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◆アクアマリン
◆1…(サガとバイアン)


 カノンが海将軍として復帰して以降、サガはしばしば海界へと降りる。
 弟の仕事が終わるのを待つ間、ヒマな海闘士が物珍しさからか集まってきて、話し相手になるのが常だ。
 海将軍筆頭の双子の兄でありながら敵の黄金聖闘士でもあり、しかも女神に反逆した過去を持ちつつも未だ聖域で皆の信頼を集めている人物となれば、海闘士の興味を引くのも無理はない。また、サガを通して謎めいていたシードラゴンの話を聞きたがる者も多かった。

 海将軍ともなると、雑兵のようなあからさまな野次馬的態度はとらない。こちらは純粋な好意と礼儀から挨拶をするために顔を見せた。若くて才能のある伸び盛りの海将軍たちを見ていると、つい指導をしたくなるサガだったが、流石にそれは僭越と控え、助言のみに留めている。彼らを鍛える務めや権利、それらは聖域の人間のものではなく、海将軍筆頭であるカノンや彼ら自身のものであるからだ。

 今日のサガの話相手はバイアンだった。彼は折り目正しい海将軍の中でも真面目な性質で、多少自信家ではあるものの、それは彼の実力と誇りに相応しく、サガにも丁寧に接してくる。真面目なだけに、過去のカノンが都合よくこの海将軍を利用していたであろうことが会話の端々に読み取れて、サガはこっそり心の中で頭を下げた。

「聖域は居づらくないだろうか?もしそうであれば、海界へ来てしまえばいい」
 真面目だが、バイアンは言葉を飾りはしなかった。
 相手が黄金聖闘士であれ、率直にものを言う。
「ありがたい言葉だが、それは出来ないのだ」
「何故?」
 サガはまだ若い年下の海将軍にニコリと笑った。
「では、例えばわたしがカノンに…シードラゴンに『海界が居にくければ、贖罪などやめて聖域へ来てしまえばいい』と言ったならば、君はどう思う」
 諭された海将軍は、はっとしたように顔色を変えて、それからすまなそうに謝った。素直なところも海千山千の黄金聖闘士たちとは違うなとサガは思いながら、顔を上げてくれるよう頼む。
「心配してくれてありがとう。だがわたしは実のところ、聖域にそう居にくい訳でもない…と最近は思う。そしてわたしの弟もきっと、海界に対してそう思っている」
 目を見開いたバイアンが、その言葉の最後で一瞬嬉しそうな表情を走らせたのを見て、やはりまだまだ海将軍は他界の闘士に比べ経験値が足りないなと思うサガだった。彼が外交上の駆け引きをこなせるようになるまでには、もう少し時間がかかるだろう。

 だが、その純粋な心持ちを無くさないで欲しいものだとも、サガは思った。


(−2007/12/4−)

◆2…(海将軍と特例聖闘士)


 今後の海界運営について話し合う、海将軍会議合間の休憩中。
 唐突に零されたイオの一言によって、カノンは危うく飲んでいた珈琲を吹きかけた。
「黄金聖闘士ってみんなお母さんみたいな感じなのかな」
 カノン以外の顔ぶれも、イオの発言に注目する。
 皆の視線を受けたイオは、少し赤くなりながらも言い訳のように付け足した。
「だってほら、カミュとかサガとか、凄く優しいだろ」
 双子座と水瓶座と白鳥座は、海将軍の身内扱いとして海界への自由な出入りを許されている。彼らはポセイドンのお気に入りでもあり、聖闘士としては異例の待遇だ。
 彼らは足繁く海界を訪れる。中でもカミュとサガは世話焼きタイプで、年下の者に対して非常に面倒見が良い。気配りもマメで、毎回多めの手土産を用意しては、おすそ分けを誰彼となく振舞っている。相手が海闘士であろうが何だろうが、あまり気にしないタイプのようなのだ。
 しかし、面倒見が良く優しいというだけであれば、海闘士の中にもそのようなタイプは大勢いる。いや、海闘士も軍集団のならいとして、基本的に年長者は年下の者の面倒をきちんと見る。
 カミュやサガの接し方はそれらとはまた別に、何故か『おかあさん』を彷彿とさせるのだ。

 海将軍は来訪中の二人の姿を思い浮かべ、それから爆笑した。

「い、いや、しかしイオ。あの二人がそうだからといって、黄金聖闘士全員がそうだと想像するのは統計学的に間違っている」
「フォローになってないぞバイアン」
「そういうクリシュナとて笑っているくせに」

 皆が笑いながら話す中、二人を良く知るカノンとアイザックだけは反論を試みる。
「カミュ…アクエリアスは、身内に対しては厳しくクールだ」
「サガとてそうだ。俺を怒るときなんざ、鬼の形相だぞ」
 けれども皆の笑いは収まらない。
 ソレントが口を開く。

「そのクールさも厳しさも、貴方がたが深く愛されているがゆえのものだろう?」

 それは何時もの毒舌ではなかった。
 アイザックは頷き、カノンは気まずそうに視線を彷徨わせた。照れくさいのだ。
 会議室に暖かい空気が流れる。聖戦前はどちらかと言えば仲間に対しても冷たい壁のあったカノンとアイザックの二人が、今はこうして血の通った一面をみせてくれる。
 それは明らかに彼らの家族との関係修復にも一因しているのだろう。

 海将軍たちはサガとカミュを笑ったけれども、それは嘲笑によるものではない。むしろ感謝と親愛の篭るものだった。
 特例聖闘士たちは意図せずして、聖闘士に対する海闘士たちの偏見を薄めていた。

 和気藹々と茶の進むなか、アイザックがぼそりと言う。
「俺は皆のことも身内だと思っている」
 今度は暖かながら、静かな沈黙が訪れる。
 その沈黙には、同意と深い信頼が含まれていた。
「さあ、休憩はもう充分だろう。後半の議題に入るぞ」
 カノンが少しぶっきらぼうにその沈黙を破り、その様子が『カノンは?』と聞かれる前に先制したつもりなのが見え見えで、海将軍たちはまた一同和やかに大笑いした。

(−2009/8/30−)
◆3…(海龍と元偽教皇)


 兄は無理をしているのではないか。
 カノンがそう思ったのは、ソレントの何気ない一言からだった。
「貴方の兄上は、何だかいつもキラキラしていますね」
 半ば感嘆、半ば呆れながらの発言にソレントの視線を追うと、そこには海闘士たちに囲まれるサガがいた。キラキラといっても、別に物理的に光っているわけではない。彼の発する独特の雰囲気を形容すると、そういった表現になってしまうのだ。

 サガが現れるとその場の空気が変わる。他者を圧倒し、それでいて包み込む穏やかな小宇宙が静かに広がっていく。
 『神のような』と言われた過去は伊達ではなく、いまも他界陣営の人間ですら簡単に惹きつける。
 カノンは眉をひそめた。その『キラキラ』が、聖域に居るときに比べると随分増しているように思えたのだ。

 あのキラキラは偽善による外面の取り繕いであるというような、表面的なものではない。もっと壮絶な、サガの内面を常に切り裂く相克あってのものなのだ。己の中の闇を抑える為に、光もまた強くあろうと輝く。輝くほどに闇は濃くなる。深部の大渦はギリギリのところまで拮抗し、その拮抗が表面上の平穏と煌きを作り出す。
 二匹の龍が絡み合いながら天を目指すごとく、相反しつつも高みを目指した二人のサガのありかたを、気高いとすらカノンは思う。

 だからこそ、もしも馴れぬ海界で隙を見せぬよう振舞っている結果、あのようにキラキラしているのならば、気を張る必要はないと言ってやりたい。海界で自分の傍にいるときくらい、寛いで欲しいのだ。

 また、大勢に慕われるサガの様子は、13年前のただひたすら輝かしい兄を思い起こさせた。人々に好かれること自体は悪くないのだが、あのころのサガは、取り囲む他人が増える分カノンから遠ざかって行った。
 今は違うのだと判ってはいる。それでも昔と同じ感情が顔をだしてしまう。

「おいサガ」

 思わず声をかけると、サガは海闘士たちへ会釈をして会話を切り上げ、こちらへと歩いてきた。小首をかしげて『何だろうか?』という顔をしている。
 カノンは己のささくれが癒されるのを感じて、僅かな時間その感覚を噛み締めた。
 呼びさえすれば、サガはカノンを選ぶのだ。人前でサガを呼ぶことの出来ぬ昔はその事が判らなかった。そのせいで、いつでもサガが自分より他人を、聖域を選んでいるのだと思い込んでしまっていたが。

 去来する想いを一旦横へ置き、カノンはサガへ視線を合わせる。
「お前さ、聖域に居る時と少し違わないか?」
 指摘すると、サガはきょとんとした顔をして、それから「ああ」と言った。
「海界では少しだけ普通にさせてもらっているからな」
「ふつ…う?」
 疑問符を浮かばせたカノンへ、サガは目を伏せ遠慮がちに告げた。
「聖域では罪人たる私が目立つと傷つく者もいるゆえ、出来るだけ己を殺し、小宇宙も抑えて控えめにしている…しかし海界で同じように振舞うことは出来ぬ」
「何故だ」
「私が偽教皇だったからだ」
 サガはきっぱりと言い置き、苦笑した。
「卑屈に身をかがめた結果、海界の者たちに『聖域はあの程度の男でも教皇が務まったのか』と思われるわけにはいかないのだ。私ではなく聖域の名誉に関わる。それゆえ気は引けるが、こちらでは多少楽にさせてもらっている」
「……」
 どうやら心配の方向は逆だったらしい。
 サガは海界で無理をしているのではなく、聖域の方で抑圧を強いられているのだ。そして、過去の罪を思えばそれは避けられぬことだ。贖罪から逃げろとは言えない。
 それなら、自分はもっとサガを甘やかそうとカノンは思った。
「お前もっと海界に遊びにこいよ」
「カノン…」
「海界では、少なくともオレの領域の北大西洋のエリアでは遠慮するな」
「…ありがとう」

 カノンの言葉を素直に受け入れたのか、キラキラが更に強まっていく。
 間近でサガの小宇宙をうけ、カノンは気づいた。この輝きはかつての相克で磨かれた小宇宙ともまた別のかたちだった。サガの中の光と闇の和解による平安の輝き。
 相身互いに削りあうことなく、なにも抑えることなくサガが本領を発揮したならば、『キラキラ』はもっと凄いことになるのだろう。

「遠慮しないのは結構ですが、うちの海闘士たちは純朴なんですから、そういうのは二人だけの時にやってください」

 隣から冷静に釘をさすソレントの声が聞こえ、抱き合おうとしていた双子は我に返ると、慌てて互いにその身を引いた。

(−2009/8/22−)普通にした結果、おかんと思われてますけどね…

◆4…(同列1位)

「なあ、カーサはカノンとサガにはよく化けているよな」
 海将軍の集う休憩室で、イオがリュムナデスへ話を振った。
 良くある世間話ともつかぬ交流のひとときだ。リュムナデスが頷いて肯定する。
「双子で片方は二重人格。化けるのも心を視るのも良い鍛錬になるのだ」
「ああ、それでかー。黄金聖闘士ならアクエリアスもたびたび来るのに、そっち相手にはあまり化けてないなーと思って」
 たいした疑問でもなかったが、謎がとけてすっきりした顔のイオに対し、カーサが言いにくそうに語尾を濁す。
「いや…あちらはあちらで良い鍛錬になりそうなのだが…」
「なに?アクエリアスには遠慮しているのか?」
「アクエリアスにというより、アイザックにというか」
 同僚の名を出され、イオは首を捻る。
「そりゃ、自分の師匠相手に何かされたら怒るかもしれないけど、許可を貰って化けるだけなら特に問題ないのでは?」
「それが問題なのだ」
「なんで」
 なおも不思議そうに尋ねるイオに、カーサは肩をすくめた。
「アクエリアスには弟子が二人居る」
「ああ、知ってるぞ。アイザックの弟弟子が白鳥座の聖闘士なんだろう?」
「そして俺が映すのは最愛の人間の姿だ」
 しばし微妙な空気が流れたあと、またしても腑に落ちた顔で、イオがぽんと手を叩く。
「あー…どっちの姿になっても、アイザックの立場だと微妙なのか」
「実は心だけなら覗かせて貰った事がある。アイザックとキグナス以外の姿をとれば無難なのではないかとな。しかし、その二人と並んで浮かんだ、彼の同僚らしき金髪の黄金聖闘士も…こう…これがアクエリアス最愛の姿だとアイザックに見せるのはどうも…」
「確かに最愛の人間が同列で何人も居ると、意外と気を遣うかも」
「だろう?」
 戦闘相手に対しては無敵に近いリュムナデスの能力も、同僚に対しては気苦労のほうが大きくなる事が多々あるのであった。

(−2010/5/5−)
◆5…(対戦ゲーム)

「シードラゴンの部屋に、テレビが…?」
 カノンの宮へ足を踏み入れたバイアンは、ぽかんと文明の利器を眺めた。
 もちろんバイアンとてテレビくらいは知っている。
 ただ、それがこの神話の世界ともいうべき海底神殿にそぐわないことと、今までのカノンの部屋が殺風景のきわみであったことを併せると、なにやらとても違和感を覚えたのだ。
「テレビだけではないぞ」
 答えたのはサガだ。シードラゴンの兄である彼は、時折カノンに会いに海界へ降りてくる。ポセイドンの許可は得ているので海将軍が口を挟むことではないが、聖域にシードラゴンを自由に入らせる女神といい、海底神殿へジェミニを自由に入らせる海皇といい、おおらか過ぎだとバイアンですら思う。
 そのサガが指差したのは隣に置かれたゲーム機。
 もちろんバイアンとてゲーム機くらい以下略。
 唖然としているバイアンへ、苦笑を浮かべたサガが言い訳めいた説明を始めた。
「このようなものを持ち込んだ弟を許してやってはくれまいか。これはわたしのせいであるようなのだ」
「そうなんですか?」
「わたしが弟を待つあいだ、暇だと考えたのだろう。わたしは本でもあれば問題ないのだが…」
 よく見ると、ゲーム機のとなりにソフトが幾つか置いてある。
 バイアンはゲームをするジェミニを想像してみた。これまた違和感のあることこの上ない。
 一体カノンはどのようなゲームを持ち込んだのかと覗き込んだバイアンは、思わず笑みを零した。
 どれも対戦ものばかりなのだ。
 サガだけのためであるのなら、違ったセレクトもあるだろう。
 これはカノンがサガと対戦したり、サガが海界人と交流したりすることを前提に置かれたものなのだ。
 ゲームに疎そうなサガは、そのことに気づいていないかもしれないが。
(まあ、自分とて詳しくないけれども)
 内心で呟きながらも、バイアンはここにいない海将軍筆頭の顔を思い浮かべる。
「シードラゴンは、貴方のことがとてもお好きなんですね」
 そういうと、サガは驚いたような顔をしたあと、照れたような、それでいて嬉しさを押し隠すような、慎ましい笑みをバイアンに向けてきた。
「せっかくだから、何人か呼んで遊んでみませんか?」
 バイアンはソフトのなかから人生ゲーム的なものを摘みあげ、サガの了承をとると、さっそくイオとアイザックにテレパシーで呼びかけた。


(−2011/8/24−)
◆6…(カノンとソレント)

 短い聖域での休暇のあと、海界へ仕事に出るとソレントが噛み付いてきた。
「聖域に行くのは構いませんが、何でいつもお兄さんの匂いをつけて帰ってくるんですか。下級兵に示しが付かないでしょう」
「サガの匂い?そんなものするか?」
 思わず反射的に腕を上げて匂いを嗅いでしまった。朝にシャワーを浴びてきているのでオレが匂うわけはないし(加齢臭だったらショックだ)、大体サガの匂いって何だ。
「しますよ。貴方は聖域へ行くと、違う匂いをさせて戻ってきます。例えばその髪。サガの匂いがついてます」
「は?もしかして洗髪剤のことを言っているか?」
 ソレントが何に文句をつけているのか判らなくて、本気で首を傾げる。
「なぜ朝から貴方とサガの髪から同じ匂いがするんですか」
「そりゃ同じ洗髪剤使うからだろ」
「下手な言い訳ですね。何故わざわざサガと同じものを使うんです」
「いや、サガと同じっていうか、聖域の支給品だから全員同じだぞ」
「…え?そうなのですか」
 ちょっとソレントの攻撃が弱まった。
「昔はオレの存在を隠していたし、サガと差異をつけるのはまずいってのもあった」
「それは昔の話ですし、今は自分用のものを置いてもいいのでは」
「宮に備え付けの洗髪剤があるのに、わざわざ聖域外まで出て別のを買う理由などないだろう…というか、それは贅沢だ。訓練生や雑兵のほとんどは任務以外での聖域抜けを禁止されている。そんな中で上の者がチャラチャラしては示しがつかん」
「はあ…なるほど…」
 ソレントは態度を改め、少し考えたあと頭を下げてきた。
「すみませんでした。貴方に失礼な邪推をしたようです」
「は?邪推??」
「何でもありません」
 ソレントはそのまま行ってしまった。サガの匂いをつけてきたら何が邪推なのか…と考えかけ、別のことに思い至る。
「なんであいつがサガのシャンプーの匂いを知ってるんだ」
 時々海界へ降りてくるサガが、海闘士と交流のあることは知っているが、思っている以上に仲良くなっているのかもしれない(サガは外面だけはいいし)。

 あとでポセイドン神殿本宮の執務室へ顔を出したら、ソレントが詫びのつもりなのかアルムドゥードゥラーを出してくれた。


(−2011/10/25−)
◆7…(カーサとソレント)

「そういえばカーサ、貴方はわたしにリュムナデスの技を使わないな」
 執務の休憩時間、テティスの用意したお茶を飲みながらソレントが呟いた。
 テーブルの向かいで、呆れたようにカーサが答える。
「何を言ってるんだか。お前だって味方に必殺の笛を聴かせないだろう」
「まあ、そうですが…ほら、聖域のジェミニにはよく練習がどうのといって、化けてるではありませんか」
「あいつは特別複雑な奴なんだよ。だから練習になる。しかし、お前の大事な相手は、別に心を読まなくても判るって言うか」
 カーサの言い分に、少しソレントがむくれた。
「まるでわたしが単細胞みたいな言い方だ」
「いや、そういうのでもなく…そうだ、例えばお前、テティスの1番大事な相手を当ててみろと言われたらどうだ」
「…それはまあ、ポセイドン様であり、ジュリアン様でしょう」
「だろ。ま、海将軍の大半はそうなるはずだ。聖域出身者以外はな。俺たちは海皇へ絶対の忠誠心と愛情を持っている。逆に言えば、海皇以上に大切な人間はいなかった。大洪水で地上を滅ぼすことを、躊躇わない程度には」
「……」
「その善し悪しは俺にはワカラン。しかし、お前の大切な相手は読むまでもなく判るし、海将軍として今後もその相手が1番でありつづけるだろうと信じている。だから技を使わない、それだけのことだ」
 悪人面で飄々とそんなことを言うカーサの言葉は、本音なのか口先だけなのか微妙なところである。しかし、ソレントは紅茶を飲み干すと、カップをかちゃりとソーサーへ戻して苦笑した。
「確かに技など使う必要はないな。カーサはそんなものに頼らずとも、わたしを丸め込む方法に長けている」
 その言葉に対してカーサもまた笑みを返したが、それはニヤリと表現するのがぴったりの笑い方であった。


(−2012/3/6−)
◆8…(保護者役のはずなのに)

 ぽーんという威勢のいい音とともに、エアーベッドが破裂して吹っ飛んだ。
 原因であるバイアンが驚いて目を丸くしたあと、困ったような顔をしてカノンの方を見る。原因は空気の入れすぎだ。
 ここはソロ家所有のプライベートビーチ。背景にはどこまでも青い海原が広がっている。
「すみませんシードラゴン、加減しそこねました」
 横からソレントが涼しい顔で口を挟む。
「謝ること無いですよ。ゴッドブレスできる肺活量あるなら簡単だろとか言って、貴方に押し付けたあの人が悪いんですから」
「しかし、失敗したのは俺のせいだからな。すまんカノン」
「ああ、気にすんな」
 カノンはひらりと手を振った。海将軍たちの海水浴につきあったものの、自分は寝ているつもりだったのだ。それが海上になるか砂浜になるかの違いだけで、予定に大差はない。
「大丈夫だ。まだもう1つある…また空気入れを頼んでも良いだろうか」
 しかし、横から会話に混じってきた兄・サガの声で現実にたちかえり、カノンは遠い目になる。職場仲間の行楽に、何故なんの違和感もなく兄が混じっているのだ。
 バイアンも快く引き受け、今度は上手くエアーベッドを膨らませた。サガや自分が横たわれるサイズなのだから、相当大きなものだ。バイアンがいなければ、これを膨らませるのは骨だったろう。涼やかな声で礼を言うサガと、照れたように会話をしているバイアン。違和感を感じているのは自分だけで、他の面々は当たり前のように受け入れている(ソレントは多分あえて流している)。
 サガが楽しそうにカノンを見た。
「カノン、一緒に乗ろう」
「は?」
「狭いが二人くらい乗れるだろう」
「ムチャ言うな沈む。ていうか狭い」
「重なれば乗れるのではないか?」
「何で重なってまで一緒に乗らなきゃならんのだ!」
「1つしかないエアーベッドを双子で争いあうより、二人で使いたい」
「いや、争うつもりはないし。浮き具を聖衣と同列のように語られても…」
 言いかけてカノンは黙った。聖戦後は隠れることなく生きることとなったカノンであるが、そのために兄と何かを半分にすることはなくなった。それはカノンの自立を意味するが、ときおり昔の距離も懐かしくなる。
 1つのものをサガと分け合って使うなど、何年ぶりのことだろう。
「…一緒に乗ってやってもいいが、多分沈むぞ」
「やってみなければ判らないだろう」

 海将軍たちの暖かい視線(ソレントだけは生暖かい視線)のなか、美丈夫二人に乗られたエアーベッドは、沈みはしなかったものの、過重のため、皆の予測どおり盛大にひっくりかえった。


(−2012/8/30−)
◆9…(罰)

 あの人のことをどう思っているかですって?そりゃもう最悪です。
 神をたばかり、海闘士たちを騙し、あれだけの災厄を引き起こした男ですからね。しかも、理由が私欲のためだなんて、眩暈がするほど勝手でしょう。大勢の人が死ぬというのに、そんな理由だったんですから。
私たちとて人類の粛清が恐ろしくなかったわけじゃない。それでも、神のおぼしめしと思うからこそ、地上に楽園が訪れると信じて戦えたんです。
 はかりごとが明るみに出たとき、フェニックスは「戦う価値もない」って言ってましたけど、私も同感でしたね。殺すほどの価値もありませんでした。
 それがまさか生き延びて、アテナとともに聖戦に参加するとは。更におめおめと海将軍に返り咲くとは。あまつさえ、その兄まで押しかけて来るようになるとはね。
 あ、最後の厭味は通じたんですか。良かった、聞き流されたらどうしようかと思いました。まあ海皇がお許しになっていることですから、私たちがどうこう言える立場でもないですが、貴方とて聖域では大罪人なのでしょう。大丈夫なんですか、海界なんぞへ頻繁に足を運んで。また何ぞ目論んでいるのかと疑われるのではないですか?
 は?心配ありがとう?違いますよ、呆れてるだけです!
 だいたいあの人、貴方が生きていたら地上を海に沈めようとまでは思わなかったですよね。いや、本当に。何で貴方がそこで不思議そうな顔をするんですか。
 私たちにはそこまで心にかかる相手はいませんでした。友人も家族も祖国も、理想の歯止めにはならなかった。全てが清められるなら、大いなる犠牲は仕方ないと思っていました。
 え?ジュリアン様?ポセイドン様ではなく?
 ああ…なるほど。貴方の言うとおりですよ。今なら、ジュリアン様が地上にいるとなれば、大洪水の実行に躊躇します。
 生きていくうちに、大切な存在というのは生まれもすれば、消えもする。ある時点で大切な相手がいないからといって、地上に価値はないと沈めていいわけなかった。そんなことも私たちは判っていなかった。勝手なのは私もだったんです。
 ジュリアン様と水害のあった地域の慰問にまわるうちに、そんな風に思うようになりました。
 被災地をまわってみると判りますが、みな大切な者の死を誰かのせいにすることが出来ないんです。『災害』ですから。巡りあわせが悪かった…そう思うしかない。
 本当は私たちがやったのです、と何度その場で土下座したくなったことか。
 ええ、判っています。そんなことをわざわざ告げて、辛くとも乗り越えようとしている人々の心に、憎しみの種を撒くことなんて出来るわけないですよね。
 謝罪すら許されないことが、罰なのだとそのとき感じました。
 罰といっても、神罰じゃありません。ポセイドン様は配下の海将軍を罰しはしません。外部からのものではなく、もっとなにか…上手くいえませんけれど、この罰がこころになければ、私は人ではなくなってしまう。そういう罰です。
 え、貴方もそう思う?別に同意が欲しかったわけではないのですが…ありがとうございます。
 それで、謝罪の許されなかったわたしはフルートを吹きました。このときのために自分は音楽を学んでいたのだと思いました。もし音楽がなかったら、身のうちに吹き荒れる地獄をどうにも出来ず、私は押し潰されるしかなかった。人々を癒す音色で、私も救われたのです。
 いや、私のことはどうでもいいんです。こんなこと話すつもりは無かったのに、どうも貴方の前だと調子が狂いますね。
 ですから、まあ…あの人のことは、そりゃあ腹は立ちますし、絶対に許してはならないことだとは思っていますけれど、憎いのとは違うんです。
 被害者の人たちが誰も憎めないのに、加害者側のひとりである私があの人を憎んでいいわけないでしょう。そういう棚上げはしたくありません。
 それに、あの人を見ていると、人は変われるものなんだなと、人間に希望を持てる気がして。例え地上に汚れきった人間しかいなくなってしまっても、きっとそのままに終わりはしないと思えるんです。
 ですから、もしもこれから先、私が生きている間にまた海皇様が粛清をお考えになったときには、浄化は必要ございませんと言上するつもりでいます。
 あの、何で貴方が頭を下げるんですか。これは私の決めたことで、貴方にも貴方の弟にも関係のないことですから。
 あの人と同じ顔でそんな風に微笑まれても、違和感あるだけですから、サガ!


(−2012/10/24−)
◆10…(本名)

 海界でのカノンは、本名も出自も当然ながら隠していた。配下や海将軍たちにはシードラゴンと己を呼ばせ、決して心のうちへは踏み込ませない。
 しかし、あるときバイアンとイオは聞いたのだ。カノンが名乗りをあげるべき場面で「オレはジェミ…シードラゴンだ」といい間違えたのを。
 二人は敏く、また優しかったので、シードラゴンが伏せているであろう内容を暴くことはしなかった。ただ、そっとこのような会話を交わしただけだった。
「彼は本名を名乗ろうとしないが、もしかして今言いかけたのがそうなんだろうか」
「ああ、確かジミーと言っていたような」
 二人の勘違いは、聖戦後に全てが暴かれるまで密かに続いた。


(−2012/11/8−)
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