1.革婚式 / 2.地獄の萌芽 / 3.そろそろ子どもが
◆革婚式…タナトスと白サガ
外出していたタナトスが、包みを持って帰ってきた。卓上にそれを置き、開くように言いつける。サガが素直に包装紙を開けると、そこには何やら道具らしきものが色々入っていた。
「鞭に口枷に皮ベルトに首輪…?」
首を傾げたサガへ、タナトスは得意そうに言い放った。
「今日は結婚記念日であろう。毎年祝うものだとお前が言っていたではないか」
「覚えていてくれたのか!」
サガが驚きの声をあげる。
確かに1年前の今日、結婚記念日についてタナトスへ説明した。数百年を一睡程度に過ごす神からすると、たかが1年単位で物事を祝う感覚がなかったためだ。
「フ…神は1度聞いたことを忘れはしない。今年は革婚式だそうだな。それゆえ我々のフウフ仲の進展に役立ちそうな革製品を用意したのだ」
「これらがどう役立つのだろうか。犬でも飼うつもりなのか?」
サンクチュアリの箱入り28歳には、邪な下界の風俗情報など得る機会はない。意図を汲めぬのは天然だからではなく、純粋に情報不足が原因であった。
「お前は想像力がないのか。フウフ仲の進展に役立てると話したではないか。我々が使うのだ」
タナトスからそう言われても、サガ(とくに光を担当するサガ)にはぴんとこない。
「わたしに首輪を付けられたいのか?」
「ナチュラルにオレへ振るな!オレがお前に使うのだ!」
「それで我等の仲がどう進展するというのだ」
しつこいようだが、聖域純粋培養のサガにそんな下世話な知識はない。
だがタナトスにとってそれは想定内だ。ゼロから染めるのが楽しいのだから。
「さっそく今から教えてやろうか」
「タナトス…」
しかしさすがのタナトスも、この直ぐ後にサガが統合化して、逆に自分の身が危うくなるとは思ってもみないのであった。
2012/4/1
◆地獄の萌芽…タナトスと黒サガ
冥府へと飛んだサガは、小高い丘の一角にたち、周囲をぐるりと見回した。
聖戦時、ハーデスの敗北とともに1度崩壊したこの世界は、新たに造り直されたものの、当初は荒廃した不毛の地でしかなかった。かつて存在した地獄の数々も『死後まで人間を罰しないこと』というアテナの希望により失われている。
しかし今、眼下には細々とではあるが血の川が流れ、その脇には針の山が生まれつつある。地獄が少しずつ復活しているのだ。
サガはそれらを冷めた目で眺めている。
その背に、後ろから声がかけられた。
「珍しいな、オレの呼び立てにお前のほうが応えるとは」
話しかけたのはタナトスだったが、サガは振り向くでもない。崖下から吹き上がった風で、黒に染まった髪がわずかになびく。黒髪は闇を司るほうのサガが表に出ている印だ。
「アレを指名するのならば、ここを待ち合わせ場所に指定はしまい」
「そういうわけでもないのだが」
サガの不遜な物言いを、タナトスは寛容に流した。聖戦前には決してありえなかったことだ。
「だがまあ、確かにお前に見せてやりたかった。この景色を」
タナトスの言葉に、ようやくサガが振り向く。
「わたしに?」
「そうだ。お前は地獄が失われることに、不満があったようだからな」
光のサガであれば否定したろう。それはアテナの意向に異を唱えるも同然だからだ。しかし闇のサガは苦笑しつつも頷いた。
「神に隠し事はできぬか。ああ、わたしは地獄が必要と考える。人間への抑止力として」
「聖闘士のくせに、そこはハーデス様と同じ意見か」
「同じではない。罰が永劫に必要とは思わぬ…しかし、良いのか?」
『良いのか』というのは、冥界が女神の希望を無視して、地獄を復興させようとしていることに対しての問いだ。このことが聖域側に伝われば、ひと悶着あるだろう。
だがタナトスは楽しそうに笑った。
「地獄を生んでいるのは我々ではない。人間だ」
「なに?」
「地上に流れた血が川をつくり、正義を求める人間が針山を育む。人は浄土にのみ救いを求めるわけではない。生前に悪行をなした者が、何の制裁もないまま往生した場合、残された被害者たちは何を求めると思う?死後の裁きだ。悪人が死後には地獄で裁かれると思うからこそ、人は恨みを地獄へ託し、救われることが出来る」
「……」
「ある意味、冥府のありようを決めているのは人間よ。我らとしては生の時間の帳尻を、死後の世界に持ち込んで清算しようとするなとも思うが、それが人間の望みとあらば神として叶えぬでもない」
「…なるほど、そう言われては女神も対応に苦慮するだろう」
黒髪のサガは反発するでもなく答え、脳裏に救世の少女を思い浮かべた。
(アテナよ、お前ならばタナトスへどう答える)
光り輝く地上の女神ならば、サガの持たぬ答えをタナトスに示すことが出来るのかもしれない。しかし、物思いに沈みかけたサガをタナトスが引き寄せた。
「オレといる時に他の神へ余所見をするな」
思わぬ言い分を向けられ、サガが目を丸くする。
「わたしはお前のものではないが」
「おまえも『サガ』であろう。嫁は夫に従うものだ」
サガは一瞬だけ虚をつかれたような顔をしたものの、直ぐに切り替えした。
「亭主関白などいつの時代の価値基準だ。貴様の脳内は二百年前のままか」
「人間の基準などどうでも良い。それに、オレはお前との逢瀬を口論だけで済ませたくはないのだが?」
今度こそ闇のサガは憮然としつつも黙り込み、手に負えぬとばかりに光のサガへ身体の主導権を押し付けた。
2012/4/1
◆そろそろ子どもが…タナトスと白サガ
「そろそろ子供が欲しいな」
「そうか、どこからか拾ってくるといい」
爽やかな朝の食卓でなされたサガの発言を、いつものようにタナトスは半分聞き流している。モーニングティーを片手に冥界新聞を目で追う姿は、すっかり家庭持ちの様相だ。
「お前の子供が欲しいと言っているのだ」
「産んでいいぞ」
「わたしは男だ!人間は男が子供を産むようにはできていない。だから貴方に産んで欲しいのだが」
適当に聞いていたタナトスも思わず紅茶を噴いた。サガは見計らっていたかのようにハンカチを差し出す。この阿吽の呼吸は、まがりなりにもフウフを3年間こなした賜物だろう。
「男が子供を産むようにできていないのは、神人問わぬ」
「何を言う。ギリシアの神々は性別関係なく単性生殖を行うではないか」
「神を単細胞生物のように言うな。…どちらにせよ、死を担当するオレが命を簡単に生み出せるはずもあるまい」
「そうか…」
がっかりした様子のサガの横で、突如声が沸いた。
「タナトスの子供は難しいかもしれぬが、子供のタナトスならば用意は可能だ」
「「!!!!」」
ゆらりと空間が揺らぎ、現れたのは眠りの神ヒュプノスである。
兄弟神とはいえ、新婚家庭へ何の遠慮も挨拶もなく入り込んでくるのは『自分がタナトスと会うのに誰の許可も何の制限も受けぬ』ということらしい。
そんな姑の登場方法に慣れているサガが、驚く代わりにぱぁっと嬉しそうな顔をするのと、タナトスが敢然とヒュプノスに食って掛かるのは同時だった。
「ヒュプノス、来て早々さらりと怖いことを言うな!」
「怖くはないぞ、オネイロスたちの力を借りれば、夢界でならお前の年齢など簡単に安全に変えられる」
「その発想が怖いと言っているのだ!」
言い合う双子神の隣から、慎ましくサガが尋ねる。
「ヒュプノス、それは赤子レベルまで年齢を下げられるということか」
「無論だ」
「サガ、貴様もまともに聞くな」
タナトスの矛先は当然サガへも向く。しかしサガは真顔で答えた。
「わたしは赤子のお前のオムツを交換できるくらいには、お前の事を好いている」
「………」
しかし、その空気を読まぬ愛の発露は、タナトスの『全く嬉しくないわ!!』という一言と拳骨で、瞬く間に斬り捨てられたのだった。
2012/4/2