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◆海界マーブル


 次元のねじれに巻き込まれ、現在の聖域へと落ちてきたデフテロスとアスプロスは、同じ双子座であるカノンとサガの預かりとなっている。双児宮での居候生活だが、彼らにとっては子供の頃から慣れ親しんだ自宮でもあり、不自由はなかった。
 ただ、双児宮内に大人しく収まっているような性格の彼らではない。特にアスプロスはカノンが海将軍でもあると知ると途端に興味を持ち、自分も海界に連れて行けと言い出した(命令口調で)。
 他の者であれば断固として拒否したであろうカノンだが、聖域において先輩の言葉は絶対に近いこと、意外とカノンは目上に礼儀正しいこと、何より兄であるサガに似た顔の言い放つ我侭っぷりに弱かったことなどにより、『丸腰ならば』という条件付きでその希望は達せられることとなる。
 とはいえ、勿論ポセイドンの許可を得た上でのことだ。
 自分で言い出したくせに、本当にポセイドンが来界の許可を出した事を知ると、アスプロスは海神の懐の深さに呆れ半分で感心していたが、カノンは自分の主の『面白いもの好き』の体質を良く知っている。おそらく自界へ珍獣を招く感覚で、観察する気満々なのだ。
「頼むから、問題は起こさないでくれるように」
 内心の頭痛を隠しもせず、しつこいほど念を押すカノンに対して、対外用の猫を被ったアスプロスがにっこりと微笑んだ。本当に慈愛の篭ったサガの微笑みと違い、若干嘘臭い笑顔ではあるものの、大衆を惹きつけ欺くには充分な笑顔だった。

 とりあえずカノンはアスプロスを海界神殿へ連れて行き、まずは海将軍に紹介をした。
 何か企んだとしても、海将軍による監視の目があるぞ…ということを双方に自覚させるためだが、リュムナデスがアスプロスの精神構成に興味を持ち、また何故かアスプロスと馬があってしまったことから話がややこしくなった。
 かつてメフィストフェレスの闇を注ぎ込まれ、成長と共に歪みを拡大させたアスプロスの心の根底には、今でも捻じ曲げられた光の痕跡が沈んでいる。時折、闇とは異なる光の影が、マーブルのようにゆったりと渦を巻く。人格としては破綻しかけているにも関わらず、それを強靭な意志が強引に繋いでいるのだ。
 参考のために精神を覗く術を使わせてくれないかと頼み込んだカーサへ、アスプロスは条件を持ち出した。
 その条件とは「まず弟のデフテロスにその術を使うところを見てから」なのだった。



 海界に出かけたはずの兄から小宇宙で呼び出しが届いたのが、つい先ほどのことだ。
 指示通り、地上から隠し通路の1つを抜けて降り立った海界で、デフテロスは足を止めた。
「思ったよりも、早かったな」
 目の前には、出かけていった時のままの正装でアスプロスがいる(一応海界の好意による招待という形のため、アスプロスは聖域の外交用法衣を着用させられていた)。
「アスプロ…ス?」
 デフテロスは少し戸惑ったように、出迎えた兄を見た。
 海の青を含んだ光が煌きながらアスプロスの銀髪におちている。白の海底神殿を背景にしたその姿は非常に美しい。兄びいきのデフテロスでなくとも見惚れるだろう。常人ならば精霊と間違えても無理はない。
 しかし、それはリュムナデスの能力によって作られた結界内の幻覚であった。
 その証拠に、アスプロスの周囲には海界にはあるはずのない白い花々が咲き乱れている。
 本来は相手の心の中にある想い人の姿を正確に映し出すだけの能力だが、デフテロスの精神内にあるアスプロス像は彼自身の自我よりも強固であり、そのためリュムナデスの術が効きすぎて周囲の風景にまで影響を及ぼしているのだ。
 少し離れた場所からアスプロスと海将軍たちがその様子を見守っているが、既に結界内で五感を操作されているデフテロスは、それに気づく事が出来ない。
 ちなみに、デフテロスを呼び出したのは本物のアスプロスだ。弟へ指示を出し、海界へ来ると同時に最初からリュムナデスの結界範囲へ飛び込んでくるように誘導したのであった。
 デフテロスが、じっと兄を見つめ、多少迷いがあるかのように尋ねた。
「…本物か?」
 海将軍たちが"へえ"という顔つきになった。前もってカノンやアスプロスから聞いた情報が正しければ、現生のリュムナデスの能力をデフテロスは知らぬ筈だった。
 前知識無く、目の前の兄そのものの姿へ疑いを持ったのだとしたら、その嗅覚はたいした物だ。
「来た早々、兄に向かって随分な言いようだな。何故そう思う?」
 どこか高飛車な響きで、アスプロス姿のカーサが哂う。
「いや…その…どことなくだが」
 返す答えの歯切れが悪いのは、デフテロス自身はっきりと確信がないからだろう。
(どことなくでは無いでしょう。何ですかあの花付きの美化は!)
 見物しているソレントが小宇宙突っ込んだのを、横から本物アスプロスが鼻であしらう。
(美化ではない。俺に似合うものを添えてくれているだけだ)
(聖域の双子座は聖衣だけでなく過剰な自信も継承するんですか)
(過剰かどうか、実力を肌で実感させてやっても良いのだぞ小僧)
 慌ててカノンが二人を窘めている間にも、カーサの化けたアスプロスは遠慮なく術の真価を発揮していた。
 すなわち、アスプロスそのままの行動に出たのだ。
「この俺を疑うとは良い度胸だ二番目《デフテロス》!」
 人を惹きつける魅力と輝きはそのままに、アスプロスの腕がデフテロスの胸倉を掴み、地面へ叩きつけるように引き倒す。そのまま頭を押さえつけて体の上に座り、動けぬようマウントをとった。
 その乱暴さはとても弟に対する扱いには見えない。見ていた海将軍たちが、聖闘士への攻撃行為になるのではないかと慌てて腰を上げかけたほどだ。平和条約を結んでいる今、外交問題になるとまずいのだ。
 だが、デフテロスは何故か安心したように表情を緩め、力を抜いて大人しくなった。
「この上から目線と手の早さは確かに兄さん…!」
 屈辱的な体勢であるはずなのに、喜色を含んだデフテロスの呟きを聞いて、成り行きを見守っていた海将軍たちの視線が同情を含む生暖かいものとなる。
(そこなのか判別ポイントは)
(氷河が偽カミュに騙されたときも、技で吹っ飛ばされて納得するというパターンだったと聞いたが)
(どうなっているんだ聖闘士の人間関係は)
 バイアン、アイザック、イオの三名からボソボソと小声の突込みが入っているものの、術中にあるデフテロスにはもちろん聞こえていない。
「すまない、兄さんを偽者扱いするなど」
 小さな声でぼそりと答えた辺りから、デフテロスを包んでいた空気が変わった。
 触れるもの全てを食らう勢いの鬼の気迫が消え、鋭い牙はそのままながら主人を慕う忠犬のそれへと取って代わる。見えぬ尾を千切れんばかりに振っているデフテロスの姿は、先ほどまでの彼と見た目は同じものの、同一人物とは思いにくい。
 緩やかに豹変していく様子を目の当たりにした海将軍たちは、他人のプライベート領域をのぞき見ている心地になり、申し訳なさから何とはなしに視線を逸らした。
 本来あの姿は兄だけに見せる態度なのだろう。戦いでもないのに、他人の深域を暴き立てるのは、あまり褒められたことでもない。そのように考えるだけの矜持と優しさを彼らは持っていた。
「カーサよ、もう良いのでは…」
 クリシュナが声をあげたその時、それまで黙ってみていたアスプロスがすっと前に出た。海将軍たちの注目を浴びながら、そのまま真っ直ぐにデフテロスとカーサのところへあるいていく。何気ない動作にみえたが、彼はどうやったものか、能力を駆使してカーサの幻覚の中へと無理やり割り込んでいた。
 デフテロスの目が驚愕に見開かれる。兄(に見える者)が二人現れたのだから、それは驚くだろう。
「デフテロス、いつまで組み敷かれているつもりだ」
 冷たいとも聞こえる響きが弟へ向けられる。海将軍たちは息をひそめて様子を伺った。正直、カーサの化けたアスプロスの方が人相もよければ輝き具合も上だ。デフテロスの中の理想の兄を体現しているのだから当然といえる。
 いったいこのあと、デフテロスがどのような反応を見せるのだろう。海将軍たちは固唾を飲んだ。

 暫し呆然としたデフテロスだったが、我に返ると反応は早かった。
 己を組み敷くアスプロス…カーサの方を、衝撃波で弾き飛ばしたのだ。
「何をする、デフテロス」
 飛ばされながらも受身をとり、足から着地をしたのは流石に海将軍の実力だ。カーサの化けたアスプロスは心外だという表情をつくり、擬態を続けようとする。
 しかし、デフテロスはもう騙されなかった。
「この俺の目を欺いたことは褒めてやろう。しかし、本物のアスプロスと並んでみれば違いは一目瞭然よ」
 今度こそカーサが作り物ではない『心外』の顔を見せる。
「何故だ。何が一体違うというのだ。心の奥底より浚ったこの姿は、お前にとって本物よりも本物らしいはず!」
 己の持つ能力に万全の自信を持つカーサが思わず返すと、デフテロスは犬歯を見せてニヤリと笑う。その不敵な顔は、鬼と呼ばれる平時の彼の姿であった。
 アスプロスは弟の傍らへ歩み寄り、デフテロスの頬へ手を伸ばして土の汚れを落としてやっている。カーサは幻惑の力を解いて、本来のリュムナデスの姿を二人の前に現した。
「海将軍よ、簡単なことだ」
 そのカーサへデフテロスが宣言する。
「俺の拙い想像力よりも、本物のアスプロスの方が眩しいからだ」
 …。
 カーサが微妙な顔で黙りこむ。海将軍の顔に浮かんだ表情もカーサと大差ない。
(あの色黒ジェミニには、そう見えてるんだ…)
(ええと、こういうときにはどう言ったらいいんだ。ゴチソウサマか?)
(何にせよ、本物を見分ける眼力は確かなようですね)
 ぼそぼそと小宇宙で会話をしている海将軍を背景に、アスプロスが満足そうにデフテロスの頭を撫でた。元はといえばアスプロスの仕組んだことなのだが、事情を知らぬデフテロスは、兄が自分を助けに来たものとばかり懐いている。

「デフテロス、俺にとっても、お前が1番眩しい」
 自分の迷惑行為は棚に上げ、にっこり微笑んだアスプロスと、嬉しそうに目をキラキラさせている双子を目の前にして、海将軍たちは一様に『聖域の双子座』に対する誤解を深めた。



(−2010/3/24−)

ツインライジオアイソトープの続きあたりで。
もうクロスオーバーにも程があるという感じですみません(>ω<)