「教皇はおられるか」
守衛兵の案内を待ちきれぬかのように、山羊座のシュラが教皇の間へと侵入してきた。
抑えてはいるものの、小宇宙には触れるものを全て斬り裂く剣呑さがある。玉座で鷹揚に構えていた教皇は、それに気づき片手を振って人払いをした。傍仕えの侍従たちが引き上げていき、広間にただ二人だけとなったのを確認すると、教皇は素顔を隠していたマスクを外す。中から現れた美しい顔立ちは一瞬だけ伏せられ、再び顔を上げたときには瞳の色が深紅へと塗り替えられていた。
「何用だ」
凛とした声が、石壁に響く。
「デスマスクを五老峰へと遣わされましたね」
「ああ」
「勅命内容は」
「老師の始末を。そろそろ見過ごせぬ状況となってきたのでな」
つまらぬ事を聞くなとでも言いたげな声色であった。シュラはなおも言いつのる。
「何故、俺ではなくデスマスクをやったのですか」
「シュラ」
遮るように挟まれた言葉には、ひやりとしたものが含まれていた。
「わたしの采配に、口を出す権利を許した覚えはないが」
さすがにシュラも口を噤み、黒サガは指を組むと視線の鋭さを多少緩めて配下を見上げた。
「何故お前に命じなかったかといえば、1つにはお前がわたしの命を必ず遂行しようとするからだ。その点デスマスクは引くことを知っている。お前のように無茶をせん」
「しかし、」
「2つには、デスマスクの希望があったからよ」
シュラの表情が僅かにゆがむ。対照的に黒サガは口元に嘲笑するかのような笑みを浮かべた。
「ときには、あの男に大きな手柄を立てる機会を譲ってやってもよかろう」
「…俺は別に名誉など。それはデスマスクとて」
シュラは拳が白くなるほど強く握り締めた。
黒サガは立ち上がり、シュラの前へ歩いていった。そして、固く握られた彼の手を取る。
「急くな。お前の聖剣を存分に振るう決戦の時はそう遠くない。血を吸い過ぎてナマクラになられても困る」
整った指先でシュラの拳を解きほぐしてゆくその姿は、心をも解きほぐそうとしているように見えた。
「サガ」
「教皇と呼べ」
「教皇、俺の聖剣は何があろうと鈍ったりはしない」
「そうか」
黒サガは手を離し、シュラは自分の手のやりどころに困って結局はまた拳を握った。
シュラの去ったあと、黒サガは一人玉座に下ろし天井を見上げた。
(おそらくデスマスクは、シュラにばかり同胞殺しの咎を負わせたくないのであろうな)
弱者をもためらいもなく殺す彼が、仲間へは篤い人情を見せる事を黒サガは知っていた。
(そしてシュラは逆に全てを己が負うつもりでいるのだ)
思ってから、自分が咎という言葉を使ったことに苦笑する。
(わたしはまだ、女神に罪悪感を持っているのか)
黒サガは外していた教皇のマスクを手に取り、じっと見てから再びそれを被る。
「少し、疲れた」
神の代理人を示すマスクのなかで、黒サガは無表情に呟いた。
疲労破壊:
疲労(ひろう、英: Fatigue)は、物体が力学的応力を継続的に、あるいは繰り返し受けた場合にその物体の機械材料としての強度が低下する現象。(WIKIより引用)