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◆燃え落ちる世界3


 シーツに包まれた暖かいまどろみの中、サガは目を覚ました。
 隣に星矢の姿は見えないが、掌で探るとまだ体温の名残りが感じられるので、起き出してからそれほどの時間はたっていないのだろう。陽もそれほど高くないようだ。日ごろ早朝の起床を心がけていたサガは、自分だけが寝台にあることを申し訳なく思うと同時に、横に眠る者が寝床を抜けても気づかぬほどの自分自身の不全を感じていた。それゆえ、大人しくそのまま再び枕に頭を埋める。
 気づくと台所の方からスープの匂いが漂ってきた。この匂いはオニオンスープだろう。この家は狭いけれども生活感にあふれていて、どこからでも星矢の存在を感じる事が出来た。
(双児宮や教皇宮とは随分違うな)
 サガは伸ばしていた手で掛け布を引き寄せ、頬にあててみた。昨晩の星矢の温もりを感じるかのように。

 暫くすると、星矢が簡単な朝食をトレイに乗せて寝台の元まで運んできた。
「サガ、朝ごはんを作ってきたんだけど、食べられそうか?」
「ありがとう、いただくよ。美味しそうな匂いがする」
「あ、起き出さなくていいぞ。そこで食えるようするからさ」
 寝台から降りようとしたサガを押しとどめ、星矢はトレイを椅子の上へ置くと、テキパキと寝台の上へ補助用のベッドテーブルをセッティングしていく。その様子にサガは己への苦笑を零した。
「なんだかわたしは病人のようだな」
「病人みたいなモンだろ」
 補助テーブルの上を乾いた布で拭き、そこへ朝食の乗ったトレイを置きなおす。サガは礼を言って匙を手に取った。褐色に澄んだスープを掬い取り、ゆっくりと口元へ運んで味わう。じんわりと滋味が舌に広がっていく。
「…美味い」
「そっか、良かった。昨日も思ったけど、食欲があって味もわかるのなら安心だな」
 寝台の脇へ椅子を引っ張ってきて、腰を下ろした星矢が嬉しそうに笑った。
「午後にはカノンが来るからさ。サガが元気なところ、見せてやるといいよ」
「…カノンと、連絡がついたのか!?」
 弟の名前が出たとたんに、食事をしていたサガの手が止まる。星矢を見るその表情は、嬉しさによる期待だけではなく、どこか縋るような困惑に溢れていた。星矢はそれに気づかぬ振りをして優しく答えた。
「ああ、海界の方から早朝に先触れが来たって。サガがなかなか目を覚まさないから、カノンはすっごく心配してたんだぞ」
「カノンが?まさか」
「本当だって。カノンは素直じゃないから、口にはそういうのを出さないんだけど、態度でバレバレなんだよな。蘇生後に自分が動けるようになったら、もう毎日のようにサガの様子を見にきてたんだぜ」
 まだ信じられないような顔をしているサガを、星矢は横から覗き込む。
「なんか変なことか?兄弟の心配をするのは、あたりまえだろ?」
「そうなのだが…わたしたちは仲の良い兄弟とは言えなかったので…」
 わずかに言い澱んだサガを、星矢は明るく笑い飛ばした。
「大丈夫だって。そんな事を言うならオレ達青銅の兄弟なんて、みんな1度は互いに死闘してるんだぞ。一輝も最初オレ達を殺すとか言ってたけど、今では頼もしい仲間になってるのを知ってるだろ?しかも、何だかんだいっていちばん瞬に甘いしさ」
 思わぬ返事に、サガは目をぱちりと瞬かせた。今まで兄弟に関する比較といえばアイオロスとアイオリアが基準になってしまっていて、他の兄弟の形がどうであるかなど、あまり考えた事がなかった。
「確か、お前たちは100人兄弟だったか?」
「ああ。聖闘士になれた奴以外は、ほとんど行方知れずだけどな」
 はっとサガは目を見開いた。そういえば城戸光政という日本人が、青銅候補の少年を大量に聖域へ送り込んできた事を覚えている。慣例に従い、彼らは世界各地の修行場へと送られていったが、幼い修行者の中には厳しい鍛錬に耐え切れず脱走したり、死亡してしまう者も少なくない。
(それを思えば、わたしとカノンは兄弟共に暮らせただけでも幸せであったのだろうか)
 考え込むようにうつむいてしまったサガの肩を、星矢はぽんと叩いた。
「昔に仲違いがあっても、生きてるのならこれから仲良くなればいいんだよ。カノンはオレが見るに一輝と同じタイプの気がするね。海界での戦の時なんて、サガの名前ばっかり出してたらしいよ」
「海界での戦…?そういえばカノンは海界へ行っていると聞いたが、何故そのような場所に?」
「あ、そっか。サガはポセイドンとの戦いのことは知らないんだっけ」
 星矢は簡単に、カノンが海将軍であることと、ポセイドンとの戦いの経緯を話した。話を聞くにつれ、サガの顔色が青くなり、次に怒りで赤くなっていった。
「あ、あの愚弟は!スニオン岬から姿を消して死ぬほど心配をしていたというのに、こともあろうに海神を誑かして地上制覇の野望を目論んでいただと!?」
「サ、サガ、それはもう済んだことで、カノンも反省しているから怒らないでやってくれ…それに、サガに責められたら、カノンも辛いと思う」
「あの男に、そのような神経も良心もない!」
 激昂しているサガがベッドテーブルを拳で叩いたので、星矢はスープが零れないよう慌ててトレイを抑えた。
「そんな事はないよ、サガ。カノンは頑張ってる。本当はサガだって判ってるんだろう?」
「……」
「それより、スープが冷めるぞ」
「すまん……わたしも弟の事を言えた過去ではなかったな…」
 サガは渋々といった様子で矛先を収めると、匙を持ち直して食事の続きを始めた。
(あ〜あ、素直でないのはサガの方もってことか)
 星矢は内心くすりと笑っていたが、何も言わず大人しくサガが食事を終えるのを待った。



 ギリシアの強い陽射しの下、カノンは真っ直ぐに星矢の家を目指していた。
 兄が目覚めそうだとの連絡を受けた彼は、海界での予定をやりくりして翌日を午後休とした。仕事など捨て置いてすぐにでも駆けつけたいという気持ちはあったものの、私事で筆頭としての公務を疎かにすることは出来なかったのだ。海界に負債を持つ身では、まず己の都合など自重せねばとの思いがある。サガの見舞いに行ったところで誰が責める訳でもないが、それはカノンなりの海界に対する義理と矜持だった。
 瞬からの書簡には、星矢の家の簡単な地図も添えられていた。星矢の家は、修行者達が主に居住している区域にあるようで、荒くれの雑兵達が多い場所にサガが居る事への不安を僅かながら覚える。
(口さがない連中が、サガを罵倒するような事がないと良いんだが…)
 そういうカノンに対する海界の風当たりも当初は相当なものであったのだが、彼はそれを黙って受け止め、その後の行動によって黙らせた。元々他人の言葉など気にはしない性質の上、変えられぬ過去を嘆いていても何もならぬと割り切っているため、カノンには一種の開き直りともいったしぶとさがある。けれど、同じことが兄に出来るとは彼には思えなかった。聖域にサガが居づらいようであれば、直ぐにでも連れ出そうとカノンは心に決めていた。
 乾いた石畳を踏みしめながら、細い路地を何度も折れ曲がっていくうちに、どうやら目当てらしい小屋が見えてくる。カノンは密かに兄の小宇宙を探ってみた。常であれば目視が可能なほどの近距離で、サガが弟の小宇宙に気づかぬはずがない。
 しかし、兄からの反応は帰ってこなかった。それだけ、まだ回復には程遠い状態なのだろう。
(まあいいか。小僧の方はこっちに気づいているだろうし)
 自分が同年代の姿となっても、カノンは相変わらず青銅たちのことを小僧扱いしているのだった。その小僧の家へ向かって、彼はいっそう足を早めた。

 簡素な石造りの小屋の入り口は、道から横へ回り込んだところにあるらしい。家の前まで辿りついたカノンはふと、庭側の窓から部屋の中の様子が見えることに気づいて足を止めた。
 窓ガラスをとおして目に映ったのは、陽射しの強い場所を避けて設置されている木の寝台。そして、そこには上体のみ起こして背を凭れさせているサガと、その横に座って何かを話している星矢がいた。星矢が話し終えると、サガが零れるように笑い出している。
(サガが、笑っている?)
 外向けの慈愛に満ちた笑顔であればいくらでも見覚えがあるのだが、あのような顔は弟の自分の前ですら殆ど見せたことが無い。カノンは考え込むように顎に手をあてた。
 サガはひとしきり笑うと、目を細めて星矢を見た。その表情に既視感を覚えて、今度こそカノンは眉をよせる。
(あれは…あの顔は、昔のサガがアイオロスを見ていた時の顔だ)
 それに気づいたカノンは、その場でくるりと踵を返すと窓に背を向けて歩き始めた。
 渋い顔でずかずかと勢いに任せて向かうその先は、当のアイオロスのいる教皇宮だった。


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(−2007/3/26−)