わずかに涼気を含んだ風が、夏の終わりと季節の移り変わりを感じさせる。
ムウは聖衣修理の手をとめ、手伝っていた貴鬼に告げた。
「ガマニオンの粉が癒着して安定するまで、少し休憩にしましょうか」
そうして、冷やしてある瓜を持ってくるように言いつける。
白羊宮の脇には川が流れていて、川縁へは宮から階段が伸びている。女神神殿をいだく頂から流れてきた清水は夏場でも冷たく、宮の階段から直接水を汲んだり、果物を冷やしたりすることが出来るようになっているのだ。
工房を持つムウにとって、女神の小宇宙を含んだ聖なる水というのは、大切な原料のひとつでもあり、熱で鍛えたオリハルコンを冷やして安定させるための清水としても必要なものだった。
それを考えると、聖なるせせらぎを傍に持ち、十二宮の入り口に在する白羊宮は、聖衣修理工房としてはうってつけの位置にある(もし1つでも奥の宮であったなら、修繕を必要とする聖闘士がいようとも、おいそれと通して貰えないだろう)。
サガの乱さえなければ、ムウはここで修復者としての修練を積んだに違いない。
貴鬼がすぐに丸々とした瓜を抱えて戻ってきた。
「ムウ様、よく冷えていたよ!」
手にしているのはチベット瓜、いわゆる哈密瓜(ハミウリ)だ。ジャミールから聖域へ来る際に幾つか買って持ってきた。メロンよりも甘いとされる果肉は、切られる前から瑞々しい香りを宮内へもたらしていく。
さっそく場所を移し、それを切り分ける。半分に割ったものを、さらに四つの櫛形にする。
貴鬼が不思議そうな顔をした。
「多くない?ムウ様」
「いいえ、これで丁度良いのです」
サイコキネシスで平皿を手元へ飛ばし、水気たっぷりの瓜を並べていると、外から声がかかった。
「おうい、通らせてもらうぞ」
アルデバランの声だ。もうひとり、隣にはサガの小宇宙がある。
ムウは寄っていくように声をかけ、入ってきた二人に切ったばかりの瓜を出した。
「これは良いところに来たようだ」
サガがふわりと微笑んで礼を言い、アルデバランも同意して客用の絨毯へ腰を下ろした。
何気ない会話を交わしつつ、豪快に果肉へかぶりついたアルデバランは、ムウとサガの二人が同じようにかぶりつきながらも、汁をまったく零さず上品に食べるのを、どうやっているのかと不思議がっている。
「嬉しいなあ」
貴鬼がニコニコと言う。
「美味しい瓜を食べることが出来て?」
子供好きのサガが話をむけてやると、貴鬼は頷いた。
「でもそれだけじゃないよ!用が無くても人が来てくれて、瓜を出せるのがオイラ嬉しいんだ」
ムウは食べる手をとめ、敏いサガはそっと目を伏せる。
ジャミールではムウの元を訪れるのは、聖衣修復を望むものばかりであったろうが、その者たちの多くは修復の塔に至るまでの試練で命を落とす。
そして修復塔には入り口がない。つまり、ほぼ門前払いなのだ。
以前から狭き門戸ではあったのだが、ムウの代でハードルが高まったのは、サガにも一因がある。
アルデバランはガハハハと笑い、沈みかけた空気を吹き飛ばして、貴鬼の頭をぐしゃぐしゃとかき回した。
「そうか!ならもっと聖域にくればいいぞ!この宮は十二宮の入り口にあるからな。いつでも来訪者に事欠かんだろう」
「わあ、汁だらけの手でもう!」
じゃれているアルデバランと貴鬼を横に、サガも控えめながら、ムウに尋ねる。
「わたしたちがジャミールへ尋ねても良いだろうか…その、修復師の工房というのは興味があるし…」
ムウは同僚たちの顔を見た。
彼らは手を差し伸べている。もっと交流しようと。
(篭っていたつもりはなかったのですが、弟子に教えられるとは、このことですかね)
彼らに応えることによって、貴鬼も世界が広がることだろう。
「いつでもいらして下さい」
答えながら、皆が訪れる前にはジャミールの塔へ入り口をつけようとムウは思った。