01.
いつかの天体観測
02.
君じゃダメなんだ
03.
ずっと友達でいようね
04.
再会はあの桜の木の下で
05.
ふたりだけのタイムカプセル NEW
06. くされ縁もここまでか、
07. 幼なじみの義理チョコレート
08. ただ傍にいたかっただけ
09. 別々の道を歩んでも
10. 昔から君はそうやって
◆
いつかの天体観測
サガは習いもしないのに星見の力に長けていた。スターヒルに登ることは教皇のみの秘事ゆえに禁じられていたが、丘陵にある双児宮から見上げた夜空の一部だけでも、世界の流れを読むことがあった。聖域の諜報部隊を通して情報を精査すると、より一層その力は正確さを増した。
一方、アイオロスは星見をそれほど得意としない代わりに、先天的な才能として危機察知能力に優れていた。虫の知らせとよばれる類の力だ。その勘の良さは主に戦場で発揮され、彼のお陰で部隊が敵の罠を回避できたことも何度かある。その秘訣を聞いても「ただ、何となくそちらから嫌な感じがしたから」というだけで、本人にもよく判ってはいないようだ。
シオンは、次代の教皇をこの二人から選ぼうと思っていたため、サガとアイオロスのあらゆる面での資質を観察していた。教皇は天の星だけではなく、地上の88星座である聖闘士たち全てを観測して戦力状況を把握し、世界へ配することも求められる。
天と地の星の両方を違えることなく読み取ることが、教皇の星見の本当の目的だった。
シオンの目算では、サガは天を読むことに長け、アイオロスは地を読むことに長けている。
だが、とシオンは首をかしげ、念話で童虎に漏らす。
『どうもその才とは逆に、サガは地上を見つめすぎ、アイオロスは天を見上げすぎている気がするのだ』
どうということもない、両者の微妙なズレ。小さな虫食い程度のすれ違い。
しかし童虎は、聖域を長年にわたって治めてきた友人の、神経質にも思える指摘を馬鹿にはしなかった。その細かすぎるほどの目配りあってこそ、聖域は保たれてきたのだ。
『シオンよ、お主が上手く指導して、互いを補い合わせるようにしてやれば良かろう』
『ああ、そのように気を配ってはいるのだが、どうも…』
『何か問題があるのかの?』
『いや…気のせいかもしれん。今しばらく様子をみることにしよう』
シオンは念話を打ち切ると考え込んだ。
あの二人は、シオンが仕向けなくても磁石の両極が引き合うように、対となり惹かれあっているように見える。守護星の性質からみても、火と風の宮という互いをフォローしあえる理想的な星を持っている。実際、仲も良い。
にも関わらず、彼らの視点は交差していない。そしてその事に二人が気づいていない。
シオンは仮面の口元へ手を当てて、さらに深く神経を研ぎ澄ませる。
(いや、そんな事か?この不安の源は。もっと違う何かが…ああ、すっきりしない)
射手座と双子座を視るときに感じる違和感の元を探ろうとしても、目の前に見えないガラス板があって、それを通す景色が別のものとすり替えられているような、そんな確証のない干渉を受けている気がしてならない。
シオンは仮面の下で眉間に皺を寄せた。
何かが正しい星見が行われぬよう干渉しているような。何かが結界の中で育っているような。何かが…けれども、それは気のせいだと囁く何かもいる。
(もしもこのシオンの目を眩ませるほどの、巧妙で強大な力を持つものであるすると、これは厄介なのだが…)
愚痴めいた溜息を吐いて、シオンは玉座に深くもたれ天井を見る。二百余年の歳月を戦い抜いてきた彼の仮面の内側には、わずかに疲れの色が見えた。
それでもシオンは星の観測を続けなければならなかった。近い未来、確実に生まれてくる女神のために。
「聖域を保つのも楽ではないわ」
誰にも聞こえぬ本音を零しつつ、その疲れすら楽しむことを知る教皇は小さく笑う。
シオンは一呼吸をおくと小宇宙を極限まで押さえ、二人の黄金聖闘士の内面を監視するために密かに思念の触手を伸ばした。
2007/2/6
◆
君じゃダメなんだ
何かの気配を感じたような気がして、訓練中のアイオロスは顔を上げた。
だが、とくに変わった小宇宙が感じられるわけでもない。彼は気を取り直して再び視線を前へ戻した。
目の前では聖衣を纏ったサガの指導のもと、聖闘士の候補生たちが肉体と小宇宙を研鑽している。黄金聖闘士であるサガの訓練は厳しくも的確で、それぞれの子供たちの素質に見合った内容となっていた。
聖域に集まった大勢の候補生たちは、ここで大まかな資質をチェックされ、中でも見込みありと思われた候補生は、その資質にそった師匠の下へと送られていく。
選ばれなかった候補生もそこで諦める必要は無く、聖域の守り手としての修行を積み、その修行のうちに聖闘士を目指したり、知識を磨いて神官の道へと進んだりするのだった。
アイオロスはサガに声をかけた。
「今日はこれくらいにしておこう。坊主どもは、そろそろ夜のまかないの手伝いをする時間だ」
サガはその声にちらりと振り返り、了承の印に小さく頷くとパンと手を叩いた。
「では、今日の訓練はここまで。常日頃から小宇宙を高める鍛錬は怠らぬように」
大抵の候補生たちは、返事とともにその場でぐったり座り込んで息を整える。その合間をぬって、サガは汗ひとつない涼しい顔でアイオロスの元へ歩いてきた。
「陽が落ちるまでもう少し時間があるが、どうする?もし良ければ、私と手合わせを願いたいのだが」
「うーん、とても魅力的な申し出なんだけど…この格好で?」
言われてサガは互いの姿を見比べる。
「そうだな。御前試合でもないのに、軽々しく聖衣でやりあうのものではないか」
「それ以前に、聖衣着用だと周囲への被害が心配で、おちおち技も繰り出せないよ」
二人は顔を見合わせて笑った。
「では聖衣はここで脱いで、先に双児宮へ帰…」
言いながら聖衣を外しかけたサガを、慌ててアイオロスは制した。
「ちょっと待った!」
その大声に訓練生が何事かとこちらを向く。それに気づいたアイオロスはコホンと取り繕うと声を落とした。
「アンダーは着ているか?」
「当たり前だろう。何を言っているんだ」
「だってサガ、沐浴上がりの時とかに平気でシーツを纏っただけで宮の周りを歩いてたり、着衣気にせず聖衣を呼んだりしてたじゃないか」
「いつの話をしている。子供の頃だろうそれは。それに、この私が稽古をつける時に全裸で聖衣を纏うとでも思っているのかお前は!」
「ああ、良かった。ちょっと心配だったんだよなあ。こんな処でサービスされても勿体無いというか、目の毒というか」
「ほお…ならば、いつも上半身をさらけ出しているアイオロスは、随分とサービス精神に溢れていることになるな」
「なっ!人を露出好きみたいな言い方で!日中は暑いのだから仕方ないだろう!」
「先に妙な言い方をしたのはお前だ、アイオロス!」
「………」
「………」
「サガ、今の俺の闘志を抑えるのは、君でも無理だね。いやむしろ君がダメだね」
「同じ言葉を返す。お前ではこの私を止められないだろうが」
結局そのまま聖衣を脱ぐことなく千日戦争に突入していった二人の黄金聖闘士を見て、候補生たちは『またか』という顔をしていた。
「サガ様もアイオロス様も、非の打ち所のない聖闘士の鑑なのにな」
「どうして二人揃うとああなるんだろね」
さらにもう少し年のいった雑兵などは、小宇宙のぶつかり合いによる衝撃波から身を護りながらこうぼやいている。
「あんな、犬も食わんやり取りを見せられる方が、余程目の毒なのだがなあ」
その後、何故かそれは直ぐに教皇の知るところとなり、訓練場に響き渡るほどの小宇宙通話で『貴様らはもっと黄金聖闘士としての自覚を持ち、後進の模範となる言動を心がけよ!』と二人共に正座させられた上、キツい説教を食らったのだった。
2007/2/6
◆
ずっと友達でいようね
「あははは。聖衣で正座って、結構きつかったね、サガ」
「アイオロス…全然キツそうだったようにも、反省しているようにも見えないのだが」
教皇による説教のせいで夕飯時刻に遅れた二人は、早足で家路についていた。
ギリシアの日暮れは遅く、夜となっても薄明るい居住区は賑わいを見せている。
「いやあ、キツいよ。正座なんて拷問の一種だろう?教皇の説教も長すぎるし。あ〜あ、アイオリアがお腹すかせて待っているだろうなあ」
「…やはり、全然反省していないではないか」
呆れたように言うサガを、アイオロスはちらりと横目で見た。
「じゃあサガは反省しているのか?」
「当たり前だ。お前の口車にのって軽挙に及んだことを恥じているところだ…だから」
アイオロスの視線に、サガは片目を瞑り、悪戯っぽく笑った。
「次は聖衣なしでやろう」
「そうでなくっちゃ。あと、見物人もなしで」
「ああ。周囲を気遣いながらでは、落ち着いて技も出せないからな」
ひとしきり二人で笑ったあと、アイオロスはぽつりと零した。
「ずっと、こんなふうに、誰かを倒すためではなく、互いの技量を高めるために拳を振るうだけで済めばいいのに」
それを見つめ返すサガの瞳には、先ほどの呆れとはまた別の色が混じる。
「埒もないことを。聖闘士を目指した時点で、それはありえないことだろうに」
「覚悟は出来ている。それでも、平和なのが一番いい」
「…そうだな。地上を狙う神さえ居なくなれば、かなり平和になるのだろうが…」
聖闘士の務めは女神とともに神々の侵略から地上を守ることであり、人間同士の諍いには基本的に手を出すことはない。よって、その攻撃対象は主に人外。戦う相手はほぼ神の配下の魔獣や巨人、そして闘士に限られる。
地上を狙うのも神であれば、その地上を守るのも神。
その狭間で死んでいくのは、いつも力無き人間たちなのだった。
(神さえいなければ…)
しかし、サガは内面の想いを振り払うように明るく答えた。
「もうすぐ女神が降臨される。そうしたらきっと、今よりも平和な世界が訪れるだろう」
「聖戦に勝てばね」
「仮定は存在しない。私たちは必ず勝たねばならない」
「うん」
アイオロスは、何か遠いものを見るかのように、サガを通り越してその後ろの道へ目をやった。石畳は大通りへと続き、その向こうには雑踏が横たわっている。
「ねえ、サガ。その聖戦が終わっても、俺と友達でいてくれるかな」
唐突な友人の言葉に、サガはきょとんとした顔をした。
「当たり前だろう。私たちは同じ女神の聖闘士だ。ずっと仲間であることに変わりは無い」
「仲間…うーん、微妙にニュアンス違うんだけどなあ」
苦笑しながらも、アイオロスはサガの手を握る。
「いまのは、聖戦の後までも、君に生きていて欲しいって意味で言ったんだ。何があっても生き延びて、またスポーツみたいな試合をしよう」
「…アイオロス」
先代の聖戦は苛烈を極め、生き延びたのは黄金聖闘士ですら天秤座と牡羊座の二名だけであったという。自分の命を自分の為に使うことの許されぬ身では、簡単にその言葉に頷くことは出来なかったけれども、サガは友人の手を握り返した。
「判った、約束しよう…お前が良いというまで、私は死なない。そのかわり」
空いているもう片方の手で、アイオロスの眉間に指を突きつける。
「私より上の宮にいるお前は、必ず女神を守りぬけ。このサガが死なぬ限り、双児宮より上の守りは必要ないかもしれないがな」
アイオロスもニコっと笑い返し、鋭い視線でサガに約束をする。
「相変わらず、大した自信だ…そういう処が好きなんだけど。ま、俺たちも教皇たちのようにしぶとく何百歳までも生きてやろうじゃないか」
「アイオロス…何百歳は無理じゃないかな…」
「でも、老師とかも既に二百歳越えてるって噂なんだけど」
たわいない言葉を交わしているうちに、二人は家路への別れ道に至っていた。
ふと気づいてアイオロスがサガを誘う。
「良ければうちへ寄って行って、三人で一緒に食べないか?」
サガは返事の代わりに、やんわりと手を振り解いた。
「ありがとう、折角誘ってもらったけれど、もう従者に支度を頼んでしまってあるから…」
そのとき、微妙にサガが目を反らしたことに、アイオロスは気づかなかった。
「また明日に」
「それじゃあ、またな。サガ」
そうして二人は、分岐点からそれぞれの路へと進んでいった。
2007/2/27
◆
再会はあの桜の木の下で
サガが家に戻ると、弟のカノンが待ちくたびれた様子でテーブルに付いていた。
飾り気の無かった卓上には質素な花瓶が置かれ、花の付いた切り枝が挿されている。
「ただいま、カノン」
そう声を掛けると、弟は面倒臭そうにこちらを見て「遅い」と文句を言った。
「ごめん、ちょっとシオン様に引き止められてね。それよりこの花はどうしたんだ?」
「従者が持ってきた。桜桃の花だってさ」
甘果桜桃…いわゆるサクランボは、ヨーロッパ西部に自生しており、ギリシアでも古代から栽培されていた記録が残る。しかし卓上のそれは葉もすくなく、人工的に改良された品種なのだろう。
「入れ物が足りねえから、まだ水場に何本も置いたままだ。何だったら人馬宮のあいつのところへ持ってってやれば?」
サガは驚いた。今までカノンがアイオロスに対して何であれ気を回した事などないからだ。
「ありがとう、そうしようかな。しかしどういう風の吹き回しだ?」
つい聞いてしまったのは仕方あるまい。
「サクラを英語でなんて言うか知っているか?」
「cherryだろう」
「童貞にはぴったりの花だな」
「……」
「純潔も意味するらしいぜ。桜の木の下で会おうと言うときは、お互いそれまで綺麗なままで会おうっつー相手への貞節を意味するそうだが、お前にもぴったりじゃん?どうせ、お前もやったことないんだろ」
言い終わるや否や、カノンの頭にはサガの拳骨が落ちた。
2007/6/16
◆
ふたりだけのタイムカプセル
満開のアーモンドの樹の下で、サガが幹を背に眠っているのがアイオロスの目に映った。
そよ風で枝が動くたびに花びらが舞い散り、サガの身体の上に積もってゆく。腰まで届きそうな銀糸の髪はふわりと背に広がり、たとえようもない美しさだ。
アイオロスは彼の元へと近付き、黙ったままかがみこんで静かに口付けた。彼が初めて触れる唇は、思ったよりは柔らかくなくて、それでいて吸い付くようだった。
そのままアイオロスはサガの顔を見つめ、困ったような顔をしてから立ち上がり、その場を去っていく。サガが寝ているフリをしていることに、気づかないフリをして。
サガもまたアイオロスが気づいたことに、気づかないフリをした。
誘ったのは明らかにサガであったが、サガが誘うよう望んだのはアイオロスのほうでもあった。
二人はそのようにして、幼かった今までの自分を、アーモンドの樹の下に埋めたのだった。
2010/4/4