弟が海龍の職務を正式に続けるようになって以降、サガが海底へ下りる機会も増えた。
無論ゴールドセイントとしてではなく、海龍であるカノンの兄としてだ。
通常であれば、女神の聖闘士が自由に海界と地上を行き来することなど、海王が許さない。しかし、ポセイドンは自分の支配民や海闘士たちには大らかな愛情を持っていたため、彼らが大切とする身内や関係者には彼らと同様に水の庇護を与えていた。カミュやサガはその恩恵にあずかった数少ない聖闘士だ。
サガはただ海界へ降りるだけではなく、海闘士に混じって雑事を手伝う事も多かった。
人手の圧倒的に足りていない海界では、有能なサガはどこへ行っても歓迎された。
今世の女神とポセイドンの聖戦の原因(そして海底神殿の崩壊の原因)となったカノンの野望については、海将軍以外に知らされていないため、海の民は手荒くも素朴な好意でサガを迎えていたし、サガもまた、聖域では決して見せる事のなくなった、かつてのような自然な笑顔を彼らへは向けた。
誰に頼まれなくとも、神殿や住居に崩落の酷い箇所を見つけると、サガは勝手に修繕をしてまわった。
カノンの贖罪の一端を担いたいという理由もあるだろうし、単に客分として暇をあかすことが許せない性質なこともあるだろうが、基本的にサガは善意の性格なので、人が困るであろう事に対して放置したままにおくということが出来ないのだった。
最初は聖闘士が何故そこまでするのかと疑う者も居たが、サガの人となりを知り、彼とってはそれが当たり前の行為なのだと判ると、その疑惑は徳性への密かなる感嘆に変わった。
海将軍とサガが会話を交わす機会も多くなった。
正義と理想郷を夢見て、そしてどこかで道を間違えた者同士という部分で、彼らは似ていた。
まだ若い者も多い海将軍にとって、女神の陣営という敵サイドで偽教皇をしていたサガの話は、学ぶところも多かった。
サガは過去の自分の野心を隠すことはしなかった。自身の過ちをさらけ出す事で、同じ轍を踏まぬよう若輩への教訓としたのだろう。それらの話には表面に現れぬ含意も多く、受け止める側の理解度には個人差があったものの、成長期の海将軍たちは砂が水を吸収するように思想の奥ゆきを深めていった。
そんな中、珍しくカーサとサガが二人だけになることがあった。
カーサは以前から二重人格の心の奥底はどうなっているのかと興味をもっていて、折あらば心を覗こうとしていたのだが、サガのガードは堅く、表層を見ることすら難しい。
能力に絶対の自信を持っていたカーサが、射程距離にいるサガに対して今度こそはと仕掛けたものの、やはり強固な思念波に遮られてしまい、その挑戦は徒労に終わった。
「そんなに見られたくないんですかい?ちったあ覗かせてくださいよ」
つい愚痴るリュムナデスに、サガは笑った。
「それなら、どうぞ」
カノンを除いては最年長の海将軍が目を丸くする。
「いいんですかい?」
「ああ」
「あんなに防壁張っていたくせに、どんな心境の変化スか」
カーサが不思議に思って問い返すと、
「無理やり覗こうとするのならば防ぐが、今さらわたしの内面など隠すようなものも無いのでな」
と答えが返った。真正面から頼む分には問題ないという理屈のようだ。
あの鉄壁の防御が、心を覗かれる恐怖からではなく、単に負けず嫌いから発するものと気づいてカーサは脱力した。
言葉に甘えてカーサがサガの表層をそろりと探ってみたところ、罪人としての自覚のあるジェミニの聖闘士は、誇り高くありつつも、自分の内面に対してほとんど価値を見出していなかった。それはかつて、思い上がりから前教皇と友を死に至らしめたことへの嫌悪や後悔から生まれた、自己評価の揺り返しだろうとカーサは分析した。
もっと深く見せろとカーサが言うと、サガは好きにすればいいとまた笑った。
「わたしは自分が何者であるのか、本当は何を望んでいるのか知りたい。だから、君がわたしの中身を暴いて、わたしにとって最も大切なものが何であるのか教えてくれると助かるよ」
「自分の1番大切なものが何か判らないとは、アンタは意外と無知なんすか?」
「恥ずかしながら」
カーサは揶揄ったものの、ほとんどの人間が自分の最も大切なものなど判っていないことを知っていた。ただ、サガがそうであると自称するのは、本音なのか巧妙な嘘なのか、まだ掴む事が出来なかった。
サガはカーサに目を向けた。湖のように済んだ瞳を、カーサは何故か怖いと感じた。
「リュムナデス、君に大切な相手はいないのか」
不意を衝かれて、カーサは言葉を失う。今まで、そのようなことを聞いてくる人間はいなかった。
しかしサガは返事を求めたわけではないようで、そのあと苦笑いをこぼしている。
「君に覗いてもらって、一番奥底にあるのが自分の姿であったら、少し恥ずかしいな」
カーサはそれを冗談だと思い、軽く流して更にサガの心の深淵を覗き込んだ。
先ほど見えたサガの友と前教皇は、サガの心の表層から中層にかけて、非常に大きな位置を占めていた。サガは彼らを尊敬し、また同胞として愛してもいた。それは過去にサガが彼らを殺した頃から変わっていないようだ。
サガは内面を詮索されていることなど、意に介しもせず呟いた。
「その能力を制御できる君は凄いと思う。わたしであれば、きっと大切な相手の心でも覗こうとしてしまう。そしてもしも、誰よりも愛する相手の心の奥底にある一番の存在が、自分ではなかったら」
そういってサガは言葉を切った。
なかったらどうなんだとカーサは聞きたかったが、その続きがサガの口から発せられる事は無かった。
リュムナデスにはそれほど大切だと思える人間がいなかったので、サガが自分の何を褒めたのかよく理解できなかったけれども、代わりに先ほどサガに感じた恐れが何であるか理解した。
カーサの常識では、人間は愛する者に手をかけることが出来ないはずだった。だからこそ、リュムナデスの能力は無敵だと自負しているのだ。
しかし、過去のサガは躊躇しながらも、大切であるはずの彼らを手にかけていた。
カーサはさらに奥底まで潜った。女神や聖域の仲間たち、双子の弟、黒髪のサガ自身、いろいろな姿が浮かんでは消えていく。しかし、どれだけ愛する相手であっても、サガは例外なくその相手に刃を向ける。
そして辿りついた深淵の底には誰もおらず、ただ光があった。闇があった。その先には混沌があった。
混沌の奥を覗くことはカーサにも出来なかった。
カーサは戦慄した。サガに対して能力を使う事は、リスクが大きすぎる。
例えば、敵として互いに対峙したとして、その時にサガの友であるアイオロスとやらに姿を変えてみたとしよう。サガは、たとえ偽者とわかっていても、その姿に拳を向けることはないだろう。100%ないはずだ。つまり、反撃はありえない。
なのに、カーサは己が殺されるであろうと予見した。
その矛盾こそ、クロノスをして混沌と呼ばわしめたサガの一面だ。内面に広がる矛盾の坩堝を、サガはその強い意志の力によって、穏やかに封じ込めているのだ。そして、あくまで女神の聖闘士として光に向かおうとする。そういう意味では、確かにサガの本質は善だった。しかし。
「わたしの中には、誰が居ただろうか?」
柔らかい笑みで尋ねるサガから、カーサはすいませんとだけ謝って逃げた。
(−2007/10/16−)
カーサはサガの純粋さも博愛の怖さも読み取ってくれるといいなあ。
兄がカーサに心を見せたことを知ったら、カノンは多分「お前の勝手だが無防備すぎる!」と怒ります。
でも誰の姿が出てきたのかちょっと気になったりするといいよ!
◆2…(カーサとサガ→ロス)
リュムナデスの能力は、相手の心にある大切な人間の姿を写し取ることだという。
わたしの魂の一番の奥底を浚うことは断られたが、その能力の一端を見せてくれると言うので待っていたら、目の前にアイオロスが現れた。
幻視かと思い手を伸ばしてみると、ちゃんと触れる事が出来る。
…と言う事は、触感まで完全にカーサの技中にあるということだ。
しげしげと全身を見つめて綻びがないか探してみたが、どこにも見つからない。
「凄いな」
素直に感心の言葉が洩れる。
「サガに褒められるのは嬉しいよ」
穏やかに微笑む言い方までアイオロスそのままで、これは偽者だと判っているのに間違えそうになる。
「これでは星矢たちが惑わされるわけだ」
もしも女神に叛いていた13年間の自分が、知らずに技にかけられていたら、この能力に逆らう事が出来たろうか。
想像しかけてやめた。多分もう一人のわたしが出てきてとんでもない事になるだけだ。
アイオロスの口調でカーサが言う。
「この姿はあくまでサガの内部に見つけたものだから、こんな事も出来るんだよ」
まだ何か見せてくれるらしいので待っていたら、彼の雰囲気が微妙に変わった。
どこが違うというわけではないのだが、しいて言えば輪郭がさらに引き締まり精悍さを見せ、目線が少しだけわたしより高くなったような…?
「これは、君の中で死ななかった俺。もし殺されずにいたら成長していたであろう姿」
ドキリとした。
確かに、そんな『もしも』に縋ったこともある。
さすがにこれは直ぐに正視することが出来なくて目を伏せてしまった。
「俺を見てくれないの?」
顔を覗き込まれる。おでこが付きそうなほどアイオロスの表情が近くに見えた。少年期を過ぎた青年の顔。それでいて碧がかった瞳には変わらず子供のように純粋な光が宿る。
「背も少し伸びたんだ。ちょっとだけどサガを追い越してるし、体格だって」
俯いているわたしに構わず、アイオロスは無邪気に袖をまくって上腕筋を見せ、悪戯っぽくその腕でわたしの首を抱え込む真似をする。
どぎまぎした。罪悪感だけではない痛みと、よく判らない動揺に身体が震えた。
「戦闘だったら、ここで首を落としてるってところかな?」
にこやかなままアイオロスが告げてくる。
そうか、そういえばリュムナデスの技は、相手の隙を狙うものだった。
これはアイオロスであってアイオロスではないのだ。
そう思ったらなんだか脱力して、頭を体ごと抱きこまれたまま息を吐いた。
アイオロスではないのであれば、この接触も気にならない。
それにしても、たいした技だと改めて感心しかけていたら、目の前のアイオロスの頭へ突然カノンの拳骨が落とされた。驚いていると、怒りを抑えているのであろう弟の低い声が地を這った。
「人の兄に何をしている」
途端に幻惑はとけて、目の前にはアイオロスではなくいつものカーサが現れる。
「リュムナデスの技を見せていただけっスよ。合意なのに殴らなくても」
カノンはいつの間に来ていたのだろう。リュムナデスの術中にあったせいか、周囲への五感が全然働いていなかった。一応わたしもカーサに助け舟を出す。
「ああ、彼の言うとおりだ。リュムナデスの技が幻朧魔皇拳の参考になるかなと…」
そうしたら、わたしの頭にも拳骨が落ちてきた。痛い。
「サガ!お前も海界の公序良俗を乱すな!」
え、ええ?わたしも悪いのか?コウジョリョウゾク?
単語の使い方を間違ってはいないか?
何だか更に続けられているカノンの小言を聞き流しながら、わたしは先ほどのアイオロスの腕の力強さを思い出していた。
(−2007/11/10−)
◆3…(カーサとロス→サガ)
サガは時折海界へ降りていく。カノンがそこで働いているからだ。
昔であれば双児宮を空けることに抵抗を感じたのだろうが、聖戦後に聖闘士が復活し、十二宮を護る黄金聖闘士も十二人揃っている今、多少の融通を覚えたらしい。
彼の居場所は女神のおられる地上だと思うのに、弟さんや海界が彼を持っていってしまうようで、実はちょっぴり面白くない。第一、海界の人たちは聖闘士や女神やカノンを恨んでいるんじゃないだろうか。俺が海の民だったら、海王の眠る隙に散々やらかしていった地上の人間達に対して怒るけど。そんな場所に元凶の兄が訪ねていって大丈夫なのか?
今日も何だかんだでサガは海界に行ってしまった。海界へ向かうときのサガは、何だか開放されたような顔をしている。それも悔しい。無意識になんだろうけれど、聖域はやっぱり息が詰まるのだろうか。
そんな事を考えていたら、たまたま行政の方で海界へ親書を送る必要が沸いた。それも急を要するものだ。
渡りに船とはこのことだよな。
白銀聖闘士に運ばせようとしているシオン様からその親書をひったくるようにして「私が行って参ります」と告げたら、軽く睨まれた。多分、次期教皇としての引継ぎ業務から逃げようとしているように思ったのだろう。まあ、それもあるが。
「私も一度、この目で海界を見ておく必要があるかと」
「…お前はこういうときだけ老獪だの、アイオロス」
次期教皇が見聞を広めるためという建前は我ながら悪くないと思う。実際、教皇になってしまったら簡単には他界に入れてもらえないだろうし、行くことも許されなくなるだろうし。
おそらく公私混同な思惑を見越して許可をだしてくれたシオン様に感謝しつつ、俺は飛ぶようにして海界へ向かった。
公の使者としてなら海界の結界も通してもらえる。強行突破できないような領界じゃないけれど、不法侵入は良くない。親書に刻まれた封蝋…女神の印をかざすと、一瞬間をおいて目の前に通路が開かれた。通路といっても物理的なものではなく、次元の扉のようなものだ。そこを通る時の不快感は一瞬で、すぐに目の前に青の世界が広がった。
海の底は思っていたよりも明るく、美しい世界だった。神殿のあるエリアなど荘厳ともいえる。さっそく海の青が照り映える白の宮殿に向かい、海神の側近のひとりである海魔女に親書を手渡す。ここへ来る前に海界の資料に目を通したが、海将軍たちは皆随分若いなあと思う。俺も人のことは言えないけど。
さくっと公務を終えた俺は、ここへ来ている聖闘士に話があると告げる。今海界へ降りている聖闘士はサガだけなんだが、「サガに会いたい」というよりは体裁がつくだろう。
「彼ならば、北大西洋の柱におりますよ」
海魔女は簡素に答えた。
「確か海龍殿の守護場所だったか」
「ええ」
一応海界をたてて、カノンを海龍と呼んでおく。それにしても性格なのか聖闘士への警戒からか、海魔女はどうもそっけない。
「そんな大切な場所に、聖闘士を置いておくのは不安じゃない?」
ふと悪戯っ気を起こして聞いてみたが、海魔女の表情は変わらなかった。
「海闘士は客人を監視するような真似はしない。それとも、聖闘士は影で信頼を裏切るような姑息な真似をするのか」
逆に問い返されて、俺はすまんと軽率な物言いを謝った。
教えられて向かった先は、まだ復興中といった様相で、今まで通ってきた海界のどこよりも崩壊の傷跡が深かった。流石に海を支える柱は復活していたものの、おそらくはカノンが機能以外の修繕を後回しにしているのだろう。彼の性格ならば、自分の領域の美観を整えるのは最後にまわすだろうなと俺は思った。
それでも白い瓦礫に青の光がゆらめいて落ちるその空間は綺麗だった。
そして、天井へ伸びていく柱の脇に俺の目指す相手、サガが腰を下ろしているのが見えた。
銀の髪が海の光の中でいっそう青みを帯び、彼はまるで海の民のようだ。穏やかな表情で独りを楽しんでいるらしいその姿を見て、ずきりと胸が痛んだ。
サガは聖域ではあんな無防備な顔をしていない。
彼の時間を妨げるようで、声をかけるのを躊躇ってしまう。しかし、先にサガの方がこちらに気づいたようで、優雅な動作で立ち上がるとこちらへ向かってきた。先ほどまでの穏やかな表情が一転し、嬉しそうな微笑をたたえている。邪魔にされてはいないようで、ほっと声をかけようとしたら、サガが思いもかけぬ言葉をはいた。
「カーサ、またきたのか」
え?カーサって誰?何で俺がカーサなんだ?
聞き覚えのある名前に悩んだのは少しの間で、すぐに七将軍のリュムナデスのことであると思い出す。ここへ来る前に海界の資料へ目を通して置いてよかった。確か幻惑の術を使う海将軍だったか。
いやそんなことよりサガは「また」とか言っていた。そんなに嬉しそうな顔で出迎える相手なのか?
戸惑いを隠せないでいる俺へ追い討ちをかけるように、サガがぎゅうと抱きついてきた。
「え、サガ、ちょっと」
俺はわりと突発的な出来事に強い方だと思うんだけど、これには驚いて固まった。ど、どういうことだ?何でサガがカーサとかいう奴に抱きつくんだ?カノンは何をやっているのだ。いやそうじゃなく。
あんまり動揺したものだから、黄金聖闘士にはあるまじき隙が出来ていたのだろう。ふと気づいたら抱えられた身体が宙に浮いて、見事に背中からひっくり返された。
「この間のおかえしだ」
戦闘だったら、背骨を折る勢いで叩きつけていたとサガが笑う。えええ、何だそれは。じゃれあうほどの仲なのか?
悔しくなって寝転がりながらサガを手招きする。何だ?というようにサガが膝を折り顔を近づけてきたので、垂れてきたサガの髪をひっぱって無理やり頭を引き寄せ、口元に軽く口付ける。俺はカーサとやらではなく、アイオロスなのだという主張を込めて。
サガは目を丸くした。怒るかと思ったその表情は柔らかい苦笑を浮かべただけで、更に俺を打ちのめした。
「カーサ、姿も雰囲気も良く似せているが、アイオロスはそんな事はしない」
痛い。
しょんぼりとして聖域に戻った俺は、後でカノンに海界での目付け不足の文句がてら愚痴を言ったのだが、カノンは怒ったような顔をして「バカが二人揃うと面白いな」と言っただけだった。
何でカノンが怒るんだ。
海将軍の資料を読み直して、カーサの項を見た俺は、ますます納得がいかなくて(だってサガは博愛主義だから顔とかは気にしないだろうけど、リュムナデスって性格は卑劣らしいし。サガはそういうの一番嫌いなはずだ)また絶対に海界へ押しかけてやろうと心に決めたのだった。
(-2007/11/27-)
◆4…(カーサと双子1:サガに化けるカーサ)
カノンは海闘士たちへの海底神殿の修復指示をひととおり終えると、一息つくために手近にあった瓦礫へと腰を下ろした。視線をあげると少し離れた正面に北大西洋の柱が見える。カノンは過去の行為への責任から、自身のエリアの修復は後回しにしていたので、支柱となる柱以外の部分は、まだまだ聖戦時における破壊の痕跡が色濃く残っている。
それらを見やり、らしくもなく過去の感傷に浸りかけたカノンは、近づいてくる兄の気配を感じて意識を戻した。サガは地上の聖闘士でありながら、よく海界に遊びに来る。兄は兄で元逆賊であり、聖域への贖罪を日々こなしつつも、やはり息抜きが必要なのだろう。
海界でのサガは昔のように自然で、だから本来は海界将軍筆頭として諌めるべきカノンも、咎めることなくそれを受け入れている。無論、ポセイドンの意向もあってのことだが。
しかし、いつものようにサガが自分の所へやってくるのを待っていたカノンは、不自然な気配に眉を顰めた。確かに兄の小宇宙を感じるのだが、カノンが捕らえた気配は二つ。もう一人分あるべき他者の小宇宙を捉えることが出来ない。
その違和感に警戒しつつ待ち構えていると、対象が向こうの方から歩いてきた。
カノンは目を丸くした。それは寸分違わず同じ姿をした二人のサガだった。
柔和な笑みを浮かべ、どこか機嫌の良さそうなサガ二人が、にこやかに目の前に立つ。
(オレとサガは双子であるが、他人から自分達を見たらこのように見えるのだろうか…いや、これはどうみてもサガが二人だ)
彼がそんな感想を浮かばせたのもつかの間で、二人のサガは交互にカノンへ声をかけた。
「お疲れ様カノン。お前に会いたくて今日も来てしまったよ」
「丁度、仕事の合間であるようで安心した。お前の職務の邪魔はしたくないのでな」
その二人へ、平静を取り戻したカノンが今度は呆れたような顔を見せる。
「片方はカーサだな…お前ら、何やってるんだ」
海将軍たちとサガが、いつの間にか仲良くなっていることは知っていたが、カーサとサガの組合せは何となく不思議になるカノンだった。だが直ぐに、あの中ではカーサやクリシュナが年齢的に一番話が合うのかもしれないと考え直す。それにサガはデスマスクとも気が合う。カーサに慣れるのも早かったのだろう。
だからといって、これは何だ。
サガ二人は顔を見合わせてから、悪戯っぽい笑顔でカノンの方を向いた。
「「ここでクイズだ。どちらがお前の兄か、当ててみろ」」
「……………」
カーサの技は、相手の心にある人間の姿と心を完璧にコピーするというものだ。
見た目で判断することはほぼ不可能である。
それを知った上で、どちらが本物か当てろと言っているのだ。おそらく、実際に当てさせることが目的なのではなく、カノンの反応を見て楽しむことが主目的なのだろう。
そう判断して、カノンはフンと鼻を鳴らした。
すっと立ち上がり、無言で右手に小宇宙を高め始める。そしてニヤリと笑った。
カノンの意図を察して二人のサガが青ざめる
「今からギャラクシアンエクスプロージョンを放つ。無事だった方がサガだ」
言うや否や、一気に小宇宙を黄金の位まで高め、返事も待たずにそれをぶちかます。周囲の瓦礫は簡単に吹き飛び、地面にはクレーターのごとく大きくえぐれた穴が出来た。攻撃対象の中心にはもうもうと土煙が舞う。
暫くして視界を覆っていた土埃が消え、その中心部から姿を見せたのは、引き攣った顔で驚いているサガと、そのサガを庇うように立ちはだかり、防御壁を完璧に展開しているもう一人のサガだった。
「お前は…危ないだろう!」
前面に立つサガが怒る。
「ちゃんと手加減したし。その証拠に余裕で避けれているじゃないか…で、お前がサガだな?」
近づいて行って、そのサガの頭をぽんぽんと撫でると、兄はむくれながらも苦笑した。
「他の方法で、わたしだとわからなかったのか」
「無茶言うな。リュムナデスの…海将軍の能力をナメてるだろ」
後ろにいるもう一人のサガが、褒められたのか?と微妙な顔つきになっている。カノンはそちらへ向き、苦言を零した。
「お前もお前だ。海将軍の必殺の技は、サガのお遊びに付き合う程度のことで軽々しく使って良いものでもあるまい」
たった今、自分が双子座の必殺技をさらりと放ったことは棚に上げてぎろりと睨む。カーサの化けたサガは怯えたようにサガの後ろに隠れた。顔だけこそりとサガの背中から覗かせて抗議する。
「カノンよ、遊びではない。技の強化の為に協力をしてもらっていたのだ」
「サガの口調のまま話すな!というか、お前の方が本物よりも仕草の可愛いところがむかつくぞ」
しかし、この何気ないひとことが、地雷となって返ってくることになった。
「仕方があるまい。わたしが写しているのは本物ではなく、あくまで相手の心の中にある人物像なのだ」
この場合、カーサはカノンの中のサガ像を実体化していることになる。
「……」
「幾分、実像と誤差があるようなのだが」
「…カーサ、それ以上しゃべったら異次元へ飛ばす」
気まずさを誤魔化すため威圧的な小宇宙を放出し始めたカノンに対し、話の流れの判っていないサガは、二人の間をとりもとうと口を挟んだ。
「彼の言うとおり、リュムナデスの技は本人のコピーではない。それゆえ実物とは差異の出る場合もある。わたしのように多面性のある人間を写し取るのは、誤差を埋めるための良い修練になるそうなのだ。彼はそれでお前の中のわたしに化けて比較チェックをしようとしただけで…からかったのは悪かったが、リュムナデスを責めないでやってくれないか?」
そのように説明されると、筆頭将軍としては怒る理由がない。
「フン、訓練であるのならば、まあ許してやろう」
カノンがそういうと、サガの後ろから安心したように、おずおずとカーサの化けたサガが前に出てきて微笑んだ。その笑顔だけは完璧にサガのごとく神の輝きだ。笑顔のまま小首をかしげ、カノンへ告げる。
「サガの言うとおりだ。短気なのはお前の悪いクセだぞ、カノン」
ゴゴゴゴゴと音のするがごとく、カノンの小宇宙が巨大化した。
「やはり、お前は一発殴る!」
急速に高まった小宇宙を見て、サガが慌ててカーサを南氷洋の柱へ瞬間転移させるのとほぼ同時に、カーサのいた場所にはカノンの光速拳による人間大の穴が開いていた。
後に残されたサガが、呆れた目を弟へ向ける。
「短気だと言われてこれでは、そのままではないか」
「うるさいな。大体サガ、元はといえばお前が悪い。聖闘士のくせに海将軍に協力していいのか」
「それを言ったら、お前はどうなる」
「オレはシードラゴンも兼任しているので問題ない」
それを聞くとサガはふっと真面目な顔になった。そして思いもよらぬことを言い出した。
「わたしは聖闘士としてではなく、お前の兄として彼らと仲良くなりたいのだ。それに、おそらくだが、海将軍の中では彼が1番、日常的な実務面で役立つようになるだろう」
「は?あいつが?まさか。どういう基準だよ」
当然、まったく納得しないカノンへ、サガが話す。
「このような話をして思い出させてすまぬが…他の海将軍は過去のお前の行為に対して、怒りながらも許しているというスタンスだ。それに対してカーサは、お前に対して怒りがなかったとは言わぬが、目的のためであれば手段を選ばぬこともあるだろうさと達観している。最初からあまり気にしておらぬように思う」
サガは南氷柱の方向を柔らかい目で見た。
「昔のわたしであれば、そういった考え方は単純に忌み、払い捨てていただろう。だが、海神はそういった人材をも海闘士として呼んだ。聖域に聖人だけが集うわけではないように。そういった彼らをどう育て導くかが、統括者の責務であると、わたしは教皇時代に知ったのだ…ああいう人間が、集団の縁の下の土台となることも多い。それにあの能力。相手の内面を読めるという事は、外交や諜報活動で多大なる利点を発揮するだろう」
いまはただ、カノンの兄としてここにいるサガが、視線を戻して微笑む。その笑みは、先ほど偽サガが見せた笑みとは似て非なるものだった。
「…判ってるさ、オレの役目くらい。お前、やはり説教臭いぞ」
カノンはフイと横を向いた。どうもサガの前では素直に反応するという事は照れくさいのだ。
サガは、まだニコニコと笑っている。
「お前の中で、わたしはあのように見えているのか。面白かった」
「う、うるさいっ!今度はお前の中のオレもカーサに化けさせろ!」
「かまわぬが、物凄い愚弟になりそうな気がする」
ようやく落ち着いた二人は、軽くじゃれあいながら、お茶を飲むため海底神殿への道を並んで歩き始めた
(−2008/4/16−)
◆5…(カーサと双子2:カノンに化けるカーサ)
「今度はサガの中のオレに化けてみろ」
それはちょっとした好奇心だった。
先日、カーサがサガに化けた事を思い出しての言い分であったが、カノンのその要求に対して、カーサは何故かあまり良い返事をしない。
そうなると却って気になってしまい、渋るカーサを連れてカノンがサガの元を訪れたのがつい先ほどの話。
サガの感知範囲まで近づくと、カーサの姿は消え、そこにはカノンの姿が現れた。
ただし、13年前の。
そっくりな姿でサガの前に並び、意趣返しをしてやろうと思っていたカノンの思惑は完全に外れてしまい、それでもまあ折角来たのだから挨拶くらいはとサガに声をかけると、サガは驚いたように目を見開き、それから弟の名を呼んだ。
「カノン」
その名が向けられたのは、15歳の姿をしたカノンの方だった。
サガは、じれったいほどゆっくりカーサの化けたカノンへと近づいた。そしてその両頬へ触れた。
カーサの技は完全に相手の感覚を支配する。しかし、判断力まで鈍らせるわけではない。
それなのに、サガの眼中には、15歳のカノンの姿しか映っていなかった。
「スニオン岬へ閉じ込めたはずのお前がどうして…そうか、改心したのだな。だから女神のお許しを得られて、外に出ることができたのだな」
兄の姿があまりに嬉しそうで、呆然と見ていたカノンは崖から突き落とされたような気持ちになった。
聖戦後も、サガの不安定な精神が、ときおり揺らぐ事は知っていた。
だからといって、これはない。
サガに抱きしめられた15歳のカノンが、サガの背中越しにカノンの方を見て、そしてにやりと笑った。それは確かに正しく写し取られた、13年前の自分だった。
「サガ、オレはここにいる!」
カノンは振り向かないサガの背中へ叫んだ。
(−2009/4/12−)