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◆スウィートプラン


 サガがどこか浮き立った様子で外出の準備をしている。
 双子の弟カノンは、ソファーに寝そべりながらそれを眺めていた。
(へえ、聖域の外へ出るのか。珍しいな)
 法衣や闘衣姿ではないことから冥界への訪問ではないと判断し、そのような感想を浮かばせる。
 着替え終わった服は初めて見るものだ。
「それ、新しく買ったのか?いつものお前の趣味ではないようだが」
 カノンは何とはなしに声をかけた。上質の仕立てながら堅苦しすぎず、しかし多少遊びの入っている系統のデザイナーズの服。真面目なサガが着るにしては珍しいタイプの服である。
 振り返ったサガは、鼻歌でも歌いそうなにこやかさだった。
「ああ、タナトスが用意してくれたのだ。今日出かけるのに着て来いと言って」
 …ぴきっ。
 兄の笑顔とは対照的に、カノンの額へ怒りの青筋が浮んだ。
 カノンはサガと死の神の交流を快く思っていないのだ。
 しかし、兄が楽しみにしている外出であるのなら、朝から水を差すことも無い。
「ふうん、どこへ出かけるんだ?」
 内心の不満を押さえ、カノンはなるべく穏やかな表情を心がけながらサガに尋ねた。
「まず美術展へ行き、その後カフェで合間を置いてから観劇。あとは高級レストランで食事を取り、ホテルのバーで酒を飲む予定だ。宿泊はスイートルームを用意してくれているらしい」
「………」
(何だそのヒネリの欠片もないマニュアルコースは!)
 カノンはここでもこらえた。タナトスは『10年くらいは最先端のうち』という感覚の長命神族であるし、聖域育ちの元偽教皇サガには世俗スキルなんてない。それを思えば上等な計画だろう。
「だがサガ、前半はともかく後半を男二人でこなすのかよ」
 イラつきを隠してやんわりと問うと、サガは首を傾げている。
「お前もそういった事を気にするのか?」
「お前の大雑把な性格は知っているが、世間側は気にするだろうよ」
 返された言葉に、サガは怒るでもなく頷いた。それは予測されていた事柄であったらしい。心配するなといわんばかりに胸を張ってカノンへ答えた。
「やはりそうなのか。タナトスも奇異の視線を向けられるのは鬱陶しいといって、それについてはわたしが周囲からは女に見えるように対処してくれるそうだ」
 それは斜め上の解決策だった。カノンはソファーから転がり落ちそうになるのを、すんでのところでこらえる。カノンの様子を見て、何を勘違いしたのかサガがわざわざ注釈を追加した。
「本当に女にされるわけではないぞ?幻影をつかい、周囲の人間にはそのように見せるというだけだ。それならばわたしにとっても許容範囲だからな」
 サガは、自分がどうでも良い事に関しては恐ろしいほど許容範囲が広い。
「んな事をするくらいなら、最初から女を連れてけばいいだろう!」
 我慢できず叫んだカノンへ、サガがおっとりと微笑む。
「わたしも言ったのだ。見目の良いニンフでも連れて楽しんでくれば良かろうと。しかし、タナトスはわたしと出かけたいそうなのだ」
「………」
 聞きたくもない惚気を聞かされ、カノンはげんなりとソファーへ突っ伏す。
「そのようなわけで、夕飯は外で食べてくる」
 にこにこと報告をするサガの声を聞きながら『外食はともかく外泊は邪魔してやる』とカノンは決意した。

2008/8/28




 カノンとアイオロスとシュラの三人は、ビルの屋上から街を見下ろしていた。
 三人とも珍しく一般社会に馴染む服装をしている。
 そんな格好で何をしているのかといえば、本日のタナトスとサガのデート追跡である。
 人馬宮で過ごしていたアイオロスとシュラの前に突然カノンが現われて、否応も無く二人を着替えさせ、聖域外へと連れ出したのは昼前のことだった。
 シュラが空ろな目で零す。
「何故このようなストーカーじみた行為を我々が…」
 隣で聖域の英雄アイオロスも文句を垂れた。
「全くだ。予定は聞いてるのだろう?先回りしてデートに使う施設を片端から破壊したほうが早いのに」
 真面目なシュラは、慌ててアイオロスを振り返る。
「アイオロス、不穏な事を言うのは止めて下さい。怪我人が出ます」
「やだなあ冗談だよ。やるならちゃんと中の人間を避難させてからするさ」
 にこりとアイオロスは返したものの、その目は笑っていない。
 尊敬する先輩の暴走リミッターが外れかけているのを感じて、シュラはこの場から離れたくて仕方が無いのだが、自分以外の二人が暴走した場合、それを止める役がいる。
 カノンがアイオロスの発言を受けて口を開いた。
「建物を壊したところで、別のところへ行くだけだ。叩くなら二流神の方をやろうぜ」
 物騒な二人に挟まれ、常識人のシュラは泣きごとを言いたくなっていた。彼は強引につれてこられただけなのだが、真面目であるがゆえに激しく貧乏くじをひいている状態だった。
 これが本当にタナトスとの純粋な戦闘であったならば、どれだけ楽だったろうかとシュラは内心で零した。

「それにしても見事な幻影だ。二流とはいえ神だけのことはある」
 対象をセブンセンシズで追っていたアイオロスがぼそりと呟く。
 常人の目では捉えられぬほどの遠方に、タナトスと歩くサガの姿がある。
 幻影というのは、サガが女性に見えていることを指す。
 タナトスがどういうつもりか、サガが女性に見えるよう幻影を構築しているのだ。
 超常能力をもつ黄金聖闘士たちからすれば、薄皮1枚の幻影の下にあるサガ本来の姿を直ぐに見て取れる。だが、一般人たちには神のごとく微笑む美貌の女性に見えているだろう。
 不特定多数を相手に、しかも移動しながら場所も限定せず、他者の脳裏へ幻影を見せるという行為はそれほど簡単なことではない。実際に肉体を女へ変化させてしまう方がまだ楽な筈だ。おそらく今も凄まじい量の小宇宙を消費していると思われる。にも拘らず、それをしてのけているタナトスは涼しい顔で、汗一つかいていない。
 三人は流石にその圧倒的な実力に気づき、内心では驚嘆していた。
 無論それを表面に出すような面子ではないが。
 カノンがフンと鼻を鳴らした。
「どこが見事だ。サガが女だったらもっと胸がでかいはずだ」
 アイオロスがぼそりと異議を唱える。
「それはカノンの趣味だろう。俺は今位が丁度いい美乳だと思う」
「何だよ、お前はあの二流神と趣味が一緒なのかよ」
「大きければ良いというものではないだろう」
 言い争い始めたアイオロスとカノンの横で、突っ伏したシュラがますます遠い目になっている。
「すまんが…俺は帰ってもいいだろうか…」
 遠慮がちに主張したシュラの言葉など、二人は当然聞いちゃいなかった。

2008/8/29




「とにかく器物損壊活動は駄目ですから」
 帰る前に念を押しておかねばならんと、シュラが先輩二人にきっぱりと宣告する。
 しかし、二人とも不服そうであった。
「だからタナトスだけ相手にすりゃいいだろう」
 返されたカノンの言い分を、シュラはぴしりと切り捨てた。
「同じ事です。神相手の戦闘となったら、この一帯ただではすまない」
 それに、とシュラは続けた。
「理由もなく挑みかかったりしたら、サガはタナトス側につくと思いますよ」
 うっとカノンとアイオロスが怯む。
 サガは聖戦後のタナトスを、まだ静養が必要なレベルの身体だと思っている。実際、死の神として完全復活に到る回復を遂げるのは、まだ何百年も先のことになるのだろう。そんな不調の相手へ拳を向けるなど、病人に手を上げるようなもので、とんでもない事だとサガは言うに違いない。
 現状でも充分黄金聖闘士の力を凌駕しているにも関わらずだ。
「では、どう妨害すればいいってんだ」
 いらいらと腕を組むカノンへ、アイオロスが口を開いた。
「外出ではなく、外泊を止めればいいんだよな?」
 カノンが目をぱちくりとさせてから、そうだなと返す。
 アイオロスはカノンの肯定を確認してから言葉を続けた。
「どこに泊まるのか聞いてるよね。とりあえずそのホテルに先回りしてみないか。このまま尾行していても埒があかないだろう」
「なるほど」
 頷いたカノンは、帰ろうとしていたシュラの服をしっかりと掴んだ。アイオロスもいつのまにかシュラの肩に手を置いてにこにこと微笑む。
「「早速行くぞ、シュラ」」
 テレポート体勢に入った二人に強制的に捕えられ、シュラは異議を唱える間もなく引きずられるようにホテルへの道連れとされていた。


 サガの話していたホテルへ到着してみると、そこは超高級というほどのものではなく、庶民にもなんとか手が届くレベルの近代高層ホテルであった。
 三人は顔を見合わせた。
「意外だな。タナトスなら一見さんお断りくらいの、格式あるホテルを用意してくるかと思ったのに」
 アイオロスが言えば
「ハーデスをバックアップする企業群の系列のホテルがありそうなもんだが」
 と、カノンも首を傾げる。
「私事でハーデスの持つホテルを使うわけにはいかなかったのではないだろうか…冥界も敗戦で物入りだろうし…」
 一番常識的な(所帯臭い)発想で予測をたてたのはシュラだ。
 しかし判らない事を考えても仕方が無い。
 とりあえず二名+道連れ一名は智恵を絞ることにした。
「確かスイートルームに泊まるって話だったよね、カノン」
「ああ、最上階の部屋だ」
「俺たちも近くに部屋を取るというのはどうだろう」
 アイオロスの提案に、二人が怪訝な顔をする。
「そんな近くでは、サガやタナトスに見つからないだろうか」
 疑問をぶつけたシュラへ、アイオロスが答える。
「だからさ。サガはオレ達が近くにいると知れば、少なくとも…その、タナトスと同じ布団で寝ないんじゃないのかな」
 遠まわしな表現だが、つまり自分達がいれば羞恥心が湧いてタナトスと夜の営みを避けるんじゃないかという事をアイオロスは言っているのだった。
 カノンが手をぽんと叩く。
「なるほど、平和的だし無難だな」
 シュラもしぶしぶ頷く。
「それならまあ…範疇内の作戦かと」
 黄金聖闘士としての誇りの範疇内からは、億万光年くらい遠くかけ離れた作戦ではあるが、何とかシュラも妥協できる案だ。

 早速三人は近くのネットカフェで、まずホテルの予約プランと部屋状況を調べてみる。しかし検索で出てきたのは
カップル限定格安スイートルームプラン
 の表記だった。

2008/8/31




「「「………」」」
 ネット画面を覗き込んだ三人は、一様に無言となった。
 皆の胸に去来する思いは、表現の違いはあるものの、おおむね同じだ。
「このプランを使うために男女カップルの振りを…?」
「せこいな二流神…」
「カップル…カップルなのか彼らは…」
 最後に呟いたシュラが、何か深いところでどんより気力を失っている。
 ヒットポイントを大幅に減らしつづける後輩を放置して、カノンとアイオロスは考え込んだ。
「ええと、このプランを利用するには、俺たちもカップルの振りをしなければならないってことかな」
 普段であれば『ふざけんな』の一言でアイオロスを殴るであろうカノンも、苦悩の表情で言葉を選ぶ。
「オレもある程度幻影は使えるからな…タナトスと同じように、お前らのどっちかを女性に変形させて部屋をとるしかないか」
「変形とか言わないでくれ。君が化ければいいだろう」
「無理言うな。双児宮での幻惑とて、別場所から作り出したのだ。自分で化けて、自分で外からの映像をコントロールするのは難しいんだよ。他人からどうみえるのか調整しないと」
 突っ込み役のシュラは隣で撃沈しているため、会話を止めるものがいない。
 ちなみに「カップル限定格安プラン」というホテル宣伝の場合、実際にカップルかどうかという事や、カップルの性別などをホテル側でチェックする事はまずないし、そもそも普通は「カップル限定」ではなくカップル向け「室数限定」「期間限定」という意味だ。
 しかし、勘違いしたままのカノンとアイオロスは、部屋を予約するため真剣に悩んでいる。
「じゃあ俺よりシュラがいいんじゃないか?身長が1番低いし体重も1番軽いし」
「確かに、お前で実行するより難易度が低そうに思える」
 手段を選ばない先輩二人の会話が、引き返しのつかないところまで来ている事にシュラが気づいたときには、女性化の幻影を被る役は勝手に決定されてしまっていた。
「な…帰らせてください!」
 シュラは本気で主張したが、カノンとアイオロスも本気だった。

 しかも不幸なことに、カノンは常識的なイマジネーションしか持っていなかった。どんなに頑張っても、シュラをまともに女性化した映像を浮かべられないのだ。
「カノン…シュラはショートのままでいいんじゃないか」
「髪を伸ばせば女っぽくみえるかと思ったんだよ」
「まず体格が男のままになってるけど。胸もないし」
「オレの想像力の限界を超えてるんだよ!!お前が思い浮かべてみろよ!その映像をテレパシーで読み取って形にしてやるから!」
「ええ?それじゃあ…」
「アイオロス。こっち見ないでくれませんか」
 ぴきぴきと額に青筋を浮かべるシュラの堪忍袋の緒も、そろそろ切れそうになっている。
 シュラの女性化映像作戦はその後も1時間ほど無駄に続けられ、余計なところでタナトスの技量(というか想像力)の確かさに感心させられる三人なのだった。

2008/9/1




 一方、タナトスとサガは都会の雑踏をものともせず、二人の空間を作りながら歩いていた。
 片や人間は平伏して道を空けるのが当然と思っている死の神タナトスであり、片や元教皇として聖域で道を譲ることなどなかった黄金聖闘士である。二人の素性など知るわけのない一般人たちも、何故か彼らの発するオーラの前に近づく事が出来ずに遠巻きとなり、進む歩道は二人の専用通路と化していた。
 なにせ下手をすると避けるだけではなく、跪いて拝みたくなる気分にさせられるのだ。海の代わりに人の群れを割るモーゼ状態を不自然と思わないのは当の二人だけで、すれ違う人々はほぼ全員タナトスとサガの二人を何者なのかと振り向いている。
 他人の視線など気にする二人ではないが、今日は姿を変えられているサガが首を傾げた。
「タナトス。皆にじろじろ見られている気がするのだが、ちゃんとわたしは女に見えているのだろうか」
「それは問題ない。大方、お前の美貌に見とれているのであろうよ」
「若い女性の目を惹いているのは、貴方だと思うのだがな」
 そう言いながらタナトスに寄り添い、腕を組む。
 見た目は美貌の二人でも、会話内容は単なる馬鹿ップルだった。
 ちなみにサガは姿に合わせて言葉遣いを女性的な言い回しに改めるという発想が全く無く、そのせいで『凄い美人だけどもしかしてニューハーフ?』という疑問を却って周囲に湧かせているのだが、惚気合戦をしている二人は気づく由も無い。
 そうして二人の向かった先は、瀟洒なオープンカフェであった。
 ここでもまた、華やかな二人の登場で先客たちがざわめく。
 優雅でありながら鋭い刃のような気配で他者を圧倒する美男美女の二人連れが、一体どのように知的な会話を交わすのであろうかと、周囲の人間が聞き耳を立てたのも仕方が無い。
 どのような宝飾品よりも美しく身体を飾る青みがかった銀髪を、指先で優美にかきあげながら、傾国の女性(と周りには見えている)が頬をそめて口を開いた。
「…その、タナトス。大変なことに気づいた」
「何だ」
 相手の男はタナトスという名前なのか?それは芸名か渾名かハンドルネームか?街中でその名で呼ぶとは勇者だな…といった感想の周囲の空気などお構いなく、サガは言葉を続けた。
「これでは男子トイレに入れない」
「そんなことか。数日くらい我慢しろ」
 給仕をしにきたウェイターが隣でコップを取り落としたが、タナトスもサガも気にしない。
「人間の生理はそんなに都合よく出来ていないのだ」
「お前達(人間)には、わざと粗相をさせるような文化もあるのだろう」
「そんなプレイを文化とは言わん!」
 頼むからもう黙ってくれと心の中で泣いて頼むギャラリー達だった。


 その頃、アイオロスとカノンとシュラは悪戦苦闘に疲れ小休止を取っていた。
 憤りを通り越して無表情になっていたシュラが、ふとアイオロスに尋ねる。
「思ったのだが、わざわざ実在の男を女性化させるような精密な幻覚に頼らずとも、適当な幻覚で誤魔化せばよいのでは?受付の者が女性だと思い込めば良いだけで、俺達を女性に見せる必要はないだろう」
「うん、そうだね。俺も途中でそれに気づいた」
 アッサリと返され、シュラは聞き間違いかと一瞬無言になる。
 横で聞いていたカノンも同じように無言でアイオロスを見た。
「では、何故そう言ってくれなかったのですか」
「いやなんかカノンが頑張ってくれてるし、上手く行ったら面白いものが見れるかなと思…」
 ヒュン、と風を切る音がして、シュラのエクスカリバーが閃いた。聖域最強と謳われる反射神経で避けつつも、斬られたアイオロスの前髪が数本風に舞う。
「ちょ、ちょっとシュラ?目が怖いぞ?」
 逃げ腰のアイオロスの服を、がっしと掴んだのはカノンだ。
「てめえ…オレの努力と能力をなんだと思ってんだ」
 その努力と能力を兄のデート追跡に利用している事は棚に上げている。
 恐ろしく目のすわったシュラが、カノンに捕まったアイオロスへ迫った。
「ホテルの予約は俺がします。宿泊者名はアイオロスで良いですね。同行者はカノンで良いですね。女名ですしね」
「ええー」「何!?」
 アイオロスとカノンの両方から不満の声が上がるも
「それで良いですね」
 触れた物を全て斬り捨てる勢いのシュラを目の前にして、それ以上の異議は唱えられない二人だった。

2008/9/29




 サガは結局、入り口へ迷宮を張るという荒業で店のトイレを占有し、性別を誤魔化したまま事なきを得た。知らずに迷宮に迷い込んだ客数人が行方不明になり、探しに行った店員の姿までが消える騒ぎにはなったものの、サガたちが店を出た3分後には全員無事に店の中に現れて、警察沙汰にはならずに済んだ。
 そのせいでその店は現代の怪奇スポットとしてマスコミに取り上げられたりする騒ぎになったのだが、それはまた別の話。
 上質な珈琲で渇きを潤し、心地よく時間を潰したタナトスとサガは、次の目的地であるオペラホールを目指していた。ギリシアでの円形劇場になじんでいる二人だが、今日は現代建築での観劇である。なかなか評判の良い演目らしく、チケット入手も困難なほどの人気で、サガは密かに楽しみにしていた。芸術に関しては目の肥えたタナトスが選んだ舞台だ。質に関しては心配ないだろう。
 現地までタクシーで乗り付け、釣りは受け取らず降車して建物を見上げる。私用で世俗界に足を運ぶのみならず、このように誰かと楽しい時間を共有できるなど、なんと贅沢なことだろうかとサガは感慨に浸った。
 13年前までは、聖闘士としての任務や目指す教皇への修練で余暇を楽しむ間などなかったし、聖域を簒奪していた13年間はそれ以上に余裕など無かった。余裕を許される立場でもなかった。
 聖戦後に黄金聖闘士として蘇生されたこの身は、贖罪を課せられてはいるものの、こうして自由な時間を持つことが出来るようになっている。敵神であったタナトスとも、表面上とはいえ三界の同盟協定の結ばれた今ならば、会うのに不都合はない。そのタナトスは人間のことを滓とも思わぬ性格であったが、星矢に負けて以降はその態度も多少軟化していた。その変化はサガにとって喜ばしいものだった。
 サガの感慨をよそに、後から優雅に降りて横に並んだタナトスがふと考え込むような顔をしている。
「どうしたのだ?」
 連れの表情の変化に気づいて、サガが顔を覗き見上げた。
 タナトスはちらりとサガを流し見て、それから建物へと視線を戻す。
「この建物から死の匂いがする」
「どういうことだ」
 驚いたサガが問い返すと、タナトスは肩を竦めた。
「昨今人間界で流行っているテロの類であろうな。数分後にこの建物は爆破され死者で埋まる。観光客も多く注目のイベントゆえ標的となったのだろう。死の神としては、その惨禍を肴に近隣の店で酒を酌み交わすデートへの変更でも構わぬが…」
「そんなデートがあるか!」
 サガは慌てた。聞いた内容の衝撃で、それまでの感慨が一気に吹き飛ぶ。しかも爆破は数分後という。いくら万能に見える黄金聖闘士とはいえ、人間の出来る事は限られている。専門家でもない自分が、そのような短時間で爆発物の場所など捜し出せるはずも無い。
 サガが選んだ最短の解決策は、プライドを捨ててタナトスに頼る事だった。
「タナトス、貴方の力でどうにかならないのか」
「軽々しく神が介入することは許されておらん。このように事前に人に話すことも、本来であればルール違反なのだぞ。お前達聖域とて、政争には手を出さぬ決まりではないのか」
 そう返されてもサガは引かなかった。タナトスの胸倉を掴む勢いで迫る。女性の姿となっていても、その激しい小宇宙と眼差しは双子座の主そのものだ。
「それでも話してくれたのは、わたしが動くと判っているからだろう?」
 とても物を頼む態度ではなかったが、滅多に見せぬこのサガ本来の不遜な眼差しをタナトスは気に入っていた。本気を見せた時のサガの小宇宙は、煌く銀河のように鮮やかに燃え上がる。
「…爆破物が取り付けられているのは、表側非常口脇と舞台裏の奈落だ。爆発の被害よりは出口を塞がれた火災による一酸化中毒で死者が多く出るだろう」
 言葉と共に、建物構造と仕掛けられた爆弾の位置情報がサガの脳内へと直接渡される。サガは礼を言う時間も惜しみ、瞬時にそこから処理方法と時間を算出した。
(駄目だ。間に合わない!)
 テレポートで飛んで、爆発物を異次元へ除去したとしても、もう一箇所の対処が後回しになってしまう。
 通常の物質を異次元送りするのと違い、爆弾の類は衝撃を与えぬよう慎重な扱いが必要となる。
 簡単にはすまないのだ。
「オレは手伝わんぞ」
 冷たくタナトスは言い放つ。
 せめて片方の処理だけでもと瞬間異動したサガの脳裏へ、タナトスの思念が届いた。
『その代わり、後をつけて来ていた鬱陶しいお前の弟どもに同じ情報を流した。あとはお前たちで何とかするがいい』
 サガは目を見開いた。


 その後、カノンがもう片方の爆発物の場所へと飛んで異次元技を炸裂させ、シュラとアイオロスは実行犯一味の現地確認役と思われる下っ端を探し出し、捕縛に成功した。(これもタナトスの情報と、テレパシーを駆使出来る聖闘士の能力あっての反則技であったが)。
 その身柄は聖域の外交ルートを通じて現地警察へと引き渡され、あとは国の法に従って対処されることになるだろう。
 面倒な手続きは教皇候補アイオロスの権限で呼びつけた聖域の諜報員に任せ、一区切りついたところでカノンとアイオロスとシュラの三人は、目の前で腕を組んだサガに気づき、新たな脅威に身を竦ませた。
 サガはにっこりと笑顔で三人を威圧している。
「さて、何故お前たちがここに居るのだろうか」
 光速異動となりふり構わぬ必殺技行使のおかげで、サガの服はところどころ汚れ、裂けている。しかし、未だタナトスの幻影は解けておらず、サガは女性に見えたままだ。破れた胸元から豊満な胸が覗きかけていて、芸が細かいなとアイオロスだけは呑気に思っていた。無論顔には出さない。顔に出したとたんにGEを食らうのが目に見えているからだ。
 アイオロスはサガに負けずに笑顔を輝かせた。
「元敵神が地上へ降りたとなれば監視がいるからね。しかもその敵神から黄金聖闘士が何らかの利益供与を受けたとなれば、賄賂や情報漏えいの心配もあるし?」
 カノンとシュラは遠い目でアイオロスを見た。ここで言い訳どころか攻勢に打って出るとは、どんだけ大物なんだよという視線だ。それくらい図々しくないと教皇職は勤まらないのかもしれないが、サガもまた堂々と主張した。
「元反逆者であるわたしの信用が薄い事は判っている。だがわたしは公私混同をした覚えは無い」
「でも、今日の遊興費用だってタナトス持ちなんだろう?ホテル代とかも」
 むしろ思いっきり公私混同な追求をしているのはアイオロスである。
 サガは睨みつつもきっぱりと言い返した。
「そのようなわけなかろう!自腹だ!」
「「「ええええええええ!?」」」
 思わず三人の声が重なる。
「な、何でですか」
 シュラが思わず突っ込むも、サガは逆に問い返した。
「何故わたしがタナトスに金を出して貰わねばならんのだ」
「だって、デートなのでしょう」
「タナトスにわたしの分まで払わせるいわれが無い。…それゆえ、本来であればホテルとて神に相応しい格式を選ぶべきなのだろうが、ランクを落としてわたしの懐具合に合わせた場所を見つけて頂いたのだ…」
 最後のほうは申し訳なさそうに声を落としている。それなりのレベルのホテルで、良い部屋を確保するためのスイートルーム格安プランであったのかと、ようやく合点のいく三人だった。
 驚きと多少の敗北感を持ってカノンが尋ねる。
「タナトスが、そのプランを探してきたのか?」
「いや、探したのはタナトスに命じられた冥闘士らしい」
 三人は本気でその冥闘士に同情しつつ、互いに目配せした。タナトスは後をつけてきていた自分たちの事を完璧に把握していたようだ。その上で死の神としての節を曲げてサガに惨事を教え、自分たちに協力の機会までを与えたのだ。
 今日のところは完敗だった。
 カノンが溜息をつきながらサガに告げる。
「勝手にくっついてきて悪かったな。あとでいくらでも怒られてやるから、とりあえず戻ったらどうだ。あの二流神が待ってるんじゃないのか?」
「あ」
 サガが思い出したように声をあげる。そして途端にそわそわと慌てだした。
「そうだった、まだわたしは彼に礼も言っていない!」
 破れたスカート(に見えるだけで実際にはスーツの裾)を翻し、タナトスの待つ場所へと転移するため小宇宙を高めていく。残された三人は苦笑して見送るしかない。
 だが、テレポートの寸前に、サガは表情を和らげて三人にも笑顔を見せた。
「お前たちにも感謝している。わたしだけでは今日のテロを防ぐ事は出来なかった…ありがとう」
 そう言って消えていったサガに、三人は完全に降参の手を上げた。


「待たせたな」
「全くだ。たかがあの程度の処理で、どれだけ神を待たせるのだ」
 息せき切って戻ってきたサガを、ホテルのバーで待っていたタナトスはいつものように容赦なく切り捨てた。
 そして待つ間に飲んだのであろう水割りの伝票を、何も言わずサガに押し付ける。
「このような場合、お前が払うのが人間界でも定石であるのだろう?」
「ああ」
 サガはそれを受け取り、謝罪を口にしながら頭を下げた。
 それでもタナトスは不満の口上を収めない。
「余計な節介のせいで観劇も出来ず、用意してやった服は初日で破るわ、お前はまったく面倒でトロい男だ」
「本当にすまない」
 そう言いながらもサガは微笑んでいた。伝票を手に、にこにことタナトスを見つめる。
「貶しているのに、その嬉しそうな顔はなんだ、気持ちの悪い」
「貴方とのデートが楽しいからだ」
 目を丸くしたタナトスを尻目に、サガは支払いを済ませている。
「今日は運動をしてきたゆえ食欲もある、このあとの食事を期待している」
 極上の笑みを浮かべているサガへ、呆れの色を浮かべたタナトスが冷静に呟いた。
「その格好では入れてもらえまい」
 言われてサガは初めて自分の姿を見下ろした。確かにレストランどころか公共の場ではいかがなものかという状態の服だった。ここまではテレポートで駆けつけたために問題はなかったものの、どうりでレジの担当者が赤面して視線を合わせなかったわけだ。
「どこまで神に手間をかけさせるつもりか」
 そう言いながらも、タナトスはその神力でもって、サガの破れた服を繕い元に戻していく。
 サガはじっと情人の顔を見つめた。
「ありがとう、タナトス。ついでと言っては何だが、わたしを元の姿に戻してはくれないか」
 怪訝な顔をを見せる死の神の手を、サガはそっと握る。
「奇異に見られてもわたしは構わない。わたしは本来のわたしのままで、貴方の前に立ちたいのだ」
 異性の形をとるのもそれなりに楽しかったがと伝えつつ、「それに」とサガは続けた。
「女性の姿のままでは、このあとの店で大量の注文をしにくいだろう?」
 タナトスは暫く黙っていたが、サガを包んでいた幻影を解き、その肩を抱き寄せる。
「食い気が先か。お前は全く色気もない」
「我儘ばかりですまないな」
 二人は見詰め合ってから少し笑い、それから軽く触れ合うだけのキスをした。

2008/12/19

〜オマケ〜

「ところでアイオロス」
「なんだろうシュラ?」
「ホテルの当日キャンセルは宿泊費100%とられるのですが」
 すっかり忘れていたが、三人はサガたちと同じ階の部屋を、嫌がらせのために取っていたのだ。
 無駄にするのも勿体無いが、どうしようもない。
「ワリカンにしようか」
 アイオロスが苦笑すると、意外なことにカノンが却下した。
「お前らを付き合わせたのはオレだ。オレが払う。だが、あの部屋はキャンセルせんぞ」
「ええっ?まさかこの流れであの部屋に泊まりに行くのか?」
「そこまで厚顔ではないさ」
 カノンの返答にアイオロスとシュラは不思議そうに顔を見合わせる。
「ではどうするのです」
 シュラが尋ねると、かつてその策謀で神を誑かした男はニヤリと笑った。
「星矢とその姉に、聖戦での慰労を兼ねてプレゼントしようと思う」
「「はあ!?」」
「オレ達が行くより、その顔ぶれのほうがサガにも二流神にも効果あるだろうしな」
「「………」」
 全く懲りていないカノンだった。その知略にアイオロスは感心し、シュラは呆れている。
 確かに星矢たちの気配を近くに感じたら、タナトスもサガも事に及ぶような真似は出来ないだろう。
 二人の視線をものともせず、カノンはさっそく星矢に連絡をとりつけるため小宇宙を飛ばし始めたのだった。


たまには甘めエンド!