にしてくれるのだ)
 あまりに真剣な顔をサガがしているので、星矢は逆におかしくなった。
「オレはサガが教皇だった頃の事、覚えているよ。偽教皇ではあったけど、アンタは村人達に優しくするのに、理由なんてつけなかったぞ」
 助けを必要とする誰かに手を差し伸べるのは、当たり前のことだと言外に含ませる。
 サガは暫く黙ってから、また呟いた。
「お前は忙しいはずだ。わたしをそこへ残して、またどこかへ行ってしまうのだろう」
 今度はサガの言っている意味がわからず、星矢は首をかしげた。
「それは任務もあるし、姉さんのとこにもたまには顔を出すし、常駐というわけにはいかないかもしれないけど、サガがいるのに放置したりしないぞ?」
「本当か?」
「本当だってば。任務が終わったらちゃんと様子を見に帰るから」
それはそれで、港の女のようだ…
 最後のサガの呟きには気づかず、星矢は不意に思い出して手を叩いた。
「そうだ!日本でオレの幼馴染が働いている星の子学園っていう孤児院…児童養護施設があってさ、男手が足りなくて困ってたんだ。体調が戻ったら、少し力を貸してやってくれないか。そうすればオレが居ない昼間もヒマってことはなくなるだろ?」
 何だかどんどん転がっていく話に、サガが目を白黒させている。
 しかし、サガは基本的に必要とされる事に弱かった。そして認めた相手からの押しにも弱かった。
 また、行くあてもなく彷徨うよりは、当面そこで世話になるほうが現実的であるようにも思えたのだろう。
「弟と、次期教皇に黙っていてくれるのなら」
 それがサガの返事だった。
「…嫌なら言わないケド、すぐ気づくと思うぞ?」
「気づいても、お前の家ならお前の許可がなければ入れない」
「ま、まあ、日本ならそうだな」
 聖域における聖闘士の住まいは共同区のようなもので、教皇の管轄下にある。しかし、日本の住居では当然日本の法律が適用されるという事を、サガは言っているのだ。それをアイオロスとカノンが守るかはともかく。

 自分で言い出したものの、凄く二人に恨まれそうな気がすると星矢が遠い目になるなか、最終的にサガは誘いに頷いたのだった。


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(−2008/1/20−)

駄目大人サガ。外国(日本)で普通に暮らすサガは微笑ましい気がするココロ