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◆底なし沼
◆11…(北大西洋神殿にて)

 ソファーへうつぶせに横たわっていた彼は、身体を反転させ、寝転がったままカノンの方を見た。動いた拍子に銀髪がさらりと背から肩越しにこぼれ落ちる。すらりと伸びた足は無造作に投げ出され、行儀の良い姿勢ではないが、それすらもさまになる美しさだ。
 一方カノンは、浴びたばかりのシャワーによって、髪から滴る水滴をタオルでがしがし拭いている最中であった。その背中へ呆れたような声で催促がかかる。
「まだ、支度に時間がかかりそうだな、カノン」
「お前の準備が早すぎるのだ。いま何時だと思っている」
「早くはない。ここから1番近い公共機関から視察先までの時間を計算すると、もうすぐ出ないと昼に間に合わぬ」
「公共機関なんぞ使わずに、テレポートで行けばすぐだろう」
「使わないのか」
 カノンと同じ容姿を持ちながら、正反対の雰囲気を持つ彼は、気だるげに身を起こすと、わざとらしくゆっくり足を組んだ。
「せっかくお前と二人で出かけるデートなのに、時間短縮とは」
「何がデートだ。たったいま自分で視察といったばかりだろう!つうか、サガに化けんなカーサ」
 怒鳴られても、サガの顔をしたカーサはぺろりと舌を出しただけで、姿を戻す様子はない。
「この姿でおまえと出かければ、万が一他界の者に見咎められたとて、海界の活動だとは思われぬだろう?また聖域の双子デートかと思われるだけで」
「そんな極秘任務ではないわ!サガの口調やめろ。しかも、またとは何だ、他界は双子座に対してそんなふざけた認識なのか」
「お前がわたしを大好きなことは、全界の知るところだよ」
「お前ではないし、サガはただの兄弟であって!」
「ふふ、今日化けたこの法衣の下は、着衣があると思うか?無いと思うか?」
 いきなり脈絡もなく、にっこりとサガが立ち上がり、法衣の裾をちらりと持ち上げる。
「!!!!」
「答えは履いている、だ。ちょっと期待しただろう」
「カーサ…ゴールデントライアングルを食らいたいようだな」
「支度がはかどるようサービスしているというのに、酷い」
「サガはそんな言いかたをせん!」
「サービスしてやったというのは、本当なのに」
 カノンが本気で必殺技を繰り出しそうな小宇宙を身に纏い始めたので、仕方なくカーサは変身を解いた。


(−2012/10/5−)
◆12…(変身条件)

「こないだもカーサがお前に化けたんだって?」
 サラダ皿を卓上に置き、朝食の支度を整え終えたカノンは、既に椅子へ座っているサガに話しかけた。
「ああ、もう一人のわたしに対して術を使った」
「あいつ度胸あるな…もう一人のお前を怒らせたらタダじゃすまなそうなのに」
 自分も席につき、さっそくパンに噛りつく。
「大丈夫だろう。アレは意外と面白がっていた」
「そっか。カーサのやつ、今度は逆にお前のところへ、もうひとりの兄さんの姿で現れたりしそうだな」
 何気なくカノンが言うと、サガは笑った。
「それはないな」
「何で言い切れるんだ」
「リュムナデスは、愛する者の姿しか取れない」
 口の中のパンを飲み込み、カノンは兄の表情をちらりと見やる。いつもの穏やかな微笑みのようでいて、その奥には何故かコキュートスを思わせる、寒々とした氷の世界が覗き見えるような気がした。
「お前さ、もう少し自分を大事にしろよ」
 13年間の兄の地獄に軽々しく口を挟めるわけではないが、カノンはそれだけ伝えると、喉奥のパンをミルクで流し込んだ。


(−2012/10/8−)
◆13…(理想の世界)

 海の世界は、いつも色鮮やかに美しい。
 カノンの守る北大西洋の柱へ向かって歩きながら、サガはこの世界の空である水面を見上げた。それなりに厚いはずの海水の層は、不思議なことに太陽光をよく通し、天空を透かして揺らめいている。
 視線を道の先へ戻すと、遠くにカノンと自分の姿が見えた。おそらく、というか100%、カーサが化けているのだろう。
 リュムナデスのカーサは、相手の愛する者に姿を変えることが出来る。そして修行という名のもと、よくカノンやサガ相手にその技を使う。聖闘士である双子座を自由に海界で歩かせてくれる感謝も込めて、自分たちはそれに協力する。嫌悪感はない。特にサガは、カノン相手に自分の姿が形作られるのを見るだけで嬉しかった。
 カーサの化けたサガが、書類をカノンの目の前でからかうようにひらひらさせている。カノンはぶっきらぼうながら機嫌が良さそうだ。
(もしも、カノンとわたしが同じ陣営で仕事をしたならば、あのような光景を見ることが出来たのだろうか)
 少し考え、自分であれば職場であのようにふざけあう事はないなと思う。カノンもそれを善しとしないだろう。それでも、あのようであれたらいいのにと思う。無いものねだりだ。
 サガは足をとめた。まだカノンはこちらに気づかない。カーサが化けているということは、知覚をある程度カーサに支配されているはずで、感覚が鈍くなっているのだろう。それでもサガが語りかければ来訪に気づく。
 サガは敢えて黙ってみていた。
 カノンとサガが屈託なく共にある理想の空間を、自分が破るのは勿体無い気がしたので。
 しかし、佇んでいるサガのことは、さすがに海将軍のカーサが気づいた。
『何やってるんですか』
『その、わたしは邪魔かなと…』
『アホですかアンタは!』
 小宇宙通信でカーサが怒鳴る。その瞬間に偽者のサガの姿は消えてカーサが現れ、感覚を開放されたカノンは本物のサガの訪れに気づいたようだ。カーサと軽口を叩いていたときの雰囲気は消え去り、いつもの不敵な、サガの前でのカノンに戻っている。
(やはりカノンはわたしに心を許しては居ないのだろうか)
 少しだけ落胆の気持ちが沸いてくる。
『違うだろ!アンタもシードラゴンも、ホントにアホだな』
 カーサがまた突っ込んでくる。
『そうだろうか』
『そうだ。何故そうなのかは自分で考えてくれ。だが、俺の虚像のせいで、本物のアンタが近づいてこないなんてことになったら、俺がシードラゴンに恨まれる。勘弁してくれ』
『何故カノンがお前を恨むのだ?』
 そんな会話をしている合間に、動かぬサガの元までカノンが迎えに歩いてきた。
「サガ、何をぼーっとしている」
「いや、その…お前の職場は楽しそうだな」
「はあ?何だ、堅苦しい聖域の愚痴でもしにきたのか」
 カノンが怪訝な顔で突き放したような物言いをする。しかし、その態度の後ろに兄への心配があるのは自明のことだった。サガに通じていないだけで。

 カノンの後ろでカーサが盛大にため息をつき「何でアンタたちはそんなに二人揃うと馬鹿になるんですか」と言ってカノンに小突かれたが、カーサは自分は悪くないと心の中で呟いていた。


(−2012/12/5−)
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