16.幽霊屋敷 17.星の死 18.銀の雫降る降る 19.お天気お兄さん 20.花の下にて
◆幽霊屋敷…inねずみーらんど
ねずみーらんどのアトラクションの1つである幽霊屋敷を前にして、サガは唸った。本来であれば、99人の幽霊が飛び回り、怖い中にも可愛げがあるはずの幽霊屋敷が、冥府と繋がり、本物のゴーストハウスと化しているのだ。
サガのデート相手、タナトスの仕業だ。
「タナトス…幽霊屋敷を本格仕様にするのは良いが、これではいつもの冥界と変わらないのでは…」
「フン、人間ごときの作ったチープな遊技場でどう楽しめば良いと言うのだ。だからせめて本物らしくしてやったのだ」
本物らしくというより、本物そのままである。
屋敷の外にまで濃い負の気が漂い、幽霊屋敷というよりも、あきらかにホラー映画に出てくるヘルハウスの様相だ。中に入った一般人は二度と外に出られないのではあるまいか。
タナトスには甘いサガも、ちょっとだけ危惧感を覚えた。タナトスが現世に冥府を繋いだことで、先ほどから女神の小宇宙通信が現状報告を求めている。
「その…タナトス。貴方には仕事を忘れて楽しんでもらいたい。遊技場では本物らしさよりも夢が求められるのだ」
「何、するとヒュプノスの眷属の担当か」
「どちらかといえば、そうかもしれない」
「ふむ、ではオネイロスたちに命じよう」
そんなわけでヒュプノス配下の夢の神を呼んだタナトスであったが、来てくれたのは非現実を司るパンタソスのみであった。(オネイロスたちはヒュプノスフリークであるため、タナトスに対して微妙な感情を持っているのだが、それはまた別の話)。
「あのー、私はねずみーらんどより、ぴゅーろねこらんど派なんですけど」
そのパンタソスも自分の趣味でしか仕事をしていかなかったので、幽霊屋敷は大層メルヘンなねこの国のキャラクターの幽霊がとびかうシュールな空間となった。
しかし、タナトスもサガも遊技場の「普通」が何かを全く知らないため、それなりに楽しんだという。
ちなみに、サガがあとで女神とカノンから、たっぷり叱られることになったのは言うまでもない。
2010/6/25
◆星の死…ベテルギウス
「もう数年ほどあとのことだが、大仕事が待っている。そのときは暫くエリシオンを留守にすることになるだろう」
タナトスがそういうので、サガは眉を顰めた。
「大災害が起こるということか」
聖戦でも涼しい顔で人類を滅亡させようとした死の神の言う大仕事だ。一体どれだけの災禍であるだろうか。
防げるものであれば、最小限の被害でとどめたい。そのため、タナトスから情報を得ようと話しかける。神が未来をみだりに人間へ話すことはないと判っていても、神の職分に口を挟むなと怒りを買おうとも、それでもわずかな可能性があれば、諦めないのがサガという男だ。
情人から聖闘士の顔となった相手にタナトスが苦笑する。
「ちがう、オレが言っているのは瑣末な人間の死ではない。星の死だ」
「…星?」
思いもよらぬ方向で返ってきた内容に、サガが目を瞬かせる。
「もうすぐ600光年の彼方で星が寿命を迎える。オレはそれを見届けに行かねばならぬ」
「ああ、ベテルギウスか」
災禍ではないと知り、力を抜いたサガの肩をタナトスが抱く。
答えてもらった礼のつもりか、サガは逆らわなかった。
「わたしも傍で見てみたいが、叶わぬのだろうな」
「人間のお前では超新星爆発の破壊力に耐え切れまい」
「確かに」
「この星からでも充分目視できるゆえ、それで諦めろ」
「Bayt al-Jawzā(双児宮)の死ならば、見届けたいと思ったのだが」
「お前の死ならば、いつでも叶えてやろう」
タナトスの冷たい指先が、サガの左胸をそっとなぞった。
2011/11/3
◆銀の雫降る降る…花の未来
エリシオンは常春の世界だ。枯れることのない花が咲き乱れ、花園の向こうには澄んだ水をたたえた川が静かな流れを見せている。まるい水盆のような泉にはニンフたちが集まり、喉を潤したり水浴びをしたりして過ごしていることだろう。
花々の芳香を感じながら、サガは空を見上げた。光をそそぎながらも、太陽のない青空。平穏の支配する世界。
「神々が住まうに相応しい場所だな」
独り言のつもりであったが、隣でタナトスが「そうであろう」と答えた。
せっかくなのでサガはそのまま会話を続けた。
「選ばれた人間や英雄たちも永遠の命を与えられ、この世界に住まうことを許されるときく。しかし、その姿を見たことがない。別エリアなのだろうか」
「いや、見ているではないか、そこここに」
タナトスが指し示したのは、花の一群であった。
「種を植え付けた魂を地に埋めて置くと、そのうちに美しい花を咲かせる。人間は下賎の生き物だが、苗床としてはなかなか役に立つぞ。花と一体になった魂は、永遠にこの地で神の目を楽しませながら咲き誇るのだ。魂の力が強いほど、美しく香りのよい花が咲く」
おまえも望めば直ぐにでも、とタナトスがいうので、サガは口元に笑みを浮かべた。
「わたしはまだ死んでいない」
「望めば直ぐにでも死を与えると言っているのだ」
サガはもう1度空を見上げた。この平安が支配する世界の一部となるのは、とてつもない幸福のように思える。
「悪くないな」
「うむ」
タナトスの声にどこか得意そうな色が混じったので、サガは笑い出した。
「悪くないが、この生はアテナに頂いたもの。勝手に死ぬわけにはいかない。もう少し待って欲しい」
そう答えるとタナトスが肩を抱き寄せてきたので、サガはそっと身体をあずけた。
2012/2/20
◆お天気お兄さん…積雪量
エリシオン離宮における飲み会の余興で、サガに北海道の天気予報をやらせると死の神タナトスが言い出した。
なぜ日本。なぜ天気予報。まだ星見占いのほうが関係あるだろう。
アイオロスやカノンが疑問符を浮かべながら、そして警戒をしながら(タナトスの発言は大概ろくでもないのだ)サガの様子をみていると、今ではすっかりタナトスとの関係に慣れたサガが、律儀に明日の天気予報をはじめた。どうもエリシオンという神の世界では、いながらにして人間界各地の情報を得られるようだ。
「あすの積雪量は70cmほど…高さにしてこれくらいだろうか」
そこまで言ったところで、すっ…と片手で法衣をそのあたりまで捲り上げる。
まさかのお天気お姉さんならぬお天気お兄さんだった。(C安達哲)
タナトスは『今回は下着を履かせていない』とドヤ顔である。
「な、なにい…あのプライドの高いサガにどうやってやらせたのだ?」
アイオロスが車田顔で驚愕したあと、興味深そうにタナトスへ尋ねている。横からカノンが殴ろうとするも、紙一重で避ける反射神経は、さすが次期教皇といえよう。
タナトスは自慢げに答えた。
「フッ、簡単なことよ、心理的抵抗の基準を下げてやればよい」
「マッパ聖衣の平気なサガの羞恥心は最初からあまり高くないのでは?」
「羞恥心はむしろ上げる方向だ。羞恥心は調教に必須のスパイスよ」
「それではどのように」
「冥衣を着て同胞を討ちながら十二宮を昇り、アテナエクスクラメーションを放ったことを思えば、大したことはなかろうと言ってやったのだ。そうしたら『確かにわたしはもう恥も名誉なども捨てた身であった…あの時の苦しみにくらべれば、法衣を捲り上げる程度のことなど物の数ではない』とやる気を見せていたな」
「サガ、変なトコで負けず嫌いだからなあ」
感心しているアイオロスの頭を、今度こそカノンがはたいた。
「貴様らひとの兄を玩具にするなああああああ!!!」
ちなみにタナトスはサガへ下着を履かせていないことにドヤ顔であったが、それはサガの通常運行であり、べつに調教結果ではなかった。
2013/2/1
◆花の下にて…理想の死
あたたかくて良い気持ちであった。
そのまま眠りに沈んで行こうとしたところで、右肩が何かに触れる。
壁を背にして腰掛けていたのだが、うたた寝のせいで身体が傾いだらしい。
薄目をあけて横を向くと、銀の瞳が見えた。タナトスだ。同じように腰を下ろし、肩を並べている。その肩へ寄りかかる体勢になってしまっていたのだ。
慌てて身体を起こそうとすると『構わぬ』との返事。珍しいことである。常ならば、人間が触れることすら許さぬ気性なのだ。機嫌がよいのだろうか。このようなところで、何をしているのだろう。
その疑問へは『仕事だ』とのいらえが返った。働いているようには見えないが。
空にはぼんやりと宵の月がかかり、あたりには一面に花が咲きみだれている。するとここはエリシオンに違いない。ならばタナトスがいてもおかしくない。
そういえば、昼間に星矢へ勉強を教えているとき、冊子にこんな一句があった。
”願はくは花の下にて春死なむ”
そのときに思い起こしたのが、この場所だ。
釈迦の入滅にも絡む歌ゆえ、本当は処女宮にあるあの菩提樹の園のような景色を思い出すのが正しいのかもしれないが、ギリシア人の自分からすると、こちらのほうが馴染み深い。
心やすらぐ場所で、平安のまま死ぬことが出来るのは、最上の幸福だと思う。
タナトスの肩を枕に、ふたたびゆっくりと目を閉ざそうとしたとき、耳元で羽虫の飛ぶ音がした。虻でも蚊でもない、もっと小さな、それでいて不快な音だ。タナトスもそれに気づいたのか、手で払おうとしている。
神でも虫を払うのに手を使うのかと思ったら、眠いのに可笑しくなって笑みが浮かぶ。そして、それはそれとして虫は邪魔だ。
『わたしたちの周囲に迷宮を張ってしまおうか、そうすれば虫など』
しかし、声のかわりに出たのは空気の泡で、気づけばわたしは湯の中にいた。
いつのまに倒れこんでいたのか、湯を気管支に吸い込みそうになり、慌てて身体を起こす。
顔を水面へ上げれば、そこはいつもの浴場であった。
疲れていたとはいえ、風呂場で夢を見るほどうたた寝するなど、そして湯に沈んでも気づかぬなど、黄金聖闘士としてあるまじき体たらくではなかろうか。
頭の中でもうひとりのわたしが何やら怒鳴っている。いくら風呂好きとはいえ、湯船で死ぬような恥さらしはごめんだとのこと。その通りなので黙って聞いておく。この声、頭のなかで羽虫が飛んでいるようだ。わたしと違って起きていたのなら、交代して風呂から上がってくれればよかったのに。
適当にあしらいつつ立ち上がって脱衣所へ向かう。
落ち着いてみると、何の夢をみたのかは思い出せなかった。
「タナトスよ、お前の仕事を止めはせぬが、私の領分を使って女神の聖闘士へ手出しをするのは越権だ」
眠りの神であるヒュプノスが主張する。
苦言のように聞こえるが、ヒュプノスはいつもこのような言い回しをしており、タナトスへの怒りを示すものではない。
それへタナトスは鼻で笑いかえす。これもまたヒュプノスを軽んじてのものではない。
「仕方があるまい、あの男が夢を通して俺を呼んだのだから」
「久しぶりだな」
「ああ」
自死をしたサガは、それまでの13年間、死を請い願い続けた。
だが、聖戦後アテナによって蘇生がなされて後は、その願いも控えられている。
そんななか、星矢への教鞭で使われたテキストによって、つい死への憧憬が沸き起こったらしい。そして、本人に自覚はないまま、ただタナトスが喚ばれたのであった。
「深淵を覗くならば、深淵もまた等しく見返すものだ。人が俺を望む時、俺はいつでも傍にある」
「…随分と人間に親切ではないか」
「お前も言ったろう。これは仕事だ。親切にしているつもりはない。お前こそ親切ではないか、オレの邪魔をするなど」
タナトスは腰を下ろしたまま、目の前に立っていたヒュプノスの手を掴んで引き寄せた。
もう一人のサガの声を、羽音として夢のなかまで届けたのはヒュプノスの力に他ならない。ヒュプノスはため息を零して、タナトスの横へ座る。先ほどまで、サガのいた位置へ。
「聖闘士に手を出すとアテナが煩いからな」
「ふむ。お前がそう言うのならば考慮しよう、ヒュプノス」
寄りかかってきた兄弟の重みを感じながら、タナトスは軽くあくびをした。
急がずとも、人は必ず死ぬものなのだ。ならば、結局はこの手にあの魂は落ちてくるだろう。
そう、春の日に花が散るように。
2013/1/27