◆寂しくても死なない
復活とともに女神への恭順をみせて以降、黒サガがもまた聖域の一員として組織の命令を受ける立場となっている。もっとも黒サガが大人しくしてみせるのは女神に対してのみで、シオンや他の黄金聖闘士たちへは尊大な態度を崩さないままであったが。
それでも教皇であるシオンには、表面上だけでも拝謁という形式で職務報告を行う。
今日も黒サガは任務完了の報告がてら十二宮の石段を上っていた。最近では雑兵や神官たちも彼に慣れてきて、近づきはしないものの、あからさまな罵声を浴びせる事はなくなってきている。サガの教皇時代の施政を評価する者などは、慎ましく挨拶の声をかけることもある。
しかし、たったいま石段を降りてきた神官は、出会いがしらに黒サガを見てぎょっと足を止めた。
神官だけではない。今まですれ違ってきた雑兵たちも一様に固まっている。
みな、自分の見たものが信じられずにもう1度振り返って確かめたいのだが、それすら恐ろしくて躊躇らわれている様子だ。
本日の黒サガの頭には見事なウサギの耳がついていた。
髪と同色の美しい毛並みは極上のビロードを思わせ、ときおり周囲の物音を拾うかのように動いていて、どうみても作り物には見えない。
(((それは一体何のプレイなんだ!?)))
その姿を目にした聖域の住人達は、みな心の中で突っ込んだものの、色々な意味で怖くて本人に向かって聞くことの出来る者はいない。黒サガは相変わらず周囲の視線など気にも留めずに十二宮の石段を歩いていった。
最初に彼へ直接物を言ったのは同じ黄金聖闘士のアイオリアだった。いつもであれば苦虫を噛み潰したような顔をしながらも獅子宮を通る許可を出すのだが、今日は黒サガの姿をみるなり物も言わずに法衣を掴んで自宮内へ引きずり込んだ。
「お、お前は…真面目にアテナへ忠誠を尽くすようになったと思っていたのにそれは何だ!ふざけているのか!」
入り口から数歩の位置にある柱の影まで連れ込み、一気にまくしたてる。黒サガは大人しく連れ込まれていたものの、馬耳東風というか兎耳東風だ。兎耳を後ろへ向けて聞き流し、意に介しもせず言い返した。
「別にふざけてなどおらぬが。お前こそまた私の出仕の邪魔をするとはどういうつもりだ」
「そのような怪しい風体の輩を通せるか!デスマスクは何をやっているのだ!」
「奴は何も言わなかったぞ。そもそもこれは小娘…女神の仕業だ。聞いておらんのか」
実際にはデスマスクもかなり遠い目状態で、何も言わないのを良いことにさっさと巨蟹宮を抜けてきただけだ。しかしアイオリアは思いもよらぬ反撃を受けて目が点になっており、それを追求するどころではない。
「…女神が?」
「普通に考えて、このような真似が出来るのは神くらいだろう」
今度こそアイオリアは口をぱくぱくさせた。
(普通に考えたらそんな発想は出ないぞ!)
それでも、脇を通り抜けようとした黒サガの法衣を掴んだまま離さない。
黒サガに向けるつもりであった文句を女神への苦情へ振り替えるため、そのまま大音量の小宇宙で聖域の主を呼びつけた。
『女神!ちょっと来てください!!』
獅子座の呼びかけに対して、少女神は直ぐに姿を現した。
「こんにちはアイオリア。何の用かしら?」
可憐でありながらも威厳に満ちた装いで姿を見せた女神を見て、跪こうとしたアイオリアは動きを止めた。
女神の頭にも白い兎の耳がぴんとのびている。
絶句しているアイオリアに代わって、黒サガが女神へ口を開いた。
「アイオリアによると、お前は怪しい風体の輩らしいぞ」
「過程を略すな!お、お前は怪しいが女神は似合っている!」
慌ててアイオリアが苦しいフォローをした。確かに似合いすぎるほど似合ってはいた。しかし。
「女神、これは一体どういうことですか!」
最初の用件を思い出して、アイオリアはただちに女神へ問いただした。
周囲にはアイオリアの小宇宙を聞きつけた野次馬がちらほらと集まってきている。
女神はニコリと微笑んできっぱりと告げた。
「私はサガも似合うと思います」
「そんな事は聞いておりません!まさか今更サガへの罰ですか?」
アイオリアからすると何かの罰ゲームにしか見えないのだが、それに対しては黒サガが肩をすくめた。
「何だ、心配してくれているのか」
「そ、そういうわけではない」
「だが、小動物の聴覚器官をつけることが、一体何の罰になるのだ?」
周囲の野次馬たちから『ある意味漢らしい…』とのざわめきが流れる。
女神はアイオリアの訴えに小首をかしげた。
「これはイメージ戦略の一環です」
「…は?」
「私も女神として聖域に来てからまだ日が浅く、彼も表の存在としては未だ聖域に馴染んでいるとは言えません。よって、皆が親しみを持ちやすい姿でアピールしようと思います」
「聞いての通りだ。私はそれに勝手に付き合わされているだけだ」
忠義心厚く、滅多に女神へ反駁などしないアイオリアだったが、流石に賛同はできなかった。
「……………それは根本的に方向性を誤っていると思う」
当然の意見に対して、横から元気よく無責任な声が割って入った。
「ええー俺はいいと思うけどなあ。沙織さんもサガも可愛くみえるし!」
「まあ、星矢?来ていたのね」
お気に入りの聖闘士の登場で、女神が嬉しそうな表情を見せながら少女の顔に戻る。周囲では『たらしだ…』『今どさくさに紛れて凄い事言ったよな』『あのサガが可愛い…?』とざわめきが強まった。
「ああ、今さっきロドリオ村の姉さんのところから帰って来たとこなんだ。なあサガ、これって尻尾もついてるのか?」
何気ないしぐさで黒サガの法衣の後ろをまくりあげようとした星矢を、後にその場に居た雑兵たちは『勇者』と畏怖の念で語ったと言う。
黒サガは何も言わず星矢の手を押さえ、それは流して女神へと向き直った。
「私も別に構わんが、カノンが双児宮に引きこもってしまって出ようとしない。何故だろう」
「あら、そうなの?意外とシャイなのかしら…」
「もしかしてカノンにも耳をつけたんだ?見たいなあ」
平然と会話をしている三人の後ろで、アイオリアおよび野次馬たちはカノンに深く同情していた。
その後、教皇宮まで登ってきた黒サガの姿を見たシオンが、有無を言わさず女神に説教をして術を解かせたため、うさ耳の命は半日だけで終わった。丁度勅命で聖域にいなかったアイオロスなどは、アイオリアに「お前ばかり見てずるい」と騒ぎ、弟に盛大な溜息をつかせたらしい。
その逸話を聞いた聖域の住人たちは、カノンに次いでアイオリアにも同情の念を向けたのだった。
(−2007/11/16−)
これをMAINエリアに入れて良いものか多少悩んだものの、もう何でもありで良いですか…('▽`;)
◆とばっちり
黒サガが執務へ向かう少し前の双児宮。
「どうした愚弟、今日は海底へ行く日ではなかったのか」
目覚めて以降ずーっと壁の方を向いたまま、ベッドの上で体育座りで膝に顔を埋めているカノンを、流石に気に掛けたのか黒サガが声をかけた。
「…とっくに有給の連絡をとっている」
カノンの声は抑揚が無く、まるで棒読みだ。
「有給など存在したのか?意外なことだ」
「失礼な…聖域よりも海界の方が福利厚生の面では進歩的なんだぞ」
いつもであればピシリと言い返す筈の声にも力が無い。
「その海界の仕事を何故サボる。見たところ身体に異常はないようだが」
黒サガがさらに問いかけると、カノンがキっと振り返った。
「お前の目は節穴か!」
その頭に揺れるのは、人体にあるまじき一対のうさぎ耳。
「このうさ耳が異常でなくて何だ!」
それはロシアンブルー(猫)の色合いに似た美しい毛並みで、カノンの銀髪によく似合っていた。
「ああ、海界へ行こうにも兎は泳げんからな、それで休暇か」
「違うわ!そんな問題ではない!お前は何で気にしないんだこの非常事態を!」
カノンは怒鳴ったが、不幸な事にカノンの兄は弟の憤りを1ミクロンも理解していなかった。
「何が気になるのだ。耳のことならば、あの小娘…女神が我々のイメージアップとやらの為に付けただけだ。本人も付けているゆえ、悪気はないのだろう。捨て置けばよい、カノン」
弟の動揺を呆れたように見据える黒サガの頭にも、一対の黒いうさぎ耳。
「オレはお前ほど図々しく出来ていない。こんな姿を海闘士の連中に見られでもしたら…やっと筆頭としての威厳と地位を回復出来てきたというのに」
頭を抱えるカノンの前で、黒サガは耳をゆらゆらさせながら首を捻る。
「海将軍ならば、喜ぶのではないか?お前の弱みを握れて」
黒サガ自体は海将軍に面識が無い。知っているのは、カノンが騙した海界軍の最高位たちであるということ位だ。よって感想も適当だった。
「それが嫌だって言ってるんだよ!ああ、何かソレントが不気味な笑みを浮かべているのが想像出来すぎる…!」
「どんな姿であろうと、お前はお前だろうに」
「恥も外聞も気にしない事を、そんな言葉で誤魔化したくない」
「…ほぉ、まるで私が恥知らずであるかのような言い分だな」
「ようなじゃなくて、その通りだっつってんだよ」
「その耳、リボン結びにしてやろうか愚弟」
ゴゴゴゴ…と千日戦争に発展しそうになった空気を破ったのは、カノンの力ない溜息だった。
黒サガも拍子抜けして、高めていた小宇宙をおさめる。
カノンは耳をすっかり垂らして、毛布のなかへと潜り込んだ。
「…サガ、女神に会ったらオレの耳だけでも元に戻すよう頼んでおいてくれ」
本気でダメージを受けているのだろう。カノンらしくない語調が毛布の中から聞こえてくる。
仕方なく黒サガは弟を慰める事にした。
「カノン、そう落ち込むな」
「…」
「その姿、なかなか似合っているぞ。私と小娘の次にだが」
「……………」
自分の言葉がいっそうカノンにダメージを与えたとも知らず、黒サガは『毛布に包まるのはウサギの習性が前面に出たからか?』などと的外れな事を考えながら、教皇宮へと出かけていったのだった。
(−2007/11/18- 12/20加筆)