アイオロス兄さんが生き返って、心から嬉しかったのは本当だ。
兄さんだけでなく、死していた黄金聖闘士はみな蘇生された。
どうなる事かと少しだけ心配になったが、兄さんはただ笑ってサガのした事を許した。
許すとかいう以前に、最初からサガを責めていないようにみえた。
サガは親友の地位を取り戻し、遠慮がちながらも兄さんに笑顔を見せるようになった。
自分を斬ったシュラにだって、兄さんは優しかった。
「辛い思いをさせた」と逆に労っていたものな。シュラは前から兄さんには弱いところがあったが、あれではもう頭が上がらないだろう。今のシュラは怖いくらい真摯な畏敬のまなざしで兄さんを見る。
ああ、それはもう何事もなかったように、兄さんと彼らは今日も笑っている。
いいや、何事もなかったどころか、雨降って地固まるの言葉どおり、以前よりも厚い信頼と揺らぎない友情を構築している。彼らの笑顔だけで、俺は過去を流せると思った。それも本当だ。でも。
兄さんを殺したサガやシュラたちとまだ馴染めずに居る俺を飛び越えて、被害者であるはずの兄さんが平気で彼らと話すのを見ると、心のどこかが重たくなっていく。英雄の名に相応しい兄の度量の広さを誇りに思いながら、俺だけが置いて行かれている気がしてしまう。
どうして、そんな風にいられるのだ。おかしいんじゃないか。
兄さんのために彼らを憎んだ自分が馬鹿みたいじゃないか。
俺は兄さんのために怒ったのに、兄さんは俺のために怒ってはくれないのか。
一瞬そう思ってしまい、そんな自分が許せなくて視線を彷徨わせる。
こんな思いは男らしくもなければ、正しくもない。
判っている。兄さんのためになんて言訳だ。あれは自分のための憎しみだ。
けれど、どうして兄さんは。どうして。どうして。
「可哀想に」
何の気配も無かったはずの獅子宮に、突如闇の声がする。
ほとんどうずくまりかけていた俺は、顔を上げて声の主…黒髪のサガを見た。
返事をする気力は無かった。
黒い髪のサガは、いつものサガとは髪と目の色が違うだけだというのに、受ける印象は全く異なる。何故女神が彼の方の復活まで許したのか、未だにわからない。
俺はこちらのサガを絶対に許せない。
いや、それも違う。俺が憎しみに捕まっているだけだ。
「憎いのだろう?」
心を読んだかのように彼は言う。
彼はサラサラと法衣の裾を引きずって近づいてきた。
その表情は笑っているのか、睨んでいるのか、何度見てもよく判らない。
黒のサガは白のサガが兄さんにするように、気さくに…気さくを装って俺の顔を覗き込んできた。
「可哀想に。お前は私の同類だ。戻る事は出来ない。何故なら」
彼は少し考えるように言葉をとめて、さらりと残りを吐き出す。
「あのとき私は、幻朧魔皇拳で、お前の正義感も一部破損させたから」
「…嘘だ」
「嘘ではない。だから、誰かが憎くてもそれはお前のせいではない」
その言葉すらフォローなのか嘲笑なのか、真意が掴めない。
そもそもこのサガに真意などあるのだろうか。
黒サガは俺をじっと見ると、片手をさし伸ばしてきた。
「お前が、お前の兄以上に仇である私達と仲良くなれば、問題はないのだろう?」
英雄である兄を置きざりにして。
俺が兄さんよりもサガと親しくなったなら、兄さんはどうするだろう。
ただ喜ぶだけだろうか。俺と同じように気にかけてくれるだろうか。
寂しく思ってくれるだろうか。
少しは俺を見てくれるだろうか、兄さん。
いつの間にか、俺はサガの手をとっていた。
(2007/9/11)
◆糾弾
「最近お前は双児宮によく出かけているそうだな」
アイオロス兄さんが、食卓のパンを手に取りながら何気なく聞いてきた。
「ああ、宮も近いから」
俺も何気ない風に答える。
「心境の変化でもあったのか?以前はサガを避けていただろう」
兄さんの直球なところは、兄弟同士の会話だからという気安さもあるかもしれないが、ほとんど性格によるのだろうと思う。兄さんはサガと違って隠し事は好きではないし、言葉を余計な修飾語で飾ることもしない。
「別に避けていたわけではないさ。接する機会が少なかっただけだよ。同じ黄金聖闘士同士、仲良くしたほうがいいと兄さんだって思うだろ」
つい饒舌になってしまうのは、心のどこかで言訳をしたがっていたからかもしれない。
兄さんは少しためらうように一拍を置いてから俺に聞いた。
「サガに何かされたのか?」
「何でそう思うんだ?サガはどちらも優しいぞ」
どちらも、という部分を言外に強調する。
兄さんはサガとの過去を流し、仲良くやっているけれど、黒い方のサガとは未だに疎遠だ。というより黒のサガの方が兄さんを受け付けない。
黒のサガは頑ななまでに兄さんを拒否する。その代わりに俺を受け入れる。
兄さんが真っ直ぐに俺を見た。
「しかし、お前はあのサガといる時に楽しそうにしているが…笑っていないじゃないか」
心臓をわしづかみにされたような気がした。
それが悔しくて、俺も兄さんに言ってやった。
「笑う必要がないからな。サガはこのままの俺が好きだと言ってくれたし」
初めて兄さんの顔がこわばった。
「ベッドの中でもサガは優しかったよ」
ガタン、と兄さんがテーブルに両手を付いて椅子から立ち上がる。
へえ、兄さんでもそんな顔が出来るんだ…と、どこか他人事のような感想が胸のうちを流れる。
ごめん、兄さん。そんな顔をさせたいわけじゃないのに。
そう思いながら、俺はどこか深いところで満足している自分に気が付いた。
(2008/8/27)
◆歪んだ光・3
→UNDER頁
◆闇の林檎
聖戦後、白のサガに対しては幾分態度の柔らかくなったアイオリアも、黒のサガに対しては友好的態度から程遠い状態であった。今までの経緯を考えれば、それは無理からぬ事で、こればかりは時間の解決することと周囲も放置している。
しかし、黒サガの側はアイオリアのそのような態度を微塵も気にしていない。むしろ、その拒絶を楽しむかのように、時折アイオリアの神経を逆撫でしては、じっと反応を見る。
ある日、とうとう怒りを爆発させたアイオリアは、黒サガに怒鳴った。
「ふざけるのも大概にしろ!俺は貴様の暇つぶしの玩具ではない」
獅子宮に響き渡る怒号すらも、黒サガの耳には涼風と変わらぬかのようだ。顔色も変えずにアイオリアの前に立った。
「ふざけてなど、おらん」
「では、何の用だ」
言外に、用が無ければ去れという意を込めている。
黒サガは目を細めて笑った。
「お前に、侘びをしようと思ってな」
「今更、口先だけの侘びなど必要ない」
アイオリアは切り捨てる。この黒サガが何を思っているのかは判らないが、サガ自身の贖罪は行動で示すべきものだと思っていた。今、目の前の男が形だけの謝罪など軽く口にしようものなら、殴りつけてやろうと拳を握る。
だが、黒サガは思っても見ない提案を持ち出した。
「あの時、私は幻朧魔皇拳でお前の意思を奪った」
「ああ」
「それゆえ1つだけ、何であれ今度は私がお前の命令を聞こう」
アイオリアは絶句した。
黒サガはゆるりと微笑む。その笑みは暗黒の蛇を思わせた。
「お前が私の死を望むのなら、それも構わん…さあ、お前は私に何を望む?」
獅子宮の主が咄嗟の返事が出来ずにいるところへ、アイオロスが入ってきた。思わぬ助けが来たように感じて、アイオリアが視線を向ける。反対に黒サガは、あからさまに顔を顰めた。
「何をしている、サガ」
「何も」
アイオロスに向ける黒サガの視線は、あきらかにアイオリアへ向けたものとは異なっていた。その事に気づいたアイオリアは、何となく胸が痛んだ。
「…サガの言うとおりだ。何でもないよ、兄さん」
黒サガの持ち出してきた提案を、兄にだけは話したくなくて、アイオリアは言葉を濁した。
(ああ、これは、イブの林檎だ)
アイオリアは、黒サガの差し出した甘い贈り物を、自分が受け取ってしまった事を自覚していた。
アイオロスに隠れて、黒サガと共有の秘密を育てる事が、兄に勝ちたいからなのか、13年前自分を置いていった兄への復讐なのか、アイオリアには良く判らなかった。
(2009/4/9)
◆闇の林檎2
『何であれ1つ、お前の命令を聞いてやろう』
黒サガのその言葉を、アイオリアは何度も思い出していた。
(自分をからかうための、悪質な嘘かもしれない)
そう考えかけて首を振る。
サガは、嘘や隠し事はするかもしれないが、約束は破らない。
(ならば、何故あのような事を言ったのだろう)
いくら考えても、答えが判らなかった。
深く思索するのは、得意ではない。まして、他人の思惑を推し量るのは無駄なことのように思えた。
それならばいっそ、単純に自分の望みを伝えても良いのではないか。
「俺が望むこと…」
呟くアイオリアの目に、静かな決意が浮かんだ。
「決まったようだな、アイオリア」
夜更けに訪れた双児宮では、獅子の来訪を予見したかのように、黒髪のサガが入り口の柱にもたれ掛りながら待っていた。
「お前の望みは何だ?」
彼の紅い瞳を睨み返し、アイオリアは低く告げる。
「兄さんに、勝ちたい」
ほう、と黒のサガは目を光らせた。
「お前の兄は次期教皇となる男だ。黄金聖闘士の中でも、最も優れた者しか付くことの出来ぬ地位を約束されたその男に、お前は勝つつもりなのか」
「関係ない。俺は兄を、アイオロスを超えたい」
「なるほど」
サガは寄りかかっていた柱から離れ、アイオリアの前へ立った。
「精神面については、私にはどうしようもない。それはお前が自分で鍛えるしかないし、優劣の決め方も判らん」
そう言いながらも、サガは楽しそうだった。
「だが、戦闘面でという限定つきならば…サジタリアスに勝てるよう、私がお前を鍛えよう」
私自身が勝つよりも、お前を通した方が面白そうな事であるしと、サガは付け加える。そのサガへ、アイオリアは冷たく言い放った。
「言っておくが、俺はお前のことも超えるつもりでいるからな」
「それは楽しみだ。せいぜいしごかせて貰おうか」
アイオリアは暫し黙った後、ぽつりと付け加えた。
「…本当に、出来るだろうか」
「私とお前が組めば、出来るだろうな」
黒サガは、心底楽しそうにまた笑った。
(2009/4/10)
◆闇の林檎3 ※エピG技設定が出てきます。
「お前も知っていようが、射手座の間合いは、やや広めだ。翼を活かした滞空時間の長さは、空中からの攻撃を有利にさせる」
訥々と話す黒サガの分析に、アイオリアは頷いた。
兄であるアイオロスの戦闘スタイルは、昔よく稽古を受けていたアイオリアには既知のものだ。
ただ、当時のアイオリアは、黄金聖闘士の座にあったとはいえ、まだ幼かった。対等に兄と向き合うには、まだ修練や肉体年齢が足りなかったのだ。
その点、サガは唯一の同期として、アイオロスと共に幾多の任務をこなし、同じ実力を持つもの同士の修練や組み手をおこなっている。より細かい洞察もできるだろう。
13年たった今ならば、兄に相対しても、獅子座として、男として、後塵を拝さぬ自負はある。しかし、脳裏でイメージトレーニングによるシミュレーション戦闘を行うとき、やはりやっかいなのが上方からの攻撃だった。
必殺技に対しては必殺技で対応可能だ。たとえば、小宇宙を幾千の矢に変えて相手を射抜くインフィニティブレイクは、ライトニングプラズマで相殺できる。相殺できず互いに痛手を負うかもしれないが、そのとき活きるのが、そこに至るまでに相手へ負わせていた通常攻撃でのダメージなのだ。
「ああ、だから俺の攻撃を届かせるには、こちらが間合いへ飛び込むしかないのだが…」
それが容易ではない。
直接攻撃を得意とするアイオリアが、実力を発揮するための接近を、アイオロスは簡単には許さない。
そう言うと、黒のサガは小さく笑った。
「お前は、お前の持つ能力を使いこなしていない」
「俺の能力?」
アイオリアは首をかしげた。サガはとても汎用性の広い攻撃力を持っている。精神技、異次元を開く特殊技、遠距離にも放てる物理攻撃、相手の攻撃を無効化する防御など、数え上げればきりがない。しかし己が持つ能力などなにかあったろうか。
「お前はサイコキネシスを使える」
「確かに使えるが、攻撃に使えるほどの威力はないぞ」
黄金聖闘士ともなれば、セブンセンシズに至る過程で数々の超常感覚に目覚め、誰であれ多少のサイコキネシスを使いこなす。それゆえ能力と呼ぶほどのものではないとアイオロスは思っていた。ムウほどの力があれば別だが、多少のパワーでは相手の小宇宙に遮られるのがオチだ。直接拳を叩き込むほうが威力も効率も上のはずで、良くてフェイント程度の使い道だろう。
けれどもサガは首を振った。
「充分だ。それだけの力があれば、お前は空を駆けることができる」
「兄さんと同じように飛べということか」
「常時浮かずともよい。宙に足場さえつくることができれば、それを足がかりに、空中での方向転換や直接攻撃も可能となる。そうなれば、なまじ翼を持つがために空気抵抗の多いあの男よりも、お前の攻撃の方が早い」
「…なるほど」
サイコキネシスを攻撃のためにではなく、補助として使用するということだ。試す価値はありそうだった。
他人の視点というのはとても参考になる。自分では気づかぬ可能性を開いてくれる。
「では、約束どおり手助けをしよう。お前がその力を実戦で使いこなせるようになるまで」
「どうするんだ?」
「まずは宙に立て。そのお前を目掛けて、わたしが光速拳を乱打する。すべて空中で避けろ」
「反撃していいか」
「すべて避け切れたら。ただし、簡単にわたしの拳から逃れられると思うな?」
黒髪のサガは、獰猛な獣が獲物を食いちぎるときのように、楽しそうだった。
「どうして、そこまでしてくれるのだ」
アイオリアの13年間に対する贖罪だとは思わない。ただの気まぐれだろう。だが、計算高いこの男が、ただの気まぐれでここまで労を割くだろうか。
「黄金の翼を持つあの男が、翼を持たぬお前に倒されたら、さぞかし愉快だろうから」
「サガ、お前は」
兄さんが好きなのだろうという言葉は、どうしても口に出せなかった。
(2011/11/21)