ここを訪れし少年達よ
そんな言葉で始まる遺書を、アイオロスは人馬宮に残していた。
自分もまだ14歳のくせに、何をじじくさく書いているのだとサガは思ったが、彼らしいなともまた思った。
サガからみると、アイオロスはどこか達観しているというか老成したところがあって、単純そうに見えるのに何を考えているのか良く判らないことも多かった。
この壁の遺書に関してもそうだった。誰かが必ずここへ訪れ、自分の遺志を貫いてくれると信じて疑わない刻み跡。
(こんなにはっきりとした輝きを残しては、わたしが気づかぬはずがないというのに。消してしまうかもしれないのに)
だがサガは、結局アイオロスの遺書をそのままにした。これは自分ではない未来の誰かに充てられたもので、勝手に消してよいものではないと判断したからだ。
ただ、彼の小宇宙の痕跡だけは抹消した。アイオリアや、聡いシャカなどに気づかれると厄介なことになりそうだと思ったので。
黒いほうのサガは、とりたてて脅威がないと見ると、興味をなくしてそれを放置した。
15歳のサガは、自分や仲間の黄金聖闘士たちも、アイオロスのいう少年の範疇に含まれているとは夢にも思っていなかった。
暗い川のほとりでサガがうずくまっている。
うずくまって小石を積んでいる。
何故そんな事をしているのかは判らないが、サガは一心不乱にその行為に熱中していて、俺が近づいたのに振り向きもしない。
ここは寒くて、風も強い。そんな場所で小石を積み上げたって、直ぐ崩れるに決まっている。
「どうしても、これを天まで積み上げなければ」
サガが言う。
「無理だよサガ。そんな事をしていないで、俺と一緒に帰ろう」
不安定な小石で出来た柱は、俺の声とともに倒れた。
サガが振り向く。その視線に篭った憎悪に俺は驚いた。
いつの間にかサガの髪は黒く周囲の闇に溶け、その瞳は血のように紅かった。
「貴様のせいで」
サガが立ち上がる。うずくまっていた時には気づかなかったが、サガは素足で、傷だらけの足元からは血が流れている。
周りを見ると、同じように石を積んでいる者が大勢いた。
それでいて、互いに協力するわけでもなく、ただそれぞれに石を積み上げていく。
こうして無限に積み上げられ続けた石が、嘆きの壁と化すのだ。
俺は何故かそう思った。
「サガ、やっぱり一緒に帰ろう。こんなところに居てはいけない」
だが、そう話しかけたところで場面が途切れた。夢が終わったのだ。
俺は時々こんな夢を見る。いつでも途中で夢は終わり、そのあとサガがどうなったのか知ることが出来ないのだ。
いや、夢と言うのはおかしいかもしれない。何故って俺はもう死んでいるのだから。
射手座の聖衣に宿り、魂だけの存在となって地上に残る俺のほうが、夢のような存在かもしれない。
幻視の中では誰も助ける事が出来ない。形を変えて失敗した過去を繰り返すのみだ。
死者は何かをやり直す事は出来ないし、許されない。
結末の変わらぬ夢を、賽の河原の小石のように積み重ねる俺とサガは、同じ罰を受けているのかもしれないなと思う。
それでも、俺は知っている。俺の残した想いは、いつかきっと天を動かす。
俺の遺志を継いだ者達が、世界を正していく。そして最後には女神やサガを救う。
その瞬間に、俺は死に対して勝利する。
世の理を越えて、死者から生者への愛が世界を変える力を、神は奇跡と呼ぶ。
死後に奇跡を起こすのが聖者(セイント)。というキリスト教での聖者認定基準を最初に知ったときは感動したものです。