サガは決まりごとや約束ごとに厳しい。嘘も嫌う。
だけど、誰かに嘘を付かれたとき、約束を破られた時、それほど怒りはしないように見える。何故ならサガも嘘をついているからだ。万人に対して己の中の闇を隠し、オレという弟の存在を隠している。だから自分には他人を怒る資格が無いと思っている。
けれども許しているわけではない。相手の不実の理由がいい加減なものであった場合、サガはそっとその相手と自分の間に線を引く。静かな笑顔を湛えたまま黙って離れていく。サガとて普通の人間で、そのあたりは皆とそう変わらない。ただあまりに静かに笑っているから、それに気づかれにくいだけだ。
だから、サガが強く怒ることが出来るのは、自分が嘘をついていない相手だ。つまり、嘘の対象である弟のオレ。オレが何か不実なことをやらかすとサガは大層怒るが、それはサガとオレが近しいからだ。
人を殺めたとき、盗みを働いた時、聖域を抜け出しては夜遊びを繰り返した時、サガはオレを物凄く怒った。だがそれはオレを安心させた。サガがそんな風に怒るのは、オレに対してだけ。
そう思っていた。
ある朝、サガがオレに「おはよう」と言った。穏やかに笑って朝食の用意が出来たと伝えてきた。
その日もオレは朝帰りで、酒臭かったと思う。それも、前の晩にサガと出かける約束をしていたのを、すっかり放置して連絡もいれなかった上でだ。別にいつもの事だし、断りを入れるのも面倒だったのだ。
盛大に怒鳴られるのを聞き流せば済むと思っていたのも確かで、そういう意味ではオレはサガをなめていたし、甘えてもいた。
でも、その朝のサガは怒らなかった。
(ヤバイ)
瞬時にオレは悟った。サガの中でオレとの間に一線が引かれたのが判った。そんな事はありえないと思っていたのに、サガがオレとの間に距離をつくった。その事自体が信じられなかったが、そんな風に思うこと自体、オレはサガを身近に思いすぎていたのだろう。
オレは初めて本気でサガに謝った。それはもう泣きつく勢いで。今思い出しても笑ってしまうくらい必死に。
それ以来、オレはサガとの約束だけは破らないことにしている。
オレはサガが怖い。正確にはサガの中で他人にされることが怖い。
サガの心の中にはオレしか人間が存在していないのに、全て消去して独りになったサガは、多分他人と世界に対して歯止めが利かなくなるだろう。それが怖い。
オレは自分が独りになることよりも、サガが独りになることが怖いのだ。
(−2008/12/7−)
>>サガVer.
あの時は双児宮に突然アイオロスが立ち寄って、たわいもない会話からアイオリアの話題になったのだと思う。獅子の守護を持つアイオリアはアイオロスの弟で、近頃めきめきと力をつけ、先が楽しみな年若い黄金聖闘士だ。
彼がとても嬉しそうに弟の話をするものだから、つい私は口が滑った。
「そのような家族がいて誇らしいだろうな。私には弟がいないので判らないが」
わざわざそんな事を言ってしまったのは、兄弟間で争わずにすむ彼らへの羨ましさと、一人を秘さねばならぬ双子座の決め事に対する反発を、無意識に自分で押さえ込もうとしたからだと思う。
しかしそう言った途端、首筋がぞわりとするのを感じた。
双児宮の主である私にしか感じ取れなかったであろう変化。カノンの気配の変化だ。
カノンは不意の来客があると、奥の隠し部屋で息を潜めなければならない。私の小宇宙と己の小宇宙を同一化させ、私を通して相手の様子を伺いながら、ただひたすら来訪者の帰りを待つ。
今も壁の向こうでカノンはひっそりと私を見ている。
(まずい)
血の気が下がる心地がした。私は言ってはならぬことを言った。
こともあろうに、カノンの前でその存在を否定し、他人の家族を羨んだ。
カノンはどんな気持ちで私の言葉を聞いたのだろう。私にどんな気持ちを向けただろう。
その後はすぐアイオロスに帰ってもらい、カノンのいる隠し部屋に飛んでいった。突然慌てだした私に対してアイオロスは不審に思ったろうが、取り繕う余裕なんてなかった。
部屋の中でカノンは私をなじりもせず、いつもと同じように「出かけてくる」と去ろうとした。
けれども私はカノンの服を握って離さなかった。このまま彼が帰ってこないような気がしたのだ。その時の予感は正しかったろうと今でも思う。
私はカノンが呆れるくらい、ただひたすら「すまない」と繰り返した。
そして私は双児宮の周囲へ今まで以上に強固な迷宮を張った。その事があって以降、居住区へは誰も入れたことがない。従者も神官も黄金聖闘士も、当然アイオロスも。
考えてみればカノンとて私と同じジェミニなのだ。守護者であるカノンがこの双児宮で隠れ住まねばならないなんておかしい。双児宮でくらい堂々と自由に過ごして良いはずだ。
いつかもっと広い世界で、カノンと暮らせたら。子供であった私は、その時ただ真摯にそう願った。
(−2008/12/8−)