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◆鬼ごっこ


 アイオロスは、サガとの距離をなかなか掴めずに居た。
 アイオロスの知るサガ…神の化身とも称された方のサガは、過去のいきさつからアイオロスに遠慮して距離を置き、偽教皇としてアイオロスの殺害を命じた方のサガは、今はアテナへ恭順する姿勢を見せているものの、未だに射手座へ対しては不穏な感情を持っているように思える。
 話し合いたくとも、アイオロスの目の前に現れるのは主に統合した状態のサガで、それは不満なことではないのだけれども、二つに分かれたサガの気持ちは判らないままに日が過ぎていく。
(俺はサガと仲良くしたいのだが、サガの側はそれを望んでいないかもしれないよなあ)
 アイオロスは溜息をついた。
 なにせサガは、この聖域で元反逆者という立場だ。
 ある意味アイオロスも元反逆者だが、それは濡れ衣であり、今のサガとはまるきり逆位置に居る。
 周囲の評判など、教皇を目指すのでもなければ、サガは実は気にしないタイプであると知っている。
 しかし、そんなサガが唯一気にしている様子なのが、アイオロスの方の立場なのだった。
 統合しているときのサガが、はっきりといった事がある。
「わたしとの表立った交流は、お前にとって益にならない」
 そのときアイオロスはかんかんに怒ったものの、サガの方は何故アイオロスが怒ったのかすら理解しなかった。
 サガの中で、自分は距離を計算できる程度の間柄なのだろうかと、その晩は随分と落ち込んだものだ。
(一度本気でぶつかった方が、良いのかもしれない)
 真綿の壁を挟んだ関係を壊すために。
 アイオロスは考え、そしてとりあえずサガに喧嘩を売る事にした。


「貴様と競えというのか?」
 夜半に呼び出された黒髪のサガは、冷たい視線でアイオロスを睥睨した。
「ああ。教皇を目指す前に、1度サガに勝っておきたいんだ」
 そう伝えると、サガの鋭い視線が一層鋭くなった。
 教皇職は、黄金聖闘士のなかでも最も優れていると、前教皇の認めた者が選ばれる地位だ。
 サガは秘めていた悪心により選から漏れたが、逆に言えば、悪心さえなければサガが教皇であったかもしれないのだ。
「君の上に立つのだし、何か1つでも勝負ではっきりと優劣をつけておかないと、しっくりこなくて」
 もちろんこれは言い訳だ。しかし、こちらのサガに対しては一番もっともらしく聞こえるはずの理由だった。
 闇の側のサガが自分と戦いたがっていることも計算のうちだ。
「望むところだが、私闘は禁じられていよう。それに、今の貴様ではまだわたしに勝てまい」
 思ったとおり、やりあうこと自体は拒否してこない。
「拳は交わさないでやるのさ」
 問われた疑問に答えると、闇のサガは少しアテが外れたような、つまらなそうな表情をした。
「それでどうやって何を競えと?」
「鬼ごっこで」
 構わずアイオロスは話を続ける。
「は?」
「俺が鬼で、サガが逃げる。夜が明けるまでに君が逃げ切れたら君の勝ち。かくれんぼではないので異次元へ隠れるのは無し。互いへの攻撃と破壊行為も無し。範囲は十二宮以上の地区を除く全聖域」
 一気に言い切ってから、アイオロスはにこりと挑発した。
「俺から逃げ切る自信、ある?」
 アイオロスを疎むこちらのサガならば、挑発と判っていても勝負に乗るであろうという悲しい確信があった。そしてその確信は裏切られなかった。


 サガは最初ゆっくりと逃げた。
 速度的には直ぐ追いつきそうに思えたが、巧みなフェイントと道選びは見事なもので、アイオロスが予測する進行方向の裏をかいては距離を稼いだ。時には岩壁を垂直に登り、時には獣道を抜ける。
 アイオロスは、自分の知らぬ隠し路がこれほどあることに、追いながら驚いた。
 おそらくサガが偽教皇として君臨した13年の間、姿を隠したまま行動するために作られた抜け道も多いのだろう。それ以前の、サガの弟が秘密裏に聖域で暮らすため使われていた裏道も、かなり含まれていると思われる。
 アイオロスは聖域の地形を脳裏へと浮かべ、通った道を正確に記憶した。
 全体像を把握すると、網目のように広がった通路が、それぞれ意図を持って効率的に聖域の拠点を結んでいることが判る。隠し通路も無駄に敷かれているわけではなく、道と道とを繋ぎながら、それでいて人目に触れぬ場所が選ばれている。
 その法則を掴めれば、サガがどの道を選ぼうが、通過点および到達点の予測は可能だった。
 いや、逃走路の始点の予測すら容易となる。
(もしやサガは、教皇となる俺に、現在の聖域の状態と裏道をこういう形で教えてくれているのか)
 サガの後を追っていると、聖域の奥へ進みやすいルートや、防御上のかなめが良く判るのだ。
 こちらのサガはアイオロスを憎み、雌雄を決する事を望んでいる筈なのに、時折アイオロスを助けるような真似をする。
 アイオロスは不可解なサガの内面を思った。
 どちらのサガも、今や何を考えているのか表に出さぬ事が多く、思惑を理解するのに苦労することがある。
 昔はそんなことはなかった。
 今思えば、サガは自分に隠し事ばかりしていたけれど、向けられていた感情はもっと判りやすかった。
 聖と魔、ふたつの魂を持つ嘗ての親友。13年前に袂を分かたってしまった同胞。
 黒髪のほうのサガは、アイオロスのことを多分はっきりと疎んでいる。
(野望の邪魔をしたからか?)
 それならば、彼が野望を捨てたいま、憎しみも薄らいでいると思いたい。

 アイオロスは、黒髪のサガが「サジタリアス」をではなく「アイオロス」を、彼であるがゆえに憎悪を向けている事など、思いもしなかった。


 暫しの追跡の後、ひととおり聖域の裏道を網羅したと判断したアイオロスは、ぐんとスピードをあげてサガを先回りする方法をとった。
 するとサガの方も逃げ方を変えた。今度は瞬間移動と幻覚を織り交ぜての逃走だ。
 テレポーテーションで後追い移動した目の前に壁があったり、納屋が現れたりする。
 己の出したゲーム遂行条件を横へおいても、勝手な破壊行動は許されないため、それらを壊して進む事は適わない。
 アイオロスは転移先で瞬時に、目の前の障害物が本物であるか否か判断する羽目になった。
 サガは連続転移を繰り返していく。
 判断の遅れたものに対しては避けるしかない。避けた分だけ距離を稼がれてしまう。
「くそ!」
 それすら間に合わず石柱に鼻の頭をぶつけること数回、アイオロスが思わず零した自嘲まじりの罵りが聞こえたのか、数メートル先でサガが振り向いた。
「どうした、お前は教皇候補なのだろう?」
 サガの邪眼は夜行性の肉食獣にも似て、闇の中にも紅く煌いている。
 それは哂っているようにも、出来るはずのことをしない怠惰を責めるようにも見えた。
 教皇候補であることと、この状況に何の関係があるのだと思いかけ、アイオロスははっと気づく。
 風を切って駆けながら、彼は息を整えた。
 集中力を研ぎ澄ませ、先ほど脳裏へ浮かべた聖域の全体地図を、今度は頭に浮かべるだけではなく、実際に体感するため力を使う。女神がその小宇宙で聖域中を覆うように、小宇宙を拡散させて聖域中を視る。聖域中に意志の力を広げていく。
 それは次期教皇として受けている修練の中にある、メディテーションの一形態に似ていた。
 教皇は常に聖域全体を把握し、敵が侵入した場合は布陣の指示をせねばならない。その手段の1つとして瞑想があった。
 聖域と一体化し、己の身体の一部であるかのように聖域を体感する。聖域そのものと意識を同化することによって、敵が密かに潜入を試みても、教皇は簡単にそれを異物として捉える事が出来る。
 教えられてはいたものの、瞑想はアイオロスの苦手科目のひとつで、実際に試したのは初めてだ。
 追跡しながらの瞑想というのは、高度な小宇宙の技術を要する。それでも、聖域のあり方を先に捉えることが出来れば、サガの幻覚に惑わされることもなくなる。
 座学では今ひとつ精度の落ちる習得しかできなかった技術も、必要をもって突きつけられると簡単に理解できた。アイオロスが実践の中で成長するタイプであることを抜かしても、これほど吸収が早いのは、サガを相手にしているからだと思う。
 サガは巧みにアイオロスを試し、その本気を引き出した。
(やはりサガは、この機を利用して持てる知識を伝えようとしている)
 そうとしか思えなかった。
 黒い方のサガは自分を嫌っているはずなのに、理由はわからないものの、アイオロスを導こうとしている。
 ならば尚更、自分は彼を捕まえる事で応えるしかない。
 アイオロスはさらに速度を上げた。

 そこから後は、駆け引きもスピードも、互いの全てを出し合った総合戦となった。
 小宇宙を身にまとい、光速に近い速さで聖域中を飛ぶ彼らは、まるで二対の流星だ。
 夜の静寂を、まばゆく強大な光源が嵐のように縦横無尽に駆け巡る。時にはぶつかりあいそうになりながら、時には絡み合うように二つの輝きが闇を切り裂く。
 小宇宙を捉えることの出来る面々は何事かと目を覚まし、教皇宮ではシオンが『あのバカどもめ』と頭を抱えた。
 青白く光る巨大な小宇宙へ、黄金の小宇宙が矢のごとく迫る。
 もう二人の間に距離は殆どない。
 スターヒルの頂へ向けて飛ぼうとしたサガの肩を、アイオロスの右手が掴もうとした。
 サガがその右手を払い、反射的にそのまま攻撃を返そうとして動きが止まる。相手への攻撃は許されていない。サガの舌打ちが風を切る中に紛れ聞こえた。
 その一瞬の停止を見逃すようなアイオロスではない。
 一気に距離を詰め、サガの腰へと抱きつく。長い黒髪がアイオロスの頬をくすぐった。スピードを落とす余裕などないままに、二人はもみくちゃになりながら地面へと転がる。受身のない無様な倒れようだった。


 なんとか動きがとまったところで座ったままアイオロスがサガを見ると、彼は汗と土ぼこりにまみれていて、顔もひどく汚れていた。
 常に完璧で整った佇まいのサガからは想像もつかぬ有様だ。
 不機嫌そうな表情だけはいつもと変わらないところがおかしくて、アイオロスは思わず笑い出した。
「ようやく君を捕まえた!」
 宣言すると、ますますサガの表情は歪んだ。
 しかしすぐにその表情は隠され、視線を逸らしたサガは小さく溜息をついている。
 よく見ると、流石のサガも多少息を切らしているようだ。アイオロスもそれは同じだった。
 汗を乾かす夜風が心地よい。季節がら冷えぎみの空気も、運動直後は爽やかに感じられる。
 少しして、サガがぽつりと呟くのが聞こえた。
「…ただ逃げるだけなど、性にあわぬ」
 そうだろうなとアイオロスは思った。
 サガは穏やかな人格のときも、攻撃的な戦闘スタイルを得意とした。相手を閉じ込める迷宮を作り出しはしても、自分の側が何もせず敵に背を向けるような逃走は出来ない男なのだ。
 対して狩人の宿星を持つ自分にとって、追走は得意分野だ。射手座がこの形で優劣を競った場合、双子座に負けるわけがない。最初から勝負は決まっていたのだ。
 だから素直に頷いた。
「君が追いかける側であったら、負けていたのは俺だろう。逃げるだけというのは俺も苦手だよ」
「だが、貴様は逃げ切ったではないか」
 即座に思わぬ反論が返る。
 はっとしてサガの顔をみると、そこには激しい感情をうつした瞳があった。
「貴様はろくに手向かいもせず、アテナを連れてただ逃げた。そしてわたしの手を振り切った。わたしは13年間鬼を続ける羽目になり…お前は二度とも、わたしに勝った」
 誇り高い彼がそれを口にするのにどれだけ屈辱を覚えているか、アイオロスには手に取るように伝わってくる。それでも、根底にあるのが屈辱と憎悪だけではないと感じるのは、自惚れか、そうあって欲しいと願うがゆえの錯覚か。
 サガ自身も理解できていないであろう感情が己に叩きつけられるのを、アイオロスは喜んだ。ここまでサガの深い感情を引き起こし、受け止められるのは自分だけだという確信があった。
 憎しみでも何でもいい、サガからこんな風に真っ直ぐに気持ちを届けて欲しかったのだ。

 アイオロスは光を感じて東の方角を見た。
 いつの間にか闇は薄まり、雲をつらぬく幾条もの陽光の筋が伸びている。
 太陽が昇り、夜が終わる。
「あの時は、陽の目を見る事が出来なかった。夜が明ける前に俺は死んだんだ」
 アイオロスは立ち上がり、太陽を背にした。
「君と二人で日の出を迎えることが、俺の最後の夢だった」
 サガはアイオロスから視線をずらして太陽を見つめ、その眩しさに目を細めた。光は強さを増し、聖域を隅々まで照らしていく。そしてついには完全に昇りきり、光に耐え切れなくなったサガは目を閉ざした。
「…わたしの負けだ」
 再びサガが呟くと、アイオロスは朝日を背にしたまま告げた。
「俺が勝ったのは君にじゃない」
「ならば、貴様は何に勝ったというのだ」
「神と世界と運命に」
 傲岸ともいえる断言に、サガは目を見開いた。
「お前はそういえばニケを奪っていったのだったな」
「ああ。ニケや皆に助けてもらったよ。何もかも俺だけの力では成し得なかった」
 太陽に照らされたサガの黒髪が、ゆっくりと先端から薄まっていく。もう一人のサガへの変化の兆しだ。
(サガに告げるのは、今しかない)
 アイオロスはそう直感した。急に震えそうになる手を握り締めて深呼吸をする。

「サガ。俺は君を誰より大切な友人だと思っている。君は俺のことをどう思っているのか聞きたい」

 サガが紅い目に、何かを畏れるような色を浮かべた。
(一番欲しい勝利を、俺に与えてくれ)
 太陽とニケに、アイオロスは心の底から祈った。



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(−2009/2/26−)

ええと、その、メルヘンです…アイオロスの言葉が愛の告白になりそうなのを、まだ早いと一生懸命抑えました。あと、神に勝ったといっても、タナトスは別です。イロイロこれからです(>ω<)。
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