「たまには下界へ降りてみるのも、面白いかもしれぬな」
白のサガが、似合わぬ酷薄そうな面持ちで笑った。
それも当然のこと、サガであるのは見た目だけで、中身は彼を依り代として使役するタナトスなのだ。
死の神タナトスは冥界再興の目的以外でも、気まぐれにサガの肉体へと憑依しては、その身体を好きなように酷使した。
「お前はどこへ行きたい?」
話しかけられて露骨に嫌な顔をしたのは、同じ容姿でありながら、髪と瞳の色が異なるもう一人のサガ。
双子座の精神力を削ぐために、白サガと黒サガは切り分けられて、それぞれ服従を強いられている。
黒サガのほうは全くタナトスを受け入れる気などなかったが、白サガの方の魂の損壊が著しいため、仕方なく半身をタナトスへ預ける形でこの地へ留まり、機を見ては修復を試みている状況だ。
やりにくいのは、人質にとられている白サガが殆どタナトスの支配下にあるというところだった。
「貴様のいない場所へ」
口では悪態をついて返すものの、タナトスの手のひらで遊ばされているという事に変わりはない。
直接痛めつけられる方がまだマシだと、黒サガは内心でタナトスへの呪詛を吐いた。
無論、そういった黒サガの気性を判っていて、タナトスは効果的に黒サガを揺さぶるのだ。
「なるほど。俺がいない場所を望むか」
死の神は薄く笑い、黒サガの手をとる。
「では、『私』とならばどうだ?」
にこやかに微笑んだのは、タナトスと表面意識を入れ替えた白サガだった。
「私と一緒に、地上へ降りてみないか」
身に宿すタナトスの意のままに、白サガは言葉を紡ぐ。
言葉だけでなく、身体を寄せて親しげに触れる。
手に取った黒サガの指を、そっと引き寄せて己の指を絡め、無邪気に話す。
「折角こうして、別々の身体を得たのだ。思えば女神の元では反目しあうばかりであったが、タナトス様の元でならお前と仲良くできるような気がする。この機会に、二人で地上を歩くのも悪くないだろう?」
朗らかにすら見える白サガとは対照的に、黒サガの表情は固い。
激しい怒りと憎悪を押し隠し、噛みしめる口元。半身への憐憫、軽蔑、そして言葉では表せない感情。
その面にはさまざまな色が浮かんでは直ぐに沈んだ。
白サガはしばらく黒サガの指を弄んだのち、まるで旧来の恋人であるかのように、黒サガと腕を絡めた。
「そうだ、地上へ降りるのならばカノンのところへ行きたいな。カノンに会って、今の私達を見せてやろう。二つに分かれた私達に驚くに違いない。その場面を想像するだけで楽しくは無いか?そして、驚きが収まった頃に、カノンも私達と暮らすよう誘うのだ。ああ、カノンはきっと喜んでくれる。弟はあれで人一倍寂しがりだったから」
そうしよう?と見つめる瞳から視線を逸らし、黒サガは最大限の努力で殴りつけたい衝動を抑えた。
正気に戻った時に、一番己の言動を恥じるのは白サガ自身であろうからだ。
だが、今はまだ捻じ曲げられた白サガの魂は、タナトスの小宇宙に簡単に影響される。
「弟を連れて地上から戻ったあとは、ずっと一緒にここで暮らそう」
心身ともに服従を強いるタナトスは、白サガを利用して黒サガを誘い続けるのだ。
(…その言葉を13年前に聞きたかった)
ほんのわずか、そのような思いを浮かべた黒サガは、その感情を強く否定し、誘惑を退ける。
「タナトス様は、私達の望みを何でも叶えてくれる」
黒サガの胸中などまるで無視したまま、白サガは穏やかな表情で半身の肩に頭を預けた。
(2008/10/24)
拍手より移動。黒白サガが逆の立場だったら、白サガは黒サガを殺してやることによって彼の尊厳を守ろうとする気がします。死の神相手なので、殺しても余計タナトスの所有権が高まるだけで無駄なんですが。