麿羯宮へ戻ると、自分以外の黄金聖闘士の気配がする。居住エリアを覗くと、宮の主であるかのように黒髪のサガが長椅子に身を横たえていた。
シュラは生活環境に拘る方ではないので、昔は木製の質素な家具しか置いていなかったのだが、黒サガが椅子の堅さに不平を唱えて、夜具の敷いてある寝台の方へ居ついてしまうので、仕方なく彼用に高価な長椅子を用意したのだった。
購入した当時、この簡素な部屋に長椅子だけが不似合いなほど豪奢だったが、我侭な偽教皇様は新しい長椅子の居心地のよさを認めると早速そこに移動してきて、その様子がまるで猫のようだとシュラは思ったものだった。
近づいて床に腰を下ろし、長椅子を背もたれにする。そうして、そっと黒サガの頭を撫でる。目を閉ざしていても、眠っていないのは判っていた。彼はよくこうして瞑想を行い、神経を研ぎ澄ませて意識だけを飛ばし、聖域全体を視ていた。
「何が見えますか?」
「あの男が」
案の定、直ぐに応えがある。
あの男というのは誰だろうと思ったが、すぐに先ほど顔を合わせていたアイオロスの事だと思い当たった。
「人馬宮を視たら、あの男が泣いていて、驚いた」
「サガ、人の宮を勝手に覗くのは良くない」
流れ落ちる髪を梳く手を止めずに、一応釘を刺しておく。他人の言う事を聞くような黒サガでは無いが、シュラはたしなめるべき行為だと判断した時には迷わず諭した。同じ事を他人がしたら、首が飛ぶだろう。無事でいられるのは、ひとえに身を守るすべを持つ黄金聖闘士であるからだとシュラは心得ていた。
だが、今日の黒サガは気を悪くする様子もなく、どこか愉快そうに目を開けた。
「あの男でも、泣くことがあるらしい。昔、サガの目や心を通して見ていたあいつは、図太いと思えるほど能天気で、翳りなどないようであったが、あれはあれで『私』のフィルターがかかっていたという事か」
笑っているのに、吐き捨てるように紡ぎだされた台詞に、シュラは顔をしかめる。
「あの人に、もう少し優しくしてあげてください」
無理を承知で、また諌める。
シュラは、アイオロスとサガが好きだった。まだ修行にあけくれていた頃、既に両雄として実力を発揮していた射手座と双子座は、それぞれタイプが違うものの、互いを深く信頼し尊重しあっている様子が手にとれて、あの関係を子供心に羨ましいと感じていた。
だが、黒いサガはそれを嫌う。誰かに心を振り分けることは、支配されるのと同じことだと考えるらしかった。
カノン、教皇、女神、アイオロス…サガに深く関わる者たちを、どんどん切り捨てていき、そうして彼は白と黒だけの一人になった。蘇生した今は、白い彼すらもいない。孤独という感情を知らず、傷ついていることにも気づかないこの傲慢な青年を、シュラは哀れに思い、また愛しいとも思う。
白い人格への敬愛とは異なる感情で、シュラは黒い彼を護りたいと願った。
サガはシュラの中で、いつでもフォーマルハウトのように、孤独に輝いていた。
黒サガの腕が伸びてきて、自分の肩へとまわされた。体温を感じるためだけにじゃれてくる様子も、猫のようだった。
「アイオロスに、もう少し優しくしてあげてください」
もう1度、同じ言葉を繰り返す。言いながら身を起こし、床に膝をついて長椅子の上のサガの身体を抱き寄せた。
「そうして、出来れば俺には優しくしないで欲しい」
黒サガは、シュラが何をしても大抵のばあい拒否することはなく、するがままに任せる。チリ…と胸の奥底のどこかが焦げた。
こんなにも傍にいるのに、自分は拒絶されない。
アイオロスが泣いていると言っていた。
アイオロスが傷つくのも見たくないのに、その涙を羨ましいと思う。
シュラは緩慢な溜息をついて、サガの黒髪へと顔を埋めた。
拒絶が彼の愛ならば、自分は優しくなどされたくはなかった。
駄目ワールド展開中。サガを月と思うアイオロスと、星と思うシュラ。
今のところアイオロスよりシュラのほうがサガをよく理解しています。
フォーマルハウトは日本から見える秋の星座において、一等星がこれだけしかないことから「秋のひとつ星」などと呼ばれ、アルファルドと共に、孤独な星の象徴とされています。