18歳の肉体を持って蘇ってきたサガは、星矢の記憶にあるとおりの清らかな人だった。
(思えばサガから聖衣を授与されたんだよなあ)
まさか、その聖衣をもって彼を倒すことになるとは、当時は夢にも思わなかったけれど。
あの頃は、教皇が偽者だなどとは考えもしなかったので、てっきり二百数十年を生きているという前聖戦の生き残りの爺さんだろうという目でしか見ていなかった。それでも、授与の際にかけられた言葉は忘れていない。
ペガサスとなって最初に聖闘士としての指標を示してくれたのは、偽教皇であるサガだったのだ。
その後、教皇宮で始めて敵として対面したサガは、策を弄し女神に刃を向けたとは思えぬ穏やかな人で、星矢の目の前で見惚れるほど綺麗な涙を零したりした。
当時、自分は13歳でサガは28歳。
はっきりいって大人と子供であり、単なる敵同士。けれど既にその時から、サガはいつでも星矢に優しかった。戦いの度に助け導いてくれたし、自分はそれに応えた。
ハーデス戦で、かりそめの命を授かったサガが目の前で灰になっていったとき、自分は彼の為に泣いた。
直接会ったのはほんの僅かな時間で、それほど会話を交わしたわけでもない。それなのに一体サガの何がこれほど気にかかるのか星矢はずっと不思議だった。
聖闘士としての場数を踏んだ今なら判る。命や魂をぶつけあう戦場では、年齢や時間などを超えた心の繋がりが生まれることもあるのだという事を。
そのサガがいま、目の前に居る。
聖闘士としても人としても大先輩であるサガは、たいてい誰に聞いても完璧な神のような人だったという。
…アイオロスやカノンだけはちょっと別の意見のようだったが。
寝台に半身起き上がった姿勢で本を読んでいたサガは、星矢の視線に気づいてにこりと微笑んだ。つられて星矢も笑顔になる。
(うーん、確かに『神のような』と言われるのは無理ないかも)
若くなったサガの表情は、28歳の頃にあった貫禄が抜け落ちた分、どこか可愛くも見える。それは同年代となったゆえの視線の違いかもしれないが、無駄に庇護欲を誘われる。
実際には庇護が必要などころか、戦闘となれば誰よりも激しく強大な小宇宙で、銀河をも砕く攻撃力を発揮する男であると知っているのだが、どこか自虐的なあの目のせいだろうか、周囲に護りたいと思わせる雰囲気があるのだった。
かつてクロノスはサガを混沌を喚ぶ者と称したという。それを知ってもなお、サガの為であれば破滅へ向かっても構わないと思わせる何かがある。『それがサガの魅力でもあり、魔性でもある』…確かそんなことをデスマスクが言っていたっけ。
星矢は近づいて行って、サガの寝台に腰を下ろした。
「具合はどうかな」
サガは持っていた本を広げたまま掛布の上に伏せて置いた。
「大分身体が馴染んできている。星矢、お前には世話をかけるな…」
彼は大抵柔らかい笑みで星矢に答えてくれる。甘く光に溶けそうな笑顔だと思った。
「さっきみたいな無理はしないでくれよ?水汲みから戻ってきたら、アンタが倒れているし、心臓が止まりそうになったぜ」
「それについては、すまなく思う。まさか掃除程度で体力が尽きるとは思わなかったのだ」
「他の黄金聖闘士も1週間は床についてたって言ったろ。夕飯支度も俺がするから。無理は絶対禁物!」
律儀で綺麗好きな双子座の黄金聖闘士は、星矢の留守中に家の掃除をしようとして、その途中で倒れたのだった。戻ってきた星矢にさんざん怒られて寝台に落ち着いたのが一時間ほど前のこと。
サガがぽつりと呟いた。
「…何だか、新鮮だ」
「え、何がだ?」
「こうやって叱られるのが」
「サガって、叱られたりしなさそうだもんな。俺なんて魔鈴さんにしょっちゅう怒られてたよ。それも鉄拳つきで」
「厳しい師匠だったのか」
「そりゃあもう!俺にとっては最高の師匠だったけど、当時は鬼かと思ってたくらいで…あ、これは魔鈴さんには内緒な?炊事洗濯料理もぜーんぶ俺の役目だったから、家事には自信があるんだ。夕飯楽しみにしててくれ」
そんな星矢を、サガは尊敬の目で見る。
「お前は凄いな。何でも出来るのか」
「いやいやいや…何でも完璧なのはサガだろ。頭もいいし強いし」
サガはそれへ少し自嘲するように笑った。
「それでもわたしには、誰かを幸せにするような役立ち方は出来な…うわ!?」
言葉は最後まで紡がれることは無かった。言い終える前に星矢は両手を伸ばし、サガの髪をわしゃわしゃとかき混ぜる。そしてサガの額に自分のおでこをつけ、怒った顔をつくると言いわたした。
「卑下禁止って言ったろう?」
「あ、ああ…すまな…」
「アンタが万全な状態だったら、拳骨落としてるところだぞ」
「それも、魔鈴式の教育的指導なのだろうか」
「ああ、そうだ」
サガも気づいて反省しているようなので許してやることにしたが、念を押すことは忘れない。
「そんな顔のアンタをカノンやアイオロスには会わせられないからな。ビシビシ教育するからそのつもりで」
「…お手柔らかに頼む」
サガは星矢の真似をして髪を掴もうしたのか、指を伸ばしてきた。途中でその指先は進路を変え頬をなぞる。
その指先の柔らかさが心地よくて振り払わずにいたら、何が面白いのかサガは子供のように何度も輪郭をなぞって遊んでいる。そのうち頬をひっぱって伸ばし始めたので、慌てて頬を押さえた。
「こら!顔が伸びる!」
「人の頬を伸ばしたのは初めてなのだが、本当に良く伸びる…」
「あのなあ…」
「人とは随分、柔らかくて温かいものなのだな」
サガにとっては、何もかもがとても新鮮だった。幼い頃から黄金聖闘士として聖域にいたサガは、周りは大人ばかりであったものの、対等に話せる相手は同じ黄金聖闘士に限られていた。その黄金聖闘士もほとんどは年下か、目上である童虎と教皇であり、砕けた会話が出来る相手はアイオロスとカノンくらいだった。
しかし、悪事に手を染めていたカノンとはすれ違い反発しあうばかりだったし、教皇を目指す上でのライバル=アイオロスとは、友人でありながらもっと距離があった。
星矢は後輩とはいえ、神聖衣を纏えるくらい強い。そして今は同じ年齢として目の前にいる。初めて力で他人に負けたサガが、多大なる恩義を受けた星矢を特別視してしまうのも無理は無かった。
最初にみた相手を親鳥と思い懐くヒナのように、個人的な人付き合いにおいて経験値の低いサガは、気づかぬうちに加減なしの親愛を星矢へ向け始めていた。
星矢の心づくしの夕飯は、質素ながら自慢するだけのことはある味で、サガは改めて星矢を見直した。
食後は二人分の食器を洗い片付けたあと、早めに床につくことにする。サガの体力を取り戻し、日常生活が行えるようになるまでは療養が最優先だと判断したためだ。
横になったサガの身体へ、星矢がそっと掛布を被せる。
サガは夕飯を含め、世話を掛けたことへの礼を言ったが、星矢は笑って流した。
「礼とか水臭いからいいって。誰かの為にメシを作るなんて久しぶりで、ホントはちょっと腕が落ちていないか不安だったんだけど、意外と手が覚えてるもんだな」
「あの味ならば、ずっとわたしの食事を作って欲しいくらいだ」
「あー…サガがそーいう風に女性に言ったら、シャレにならないだろうなあ」
「何故だ?」
全く判って居なさそうなサガを見て、星矢は溜息をつく。
「いや、サガってさあ…知らないところで罪作りなことしそうだよ。聖域に女性が少なくてよかった」
サガの鼻の頭を、星矢は指先でつついて片目を瞑る。
「今のは、プロポーズになりかねない台詞だってこと」
「…そうなのか?」
サガは気づかなかったと言わんばかりに、目をぱちくりとさせている。その様子がおかしくて、星矢は笑った。
サガが困ったように言う。
「では、お前にそのように言ったのは失礼だったろうか。お前の手作りの食事はとても美味しかったので、また作って欲しいと思ったのは本当なのだ」
「そーいう事を真顔で言うから罪作りだって言うんだ」
星矢は横になっているサガの頭をぽふっと撫でた。
「サガが元気になったら、もっとボリュームのある精のつくモン作ってやるからさ、まずは体調を戻そうぜ」
「そうだな…療養が長引けばそれだけ、お前に迷惑をかける時間が延びてしまうからな」
言ったとたんに、サガは本日二度目の”髪わしゃわしゃ攻撃”を食らうことになった。
「こら、水臭いって言ってるだろ!」
「す、すまない」
「意外と学習しないなあ、サガは」
そんな事を言われたのも生まれて初めてだったので、サガは目を丸くした。さらに、そのあと掛布を押しのけて星矢が寝台の隣へ潜り込んできたので、吃驚して身体が固まってしまう。
星矢はサガの驚愕を気にもせず、互いの身体へ布をかけなおすと、しれっと当たり前のように告げた。
「ちょっと狭いかもしれないけどゴメンな。サガに俺の小宇宙も流しこめば、少しは回復も早まると思うから」
「ヒーリングが出来るようになったのか!?」
「サガほどは…っていうか、ほとんど出来ないけど。気は心って言うじゃん」
「いやしかし、そこまでお前に迷惑はかけられな…」
言いかけて、凄い勢いで星矢に睨まれたので口ごもる。サガが黙ったのを見届けると、星矢はサガを抱きしめて静かに小宇宙を燃やし始めた。
確かに回復向きの小宇宙ではなかったものの、とても暖かかった。
小宇宙と共に相手の鼓動が伝わってくるようで、サガは、星矢の服の裾を握り締める。
何故か顔が赤くなった。
「…ありがとう、星矢」
「最初からそう言えばいいんだよ」
サガは星矢の小宇宙が身体へと染み渡るのを感じながら、いつしか眠りに落ちていった。
(−2007/3/9−)
メルヘン度120%