2010年エイプリルフールに、1日限定タナサガ新婚一周年サイトとなっていた際のSS集です。
なにげに2009年のエイプリルフールの続きです。
◆新婚旅行
エリシオンは選ばれた者のみが死後に居住を許される常春の地だ。
花咲き乱れる野には美しいニンフが舞い、涼しげな木陰には精霊たちが優雅に戯れている。
タナトスとヒュプノスの宮殿は、その中にあった。
オリンポス十二神の広大な居城とまではゆかぬものの、暮らすには充分な広さと設備を備え、別邸として幾つもの離宮があることを踏まえれば、かなり贅沢な住まいと言えよう。
そこでの長閑な暮らしは、平和ではあるものの、血と争いを好むタナトスにとって退屈な場所でもあった。
しかし、退屈しのぎとして、ひょんな事からアテナの黄金聖闘士を娶って以来、エリシオンの静寂はかき乱されている。何故かといえば、嫁である双子座の黄金聖闘士…サガの朋輩および双子の弟が、三日とおかずタナトスの宮へ押しかけるからであった。
「お前の身内どもは、遠慮を知らぬのか」
訥々と語りだしたタナトスを、サガは不思議そうに見つめ返した。
「彼らが何か失礼をしたろうか」
「あの来訪頻度は一体なんだ!」
「それほど頻度が多いとは思わないが…1ヶ月に1度程度なのだし」
「各自はそうであっても、それが12名以上居るとなると話は別であろう」
そう、黄金聖闘士たち全員と青銅聖闘士の一部、そしてアテナ自身も足繁く通っているため、二日に1度は来客があるというような状況だ。
二百余年をほんの一睡分としか捉えぬ不死の神からすれば、それはもう煩くせわしない毎日と感じても仕方が無い。賑やかなだけならばまだ良いが、来客の半数近くが嫁であるサガ目当てであり、それ以外の来訪者はタナトスへの小さな嫌がらせおよび野次馬根性で来ているとなると、短気なタナトスでなくとも心が狭まろうというものだ。
サガはじっとタナトスを見つめたまま、ぼそりと訴える。
「しかし、来客の半分は貴方の関係者だ」
そう、不満を述べているタナトスの客も実は多い。兄弟神ヒュプノスとその縁戚の夢神たち、幾人かのタナトス贔屓の冥闘士(特にベロニカ)、花を摘むように連れてきてはタナトスが戯れに愛でる数多のニンフ。
こちらもかなりの頻度で宮殿へと押しかけている。
タナトスもそれは自覚しているのか、誤魔化すように視線を逸らせた。
「判っている…しかし、少しは二人の時間があっても良いのではないか。まがりなりにも新婚なのだからな」
「…!!」
思わぬ単語を耳にして、サガの顔がみるみる赤くなった。
「新婚だとは思ってくれていたのか」
「召使代わりの男嫁だが、結婚したことには変わりあるまい」
「そうか…ニンフに手を出している時間の方が長いゆえ、本当に単なる召使い扱いなのかと思っていたのだ」
「ニンフはまた別腹よ。何だ、妬いているのか?」
「や、妬いてなど」
デスマスクあたりが聞いていたならば砂糖を吐いて匙を投げ、カノンあたりが聞いていたならば兄の不甲斐なさに暴れだしそうなやりとりだが、幸いこの場には珍しく二人しかいない。
タナトスはサガを引き寄せ、ビロード張りの長椅子へと二人で腰を下ろした。
「そうだな、嫁を充足させるのも夫の務め…かつ二人だけの時間を持つとなると、旅行にでも行くのが良かろうか」
サガの肩を抱き、顔を寄せてにっこりと微笑むタナトスは、流石に遊び慣れている。サガもその手管は判った上で、穏やかにそれを楽しむだけの余裕はあった。
「旅行か、良いな」
「そういえばオレ達は新婚旅行をしておらん」
「タナトスは、どこか行きたい場所はおありだろうか」
「ふむ、出来れば仕事を思い起こさぬ場所が良いな。適度に刺激もあったほうが良い」
「貴方の仕事といえば『死』か。例えば?」
「修羅界などどうだ。血と争いにまみれながら、誰も死ぬ事は無く戦い続ける世界だ。なかなか楽しそうだぞ」
「却下する」
「ではお前の希望を述べてみろ」
「温泉巡り」
「…相変わらず予想を裏切らぬ男だな。湯に浸かるだけなど飽きぬのか」
「…新婚旅行なのだから、湯に浸かるだけではないぞ」
「……そうだな」
「……そうだ」
新婚旅行へ出かける事にはなったものの、意外と押しの強いサガの意向により、二人の時間はほぼ湯の中になるのではないかと、タナトスは少しだけ危機感を覚えた。
2010/4/1
◆嫁の弟
カノンが海界任務帰りに双児宮ではなく、エリシオンへ向かうようになって1年がたつ。カノンにとってマイホームとは聖域ではなく『サガの居る場所』であるため、そこが新婚家庭であろうと関係はない。
それでも一応ミジンコほどの遠慮はみせ、寝室だけは別離宮に用意してもらっている。
足繁くエリシオンに通うということは、その回数だけエイトセンシズを発動させるということでもあり、意図せずしてそれは日常的な小宇宙の鍛錬ともなっていた。
ちなみに、聖戦後のエリシオンは復興中の冥界の片隅に仮作成されているものであるため、神の道を超える必要はなく、そのせいもあってカノンに限らず来訪者が絶えないのだった。
今ではすっかり聖衣なしで阿頼耶識を発動できるようになったカノンが、相変わらずのスニオン服で長椅子に寛いでいる。サガから何度エリシオンに相応しい服装をと促されても馬耳東風で、今ではもう格好については諦められていた。
彼の目の前のテーブルへ、サガが珈琲カップを置く。そのカップを手に取り、ひとくち口に含んだカノンがほんの少しだけ眉をひそめた。中身は先日アイオロスが手土産として持ってきたギリシア珈琲だ。
「なあ、サガ」
溜息を隠すように、カノンが問いかける。
「なんだ?」
「お前はいつまでこの生活を続けるつもりなのだ」
カノンの表情はいつもと変わらないものであったが、その声色には冗談で返す事を許さぬ響きがあった。
それでもサガはやんわりとした微笑でその問いを流した。
「タナトスが飽きるまで、ずっとだ」
気まぐれなタナトスがこの生活に飽きてしまえば、望まずともサガは捨てられるだろう。だがサガは自分から結婚という約定を反故にするつもりはなかった。輪廻の輪に乗り転生を果たして、また女神へ刃を向けるような業と罪を繰り返すよりは、ここで存在を磨耗しているほうが有意義に思えたのだ。
それに、特定の誰かに愛情を向けて生きると言うのは、思いのほか楽しい。
サガの返事を聞いたカノンは、ますます顔を顰めた。
相手は永遠を生きる神なのだ。タナトスにとって『ほんのわずかな期間の戯れ』であろうとも、人間の寿命くらいの刻はあるかもしれない。
そう考えると、ふつふつと怒りのようなものが沸く。
カノンは真っ直ぐにサガを見つめた。
「それなら、あの馬鹿は、次期教皇はオレが貰っても構わないな」
「え?」
サガには珍しく一瞬反応が遅れた。何を言っているのか判らないという顔をしたあと、表情が消える。その状態で視線をうけたカノンは、ぶわっと鳥肌が立つのを感じた。通常、サガとカノンは魂の底で繋がっている。少なくともカノンはそう思っている。しかし、ガラス玉のような瞳で見つめてきた今のサガは、意志の通じないエイリアンに思えた。黒サガでもなく、統合している状態でもない、普段は隠されたサガの虚がそこに垣間見えている。
その気持ちの悪い感覚は直ぐに消えた。サガが視線を逸らしたのだ。
「カノン。教皇は誰のものにもならない。敢えて言うのであればアテナと聖闘士すべてのために生きる存在だ」
そう呟いて黙り込む。なるほどな、とカノンは思った。
(だから無意識に安心しているわけか。自分は他人のものになったくせに)
その安堵が自分にむけられたものか、アイオロスへ向けられたものか、もしかしたら両方であったにせよ、サガはずるいとカノンは思った。
「サガ、鈍感もほどほどにしないとそのうち振られるぞ」
「いつでも離縁の覚悟は出来ている」
そう答えたサガへ、カノンは呆れて肩をすくめる。
(ばーか。タナトスじゃあないっての)
しかし、本当のところを言うつもりはなかった。
サガが鎧のごとくいつもの空気を身に纏い、穏やかな声で呟く。
「それにしても、お前がアイオロスを好きだとは知らなかった」
「お前は馬鹿か」
心の底から本気で、カノンはその台詞を口にした。
2010/4/1
◆エプロン2
結婚祝いとしてヒュプノスからプレゼントされた純白のフリルエプロンは、一応捨てられることなく大事にとってある。料理用ではないので汚れる事も無く(別の用途では汚れたが)タンスの肥やし状態だ。
紙婚式を迎え、ふとその存在を思い出したサガは、久しぶりに義兄弟からのプレゼントを利用してみようと思い立った。
しかし、1年前と同じようにそのまま利用するのは恥ずかしく、芸もないような気がする。さりとてこのままタンスの肥やしにし続けるのも、折角用意をしてくれたヒュプノスに申し訳ないような気もする。
サガは考えた挙句、それを風呂場の着替え用脱衣籠へと入れた。
「何故オレの着替え籠にエプロンが畳んで置いてあるのだ」
風呂上りのタナトスが尋ねたのでサガは律儀に答えた。
「今度は貴方が着てみれば良いと思って」
サガなりに真面目に考えたプレゼント利用法だというのに、タナトスが一瞬でそのエプロンを破り捨てようとする気配があったため、慌ててサガはそのエプロンを奪取し、仕方なくまたタンスの奥へと仕舞い込んだ。
2010/4/1
◆療養に近い恋
「それでアンタはオレに記念ケーキを作れと言う訳ですかい?」
「ああ、そのあたりの市販のものより、お前の手作りの方が見栄えもよく美味しいのでな。勿論礼はする、デスマスク」
蟹座の聖闘士に頭を下げているのは先輩聖闘士のサガだ。サガは聖闘士でありながら仕えるべき神アテナに反逆した過去を持つが、今はこともあろうに元敵神のタナトスの元へ輿入れをしている。
何をしでかすか判らないという意味ではサガらしい状況だが、嘗て彼を自らの主と定めていたデスマスクとしては、大分複雑な気持ちではある。
「駄目か?」
しかし、穏やかに多少の気安さも含んでの目線を向けられると、否とは言えない。
「アンタの頼みをオレが断ったことなんてありましたっけ」
「いいや」
遠まわしに了承すると、サガは嬉しそうに微笑んだ。
デスマスクはポリポリと指先で頬をかき、思い切ってサガに尋ねた。
「アンタ、あの神のどのあたりが好きなんですか」
突然の問いにサガは目を丸くしたものの、直ぐにその目は細められる。
「そうだな…タナトスはわたしに安らぎと居場所をくれる」
「はあ?」
「彼の子を成せるわけでもなく、家事に長けているわけでもなく、同じ志を胸に冥王のため働けるわけでもなく、力としては神である彼のほうが上であるから、伴侶として彼を守り抜くという役割もおそらく出来ぬであろうわたしのような者を、かりそめとはいえ嫁として傍に置いてくれると言うのだ。それだけでも文句のつけどころの無い夫であろうよ」
サガの表情には、卑下ではなく本気でそう思っている様子が伺える。
この世にあれば引く手数多であろう自分の価値を、タナトスに与える事で相殺しているかのようにも見えて、デスマスクは内心で溜息をついた。
タナトスのことを好きか嫌いかと問われたら、サガは確かにタナトスが好きなのだ。そうでなければ誇り高いこの男が、そのような役割を無意識であれ相手に渡すはずが無い。
そして、死の神タナトスの事を好きになるほど、サガの心は乾いていたのに違いなかった。
「アンタが納得しているのなら、それでいいさ。それで、その結婚一周年記念ケーキとやらには何かリクエストがあるかい?」
どんな形であれ、13年間刻まれ続けたサガの傷が癒せるのならば、多少のことは目をつぶろうとデスマスクはそっと胸のうちで呟いた。
2010/4/1