「獅子座のアイオリア、ただいま勅命を果たし帰参いたしました」
教皇の座前に膝をつき、頭を垂れて報告をする青年は、逆賊の弟。
十数年の昔、聖闘士の誉れとまで言われた彼の兄は、事もあろうか慢心を起こし、女神を亡き者にせんと試みて逆に誅殺された。
…という事にされている。
黒サガは仮面の下でゆるりと笑い、教皇として獅子座の労をねぎらった。
「ご苦労。今後も黄金聖闘士の名に恥じぬよう、女神に尽くせ」
アイオリアは顔を伏せたまま表情を変えなかったものの、人の内面を読むことを得意とするサガには、その言葉によって青年の心にさざ波の立ったことが手に取るように判った。
偽教皇は舌なめずりをするような歓喜を隠し、波をうねりへと変えるため、さらに言葉を投げかける。
「兄の汚名をすすぐためにも、正義を重ね、一層精進せよ」
表面的には何の問題も無いその慰労の言葉も、黒サガが悪意の言霊を篭めて与えれば針となり、獅子座の奥底に聖域への昏い反発を生むはずだ。
脳裏でもう一人のサガが悲嘆と抗議の声をあげ、身体の支配権を得ようと意識の扉を叩いているのが感じられる。
だが、今の主人格は黒い意思であるこの自分。
成長するアイオリアを見るたびにサガの中の白い魂が嘆き苦しむのが楽しくて、偽教皇は必要以上に獅子座を呼びつけては、危険な任務に指名していた。
何も知らぬ神官や雑兵などには、それがまるで教皇のお気に入りの証であるかのように映るようで、『逆賊の弟に、あれほどの名誉回復の機会を与えずとも良いものを…』と、アイオリアへの誹謗は増加する。
それを承知で、むしろ黒サガは心ない風評を影で煽った。
いや、実際に黒サガはアイオリアを気に入っていたのだが。
跪く獅子に、大した意味も無い修辞を投げかけて下がらせると、教皇を僭称する男は暫し頬杖をついてその姿を見送った。
獅子座の聖闘士は、黄金の獅子の名に相応しいまばゆい小宇宙を纏い、かつて彼の兄が光の翼を持っていたように、光の牙を身につけている。
その面差しも兄に生き写しだ。弟の淡い金髪のほうが巻きぎみのくせがあり、そのためハネた先端が灯りに揺れて透けて見える。見た目だけで言えば弟の方が太陽に近いともいえる。
それでも、黒サガは射手座に対するようには、その光を嫌わなかった。
それどころか「あの男も、手駒に欲しい」などと口にする。
当然白サガは激怒し、今日もアイオリアが自宮に下がった途端に黒サガを苛んだ。
(お前は何を考えている!アイオリアにはもう関わるな!)
だが、半身の鮮烈な怒りを黒サガは歯牙にもかけようとしない。
「何を怒る。女神のため、正義のために…何の問題も無い慰労であったろう?」
(お前がどう懐柔しようと、彼はアイオロスの弟だ。お前に従い、光を失ったりはしない)
「さあ、それはどうかな」
黒サガは獅子座の去った方向を見送ったまま嘯く。そうして、うっとりとさえ見える表情で目を細める。
「…あれは、わたしの同類だ。強い光があるからこそ淀む闇を持つ、わたしの仲間」
(ふざけた事を。貴様などとアイオリアを同じにするな。彼は陽の下を歩く男だ)
「お前は奴の歪みを知らない。兄を憎み、聖域を疎み、女神を謗る彼の心を」
(お前は彼を、過小評価している。そんなことで心を曲げる獅子ではない)
黄金の獅子に対する二人のサガの意見が一致することなど無い。
それでも、射手座が謀反を起こしたとされる日からの少なからぬ年月が、アイオリアに陰を落としたことは白サガも認めるところだった。
ミロやシャカなどの黄金仲間や白サガであるときの教皇がアイオリアを光へ傾けても、黒サガは執拗にアイオリアの心に疵をつくり続けて闇を広げようとする。
デスマスクはあからさまにそれを面白がっていたし、シュラはサガの行為に良い顔をしなかったが教皇に逆らうことは出来ず、また射手座を半殺しにした山羊座としての立場では、アイオリアをどう光へ押し戻したものか計りかねているようだった。
彼を取り囲む思惑の微妙なバランスが、一層アイオリアの内面を曖昧にさせた。
そんなアイオリアへ届くことの無い謝罪を繰り返す白サガを黒いサガは哂う。
「そこで見ているがいい。わたしは、いつか獅子を手に入れて見せよう」
シュラを手に入れたときのように、必要とあらば幻朧魔皇拳で心の一部を壊すことも辞さずに。
黒サガの目には、獅子座の光の裏側に黒輝のネオンが映る。
闇を知る者にしか見えないその輝きを持つアイオリアを、偽教皇は静かに祝福した。
黒サガ×リアの野望も…(もぐもぐ)
アイオリアは強く真っ直ぐな聖闘士だけれども、歪みも同時にあるといいなあという願望。