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◆銀の檻


 タナトスは銀の鳥篭を手に、絹張りの椅子へと腰を下ろした。
 鳥籠を膝に載せ、いくぶん機嫌良さそうに中の黒猫を覗き込む。
 死の神と目の合った黒猫は低い威嚇の唸り声を上げた。媚びる様子は全くなかった。
「少しは挫けるかと思えば、可愛げの無い」
 言葉と裏腹に、タナトスは楽しそうだった。整った指先で鳥篭の扉を開けると、そこから猫の姿は消え、代わりに敵意を顕わにした黒髪のサガが目の前に現れる。両手と両足をそれぞれ固定した枷、鎖を垂らした首輪、そんなものが彼を拘束していたが、紅眼は力を失っていなかった。それどころか、馬鹿にしたような目つきで死の神を一瞥した。
「相変わらず、お前の方は俺に跪く気がないようだな」
 嘲笑うようにタナトスは語りかける。黒サガはフイと視線を逸らした。
 返答も拒んでいるのが手に取るように判った。
 タナトスは座ったまま、面白そうに黒サガを見上げた。
「俺がお前の半身を虜にしている事が気に食わんか?」
 やはり返事はない。
 タナトスは声をあげて笑った。
「貴様のその矜持に免じて、アレに触れるのを止めてやっても良いぞ」
「…なに」
 初めて黒サガが反応を示して振り返る。その怪訝な顔つきの中には、一層の警戒心が溢れていた。その真正直な反応は、タナトスの思惑通りのものだった。
「素直すぎる人形にも飽きてきた。お前が望むなら、願いを叶えてやっても良い」
「何と引き換えにだ」
 黒サガは、タナトスが自分へ何らかの条件を持ち出すのだろうと身構えた。代わりに自分へ手を出そうなどという了見であれば、即座に退けるつもりでいる。
 しかしタナトスは口元に笑みを残したまま答えた。
「主人として愛猫の願いを聞くことは、それほどおかしなことではなかろう」
 その言葉を優しさとして受け止めるほど、黒サガはお人よしではない。
 意図を探りきれず、警戒からまた無言となった黒サガへ、タナトスはもう1度繰り返した。
「お前の望み、叶えてやろう」


 宣言どおり、その日以降タナトスが白サガを相手にすることは無くなった。
 その代わり、白サガの部屋から毎日のように銀の鳥篭を持ち出しては、中の黒猫を自室へ連れて行く。
 タナトスの私室で何をするかといえば、とりたてて何をするわけでもない。
 銀の檻から黒サガを開放し、ただし鎖は繋いだまま部屋の中で自由に歩き回る事を許しておくだけだ。
 そうしておいて、タナトスは黒サガになど興味がないとでもいうかのように、のんびりと古書を読んだりして一日を過ごしている。
 ある時、黒サガはタナトスの隙を狙って攻撃をしかけてみた。けれども鎖が小宇宙を封印し、かすり傷ひとつ負わせることが出来なかった。彼の拳は簡単に防がれ、それこそ猫が戯れたかのように軽くあしらわれてしまう。
 それ以降、黒サガは無駄な攻撃をしかけることはやめ、代わりにタナトスと同様、古書へ目を通す事に専念した。部屋の本棚には豊富な蔵書(それも神代の希少な英知の詰まった)が並んでおり、その知識を得る事は、直接的にではないにせよ、何らかの形で現状打破のヒントになるものがあるかもしれないと考えたからだ。
 黒サガはそう気の長いほうでもないが、目的の為に時間を費やす事は惜しまない。
 だが、変革は別の場所から訪れた。


「お前ばかり、どうして」
 タナトスが白サガに構わなくなって二週間ほどたった頃だろうか。
 うち萎れた白サガが、搾り出すように言葉を漏らした時、黒サガはタナトスの意図を理解して盛大に舌打ちした。
「お前はいつでも、私の大切なものを奪っていく」
 既に大分心を壊されている白サガは、その壊れた価値基準によって糾弾の矛先を黒サガへと向けた。
「私は、タナトス様のいうとおりにしているのに、お前があの方に逆らうから、私まで疎まれる」
 理屈をなさぬ言いがかりを唇にのせ、それでも零す涙だけは純粋なまでに透明な白サガは、泣きながら黒サガの胸を叩いた。その精神はもう、ほとんど「サガ」を保っていなかった。神の高濃度な小宇宙に冒され続けたサガは、その依存性によって、タナトスとの長期にわたる離別が心身ともに耐えられなくなっていた。高潔な精神は歪められ、論理的な思考回路は精神を引き裂かれた最初から奪われている。
 自分とタナトスの間になど、何も無い。そう言訳をしたところで、それを目にすることの出来ぬ白サガが信じるはずも無いし、信じぬよう巧妙にタナトスが白サガの精神を誘導しているフシが見られる。それに、黒サガの言い分を白サガが聞き入れたところで、彼が放置されていることに変わりは無いのだ。
(死の神の影響を排除し、元の強靭な精神を取り戻す前に、このままではコレは完全に壊れてしまう)
 己が檻の中で守られていたあいだに、白サガはひたすら壊され続けていたのだと今更ながら気づく。
(その結果がこれか)
 黒サガは半身の破滅を感じ、戦慄した。
「やっと幸せになれたと思ったのに」
 タナトスの揶揄のごとく、人形のように白サガは涙を溢れさせる。
「私は、お前が憎い」
 ほとんど壊れかけの半身からぶつけられた憎しみを前に、黒サガは溜息をつき、天を仰いだ。


「さあ、次のお前の願いは何だ?」
 タナトスは足を組み、尊大な態度で黒サガを見上げた。
 彼の前に立つ黒サガは、今まで以上の憎悪を隠さないものの、どこか諦念の色があった。
「貴様の勝ちだ」
 そう吐き捨てると片膝をついて面を下げる。
「…アレに構うなと言う願いを、今しばらく撤回する」
 淡々と伝える黒サガに対し、タナトスは大声で笑った。
「ハハハ!お前は賢くて話が早い!」
 そして頭を下げている黒サガの髪を乱暴に掴んで、顔をあげさせる。
「お前の望みを、叶えてやろう。主人は愛猫の願いを聞くものだからな」
 その言葉とともに、黒サガの鎖は崩れ落ちて消えていった。
「鎖はもう必要あるまい。賢い飼い猫には首輪だけで事足りるはず」
 言外に含まれた服従の強制を理解できぬ黒サガではない。
 タナトスは椅子から立ち上がり、黒サガの顔を優しく覗き込んだ。
「さあ、一緒にお前の半身を迎えに行こうか」
 黒サガは一瞬、底冷えのするほどの殺気を放ったものの、何も言わずタナトスに従った。



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(2008/10/20)


拍手より移動。あんまり黒い子は調教されてくれません。
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