冥府へ留まっていたサガの半魂が地上へと戻り、完全なる蘇生を果たしたその翌日からすぐ、アイオロスは双子座の「稽古」を受ける事となった。
日も昇らぬ早朝に叩き起こされ、どこへ連れて行かれるのかと思えば、禁断の聖地スターヒルの頂上。
「…ここで?」
と恐る恐る尋ねるも、
「ここが1番人目につかない。なおかつ、地が狭く宙が広い。お前の戦闘スタイルには相性が良いはずだ」
との返事が返った。
確かに翼を持つ射手座は、滞空時間の長さを活かす攻撃が多い。サガは昨日の短い手合わせだけで、その独自の攻撃の間合いを見抜き、修行地を選別したに違いなかった。
「立ち入り禁止じゃないのか」
「そうだな。しかし星見用ゆえ、シオン様も夜以外は使わない。バレなければ構わないだろう。バレたところで今更文句も言わぬだろうし」
当たり前のようにさらりと言う。
どうも精神統合したサガは性格が大雑把にみえる。判断基準がファジーでないと、白サガと黒サガの価値観を合意でまとめあげるのは難しいのかもしれない。
厳しいくらい規律を守る白サガを思い出すと、どうしても違和感を覚えてしまうアイオロスだ。
「後ろにある聖堂は壊さぬように」
と付け加えるあたりが、自分の知るサガの名残かと考えたが、
「壊すと恐らく私達が修理を命ぜられる。そうなると面倒だ」
と続いたので、どうも違うようだと思い直した。
(今日の彼にはどれくらい「黒い方の彼」が混じっているのだろうか。そして俺の知る彼の方は)
じっと見つめる彼の思いなど測りもしない様子で、サガが『では』と修行の開始を促す。
「始めようか、アイオロス」
にこりと微笑むサガの笑顔だけは、昔と変わらなかった。
13年分の経験値の差を埋めるべく始められたそれは苛烈なもので、そのこと自体はアイオロスも予測と覚悟をしていたのだが、サガが自分に対して全く容赦のないことが意外だった。
「『殺す気でいく』と言っていたのは、冗談じゃなかったんだ?」
そう尋ねるとサガは厳しい視線を向けた。
「まだまだ手加減している。精神攻撃と空間操作を仕掛けていないだろう。会話する余裕があるのなら、もう少しハードにしても良さそうだな」
言ったそばからサガの拳圧が強まる。
相手の攻撃に対する反射や速度は互いに同等、もしくは若いアイオロスに軍配が上った。けれども、サガは行動の予測において圧倒的優位を示す。相手がどう動き、どう攻撃をしかけるかを先読みし、対処すると同時に攻撃をしかける。それが「戦闘経験」の差であり、アイオロスが強化を望まれている部分であった。
変幻自在でいて、凶悪なほどの攻撃力がアイオロスを圧倒する。
ただ、アイオロスも伊達に双子座と並ぶ黄金聖闘士最強の称号を冠されていたわけではない。
(もう、サガに無様な姿は絶対見せない)
その決意の通り、簡単に土を付けられたのは最初の手合わせだけで、稽古に入ってからはどんどんサガの動きに食らいつき、技術を吸収していった。自分の動きに対してどうサガが反応したかを覚え、同じ先制は許さない。
今はまだ撹乱される場面が多いものの、飲み込みの早さにサガは内心で驚いていた。
サガは攻防共に優れているが、防御に関しては迷宮の具現化や相手の技の無効化などの特殊系が主だ。その点、アイオロスの防御は避けたり弾いたりといった純粋な肉体防御であり、小宇宙消費が少ないため効率がよい。
(この男が、私ほどのスタミナと打たれ強さを身につけたら、今以上にやっかいだろうな)
激しい応酬のなか、サガの方は指導者としても冷静に分析する。
陽が完全に昇り、アイオロスが体力を使い切って起き上がれなくなったころ、サガは額にうっすらと汗を滲ませながら「今日はここまで」と宣言した。
「うわ…修行でヘバるなんて、何歳以来だろう」
ごろりと仰向けになってサガを見上げると、そのサガはアイオロスを軽く睨み返した。
「こら。終わったらまずは稽古をつけた相手への礼が先だ」
「ごめん、ご指導有難う御座いました」
言いながらもアイオロスは思わず噴出した。統合によってアバウトな性格になっているかと思えば、変なところで昔どおりの生真面目さを見せるサガがおかしい。
標高の高いスターヒルでは風がいくぶん強く、サガの長髪はときおり舞い上がる。それを片手で抑えて流す仕草も昔のままに見えた。見上げた視界に入る青い天蓋のような空とサガの姿。その全てを目を細め視界に納める。
噴出した自分をどう思ったのか、サガが近寄ってきて隣へと腰を下ろした。
片手が伸ばされ、額に汗で張り付いた髪をかきあげられる。その指先は爪まで整っていて、手首から先だけを見ても美しいと感じる。
「私から触れる分には、統合が解けないようだな…稽古中も平気だった。何故だろう」
そう言われて初めて、サガの方から触れられたのだと気づくほど、アイオロスは彼の指の動きに見入ってしまっていた。
見た目も声も、彼の知るサガとほとんど変わらない、今のサガ。
それでもこのサガは、アイオロスの知らない部分を持つサガなのだ。
「なあ、サガ」
アイオロスは不思議に思っていたことを口にしてみる事にした。
「どうして黒いほうの君まで、一緒に俺を鍛えてくれるんだ?」
統合しているということは、白黒両者の意思の統一が取れているという事。
聖戦後にもほとんど会話を交わすことの無かったもうひとりのサガが、己の為に動いてくれたことが嬉しくもあり、不思議でもあった。
「それは、おかしなことか?」
サガは首をかしげ、逆に聞き返してきた。
他者の感情には聡いくせに、己の感情に関しては驚くほど疎いところも変わらなく見える。
「だって、あの君は俺のことを嫌いだろう」
そう言うとサガは目を丸くして、ゆっくりとしばたかせる。
「私は、お前の事を嫌いだろうか」
「いや、それは俺に聞かれても」
サガは顎に手を当てて真剣に考え込み始めている。
(流石に『嫌いではない』って即答は期待してなかったけど)
アイオロスとしては苦笑するしかない。
かなりの時間をかけて口を開いたサガの回答は「よく判らない」というものだった。
「きちんと答えられなくてすまない。私は…私達は、お互いに何をどのように考えているのか、判るようで、判らない事も多い。自分のことであるというのに」
ただ、とサガは付け加えた。
「何故アレがお前の修行に一枚噛むのか、という理由ならばわかる」
「へえ。その理由、聞いてもいいかな」
「本人の前では言いにくいが…その、お前を叩きのめせる機会は今のうちだけだろうからと」
「…凄く納得した」
アイオロスはまた可笑しくなって笑い出した。
あの紅い瞳のサガのことも、目の前の統合したサガのことも、まだ良く知らない。
けれども、少なくとも今のサガはアイオロスに嘘をつかない。
(そんな当たり前のことが嬉しく感じられるなんて)
アイオロスは笑いながら、滲みそうになる涙を汗とともに拳で拭って誤魔化した。
精神統合を果たしたサガは、嘘をつかないのに昔よりも遠くにいる気がした。
何でもない修行のひとコマ。距離感に戸惑うアイオロスと自分の好意には無自覚なサガ。