ごくまれにではあるが、冥界軍のワイバーンが約束なくふらりとカノンに会いに来ることがある。
例えば聖域へ外交文書を届けに来たついでに、そのまま双児宮へ立ち寄るというような。まるで仕事の延長であるかのように真面目な顔で。
今がまさにその状況なのであった。一応、ワイバーンは遠慮がちに宮の外から訪問の許可を求めてきた。居住区のリビングで寛いでいたわたしは、無言でカノンを見る。
カノンはといえば、咄嗟に壁の鏡へ目を走らせてから、わたしの視線に気づいて仏頂面に戻った。無意識に身だしなみを気にしたのだろう。それだけワイバーンを気に掛けているということだ。
弟が一方的に相手を振り回しているのではないか思っていたが、そうでもないようだ。
「お前にも案外可愛いところがあるのだな、カノン」
「何だ急に」
顔を顰めて睨み返してきたものの、内心の動揺がわたしにはバレバレだ。
だいたいワイバーンが聖域に足を踏み入れた時点で彼の来訪に気づいている筈で、心の準備をする余裕などいくらでもあったのだ。それは双児宮へ立ち寄るかどうかまでは判らなかったかもしれないけれど、会えると判ったとたん浮き足立っているのだから、いい年をして可愛いと言われても仕方があるまい。
ちなみに、カノンに限らず黄金聖闘士は全員ワイバーンの来訪に気づいている。気配を消してきたわけではないので、冥闘士の小宇宙を宮の守護者が気づかぬわけがない。それはつまり、公務の帰りに冥闘士が双児宮へ立ち寄っているという状況が全員に筒抜けということなのだが、カノンはそんな事よりもワイバーンと会えることの方に気が行ってしまっているようだ。気づいていたら、もっと仏頂面になることだろう。
「早くワイバーンに返事をしてあげなさい」
「な、何でオレが」
「彼の用があるのは、お前だろう?」
そう言ってやると、カノンは言葉につまり、それから赤くなってもごもごと何か言訳をした。
昔のカノンを良く知っている兄としては、太陽が西から昇るのではないかと思う反応だ。
カノンは変わった。女神の大いなる愛に触れたおかげだと思う。改心しただけでなく、周囲の人間に対して誠実な対応をするようになった。元敵将とも親交を深めているのだから、大した変化だと思う。
「愛は人を変えるものだな…」
女神の慈愛のちからを改めて思い呟くと、カノンが何を勘違いをしたのか、物凄い勢いで噛み付いてきた。
「ラ、ラダとオレは別にそんな関係では…!」
どうやら、女神の愛ではなく、ワイバーンとの愛情の話だと勘違いしたらしい。
「隠すこともないのではないか?今は冥界とも講和しているのだし」
「隠してなどおらん!!」
「愛称で呼ぶほどの仲のくせに、何を今更。それよりも彼をあまり待たせてはいけない」
相手が冥闘士だからといって関係を伏せることもなかろうと思うのだが、カノンはますます赤くなり、ぷいとそのまま入り口へと早足に行ってしまった。照れると素直でなくなるところは昔のままだ。
(あれを友情と思うか)
不意に心の奥底で嗤う声がする。女神の盾で消えたはずの半身は、復活後にちゃっかりわたしの下へ舞い戻って、時折語りかけてくる。応えずに無視をしてやると、その闇は更に言いつのった。
(お前は認めたくないのだろう、カノンの変化を。自分以外を見る弟を)
久しぶりに出てきて見当違いのことを言う闇に、わたしも思わず微笑を零す。
「お前は、判っていない」
(なんだと)
「カノンがわたしを見なくなることは、ありえない。それならば、色々なカノンを見ることが出来たほうがいい」
そう、たとえカノンが誰を愛したとしても、それは変わらない。他の者へ目が移っても、わたしが呼べば必ず振り返るし振り返らせてみせる。
だから、カノンのワイバーンへの感情が友情だろうが愛情だろうが、わたしは構わないのだ。
それに、どちらにせよあれはまだ友情の範疇だ。これから恋へと変わっていくにしても。
「それよりも、どうして友情でないと思ったのだ?」
一体わたしの半身がどのような下世話な回答をするのかと、多少わくわくしながら聞き返すと、闇は舌打ちをして心の奥に沈んでしまった。カノンの可愛げをわけてやりたい。
外ではカノンが迷宮を解いて双児宮を開放している。
わたしはワイバーン用に購入しておいたとっておきの紅茶を入れるために、厨房へと向かった。
サガはカノンが色んな表情を見せてくれるのが嬉しいというお兄さん馬鹿です。