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◆燃え落ちる世界5


 食事を終えたサガは、星矢が洗い場で食器を片付けている音を聞きながら、ぼんやり先ほどの会話を思い出していた。
(カノンが、海界へ行ってしまった)
 目覚めて最初に弟のことを聞いた時には、てっきり聖闘士としての任務で一時的に海界へ行ったものだとばかり思っていたのだが、星矢の話からすると、自分と同じように大罪を犯したカノンは、贖罪のために海将軍として働き続けるだろう。
 悪ばかりなしていた弟が、真摯に罪を償うまでに成長したそのことは嬉しい。
 どこに在ろうが、弟が正義のために尽くす事は喜ばしいことで、その想いに嘘は無い。
 それでもどこか、虚脱感があった。
(これからは、一緒に暮らしていけると思っていた)
 勝手な期待を抱いていた自分に改めて苦笑する。
 スニオン岬へカノンを閉じ込めたあの時にも、水牢から改心して出てきてくれさえすれば、ずっと一緒に暮らせるのだと思い込んでいた。
(ああ、星矢の言うとおり、確かにわたしは学習しない)
 サガは手元を見た。この手は罪で汚れている。
 生きることを許されたからといって、そんな都合の良い生活までが許されるわけが無い。
 自分は何かを望む権利などは持っていないし、個人的な幸福など得てはならない。
 サガは手を持ち上げて、布越しに自分の心臓へと触れた。手刀で自らの胸を突いたときの感触は今でも覚えている。あのときに本来の自分の命は終わったのだ。
 それに、それ以前にスニオン岬で弟とは決別している。その道を選んだのは他ならぬ自分であり、今更カノンが海界を選んだからといって、捨てられたように感じるのは間違いだ。
(わたしも甘えなど捨てて、贖罪のために生きなければ)
 女神から与えられた生は、あくまで償いのためのもの。サガは自分の中にあったカノンへの感情をそっと押し殺した。それだけではなく、かつて培ってきたさまざまな想いにも蓋をする。
 サガは、そのことを禁止された卑下にあたる行為だとは考えもしなかった。
 ただ、自分の犯した過去の罪の当然の結果として受け入れた。


 片付けを終えた星矢が、コップへ花を挿して持ってきて、サガの隣の窓の縁へ置いた。
 白く小さな花びらを広げているそれは、道端でよくみかける花のようだが名前は知らなかった。
「何も無いけど、カノンが来るのにちょっとは華やかな方がいいだろ?」
 じっとそれを見つめているサガへ、星矢が屈託なく笑う。サガは星矢へと視線を移した。
(何故、星矢はわたしの世話をしてくれるのだろう)
 弟でさえ離れて行ってしまったのに、聖域の勝利の立役者である星矢が自分の面倒を見てくれている。
 当たり前のように受け入れていたが、今になって不思議になった。
 しかし、少し考えて納得する。何かあったとき反逆者である自分を抑える事が出来るのは、黄金聖闘士か青銅聖闘士の五人くらいだ。中でも最も力のある星矢が監視者として一番適任なのに違いない。
 それに、星矢は誰にでもその温かい笑顔を向ける。たとえ罪人であっても、病人や怪我人には特に優しさを向けるのがこのペガサスという男だ。自分と戦った十二宮戦のときですら、敵である自分の事を心配してくれた。
 彼はサガにだけではなく、誰にでも優しいのだ。だから、このような面倒ごとを引き受けたのだろう。
 それは実際の理由とは異なるものであったが、サガは自分の出した答えを正解とした。
「ありがとう、星矢」
 花への礼だと受け止めた星矢が、照れたように鼻の下をこすっている。サガは昔のように、神のような微笑を見せた。
 窓からの強い陽射しが、柔らかな白い花びらに反射していた。
 性質を変えた笑みに気づかず、星矢は上着を羽織る。
「じゃあ、オレはちょっと出かけてくるよ」
「どこへ行くのだ?」
「姉さんのところへ。サガも久しぶりにカノンと積もる話もあるだろう。オレは夕方まで戻らないから、ゆっくり話すといいよ」
 サガが微笑を浮かべたまま、そっと目を伏せる。
「お前には姉もいたのだったな」
「まあね、聖域に来たのも最初は姉さんを探すのが目的だったんだ」
「お前はその姉のことが大切か?」
「当ったり前だろ」
 屈託なく笑う星矢の顔を見ることなく、サガは目を閉ざした。
(星矢にも大切な相手がいて、わたしの体調が戻ればどこかへ行ってしまうのだ)
 皆が去るのを見送って、残されたわたしは一人で生きていく。13年間を思えば、ずいぶんと気楽な孤独ではあるが。
 サガは静かにまた笑った。
「気をつけていっておいで。しかし、気遣いは有難いが、わたしはカノンには会わない」
 星矢が驚いてサガの顔をまじまじと見る。
「どうして」
「会う必要がない」
 会えば何かを期待してしまうかもしれない。星矢に期待してしまったように。
 そういう己の弱さをサガは許せなかった。
「お互い無事に生きている…それだけで十分だろう」
 大人しかったサガが突然何を言い出したのかを理解できず、星矢は驚いて大声をあげた。
「カノンは凄く会いたがっていたんだぞ!?」
「何故?」
「何故って、理由なんてオレよりアンタのほうが判るんじゃないのか」
「わたしには判らない」
 そういった途端に、星矢がとても悲しそうな顔をした。
 なんだか捨てられた子犬のような表情をするのだなと、サガは頭のどこかで思った。
「それに、会わないと言ったって、カノンはもう聖域に来てる。アイオロスだって…」
「アイオロス?」
「その…小宇宙が…カノンと一緒に、ここに向かっているっぽい」
 サガはハッと目を見開いた。
(ここに居てはいけない)
 魂の奥底から決意が沸き起こる。
 カノンだけではなく、星矢にも、もう会わない方がいい。アイオロスにもシオンにも、顔向けできる自分ではないのだし。
 聖域に居ると、自分がどんどん甘くなっていく。
(どこか遠くへ行こう。誰とも関わることなく、女神のために働きながらひっそりと生きよう。もう1人のわたしが出てくるようなら、また正義の盾をお借りすればいい)
 サガは瞬時に決意した。
 決めてしまうと、なんだか心が軽くなり、息が楽に出来るようになった気がした。試しに深く静かに深呼吸をする。実行は早い方がいい。急がないと、彼らが来てしまう。
 サガは星矢へ頭を下げた。この後輩の笑顔だけは覚えておこうと考えながら。
「女神に伝えて欲しい。このサガは女神のお心遣いに感謝していると」
「急に何を言ってるんだよ」
 何かを感じ取ったのか、星矢の表情がまた変わる。
「世話になったな、星矢」
 もう1度礼を述べる。この後輩には最後まで世話になりっぱなしだ。これ以上の迷惑はかけられない。
 慌ててサガの傍に寄ろうとした星矢の目の前で、サガは僅かな小宇宙を全て燃やし、遠距離転移を使用した。


 サガの力の発動を読み取り、急いで駆けつけたアイオロスとカノンの前には、ただ空っぽのベッドと乾いたシーツだけが残されていた。星矢がしょげながら二人に謝る。
「ごめん…オレがついていながら」
「お前のせいじゃねえ。あの馬鹿が勝手なんだ、いきなり消えやがって」
 カノンは本気で怒っていた。アイオロスもカノンの怒りを諌める気はなく、ため息をつきながら尋ねた。
「逃げられたね…それよりどうしてそんなことに?」
「その」
 星矢が言いにくそうに二人を見る。
「よく判らないんだけど…カノンには会わないって言い出して…で、アイオロスも来ると聞いたら突然」
 言ってから星矢は後悔した。二人が一瞬とても傷ついた顔をしたのが判ったからだ。
「面会拒否という手段を取らずにここから去ったということは、聖域から出て行くつもりだろうな」
 アイオロスが微妙にのんびりとした口調で告げる。
 もっとも、彼は激情を抑えている時ほどそういう話し方をする。嵐の前の穏やかさだ。
「カノンはサガがどこへ飛んだかトレースしてくれ。まだ体力的にそれほど遠くへは飛べない筈だ。事と次第によっては、脱走罪を適用して拘束する」
「もう追跡してる…だが、加減しろよ」
 カノンがアイオロスへ釘を刺した。ことサガの事となるとカノン以上に過激なのが射手座だった。
「善処するが、自分を抑えられる自信はない。それにサガは思い込みが強いから、頭が冷えるまで閉じ込めておくくらいが丁度いいんだよ」
「オレの兄のことを、随分好き勝手言ってくれるなあアイオロス」
「君だって似たような事を考えているくせに」
 獰猛な笑みを浮かべるカノンと、負けずに剣呑な笑顔を見せる次期教皇が並ぶ。
 物騒な二人の先輩の横から、星矢が遠慮がちに口を挟んだ。
「探すのなら、急いだ方が良いと思う…行き倒れている可能性が高いから…でも、どうしても連れ戻すのか?」
「連れ戻すしかないだろう?」
 アイオロスが不思議そうに言い返す。
「それはそうなんだけどさ…少し放って置いてあげても良いんじゃないかなって」
 カノンとアイオロスは、顔を見合わせた。そして同じタイミングで苦笑した。
「普通はそうなんだろうけど、サガは放っておくと自傷レベルで自分を大事にしないからね」
「あいつを一人にするとロクな事がねぇ」
「おまけになまじ意思が強いから、こうと決めたら本当にそうしてしまう。会わないと決めたら、二度と私たちの前に姿を見せないだろう」
「そういう事だ。それでも良いってんなら別だが」
 星矢は慌てて首を横にぶんぶんと振った。
「オレも探すよ…でもカノン。サガをトレース出来たら、連れ戻すのはオレに任せてくれないか?」
 連れ戻すにしても、アイオロスやカノンが迎えに行くのでは、今のサガには刺激が強くてこじれそうな気がしたからだが、カノンからはギロリと射抜くような視線が返ってきた。
「このガキ…」
 何故睨まれるのか判らなくて星矢が目を白黒させていると、横からアイオロスのフォローが入った。
「まあまあ、確かに最初は星矢に任せた方が良さそうだから」
「お前は悔しくないのかよ!」
「私達の来訪で逃げられたってことは、ある意味、私達の方がサガに意識されているって事じゃないか」
 カノンとアイオロスの会話はやっぱり意味不明で、星矢は内容の理解を諦める。
 そして、自分でもサガの気配を追うべく小宇宙での探索を開始したのだった。


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(−2007/9/1−)

カノンが離れると少し駄目部分の出てくるサガ…というのを見たかったのです(もぐもぐ)