ゆったりとした法衣の裾を優雅にさばきながら、その人物は花園へと足を踏み入れた。
双魚宮を抜けた先には、代々のピスケスが世話をする薔薇園がある。
人の目を和ませる美しい花々が、侵入者に対しては毒を振りまくことを知るのは、聖域の中でもごく一部。
朝露の残る緑の中を進む彼は、その限られた一部にあたる人間だったが、花を恐れる様子は全くない。
「おはよう、アフロディーテ」
気品ある穏やかな声が花園の静謐を打ち破った。
青年に声をかけられたのは、咲き誇る薔薇たちに負けぬ煌びやかな男、双魚宮の主。
薔薇の手入れをしていたアフロディーテは直ぐに挨拶に応じかけ、しかしそのまま動きをとめてじっと来訪者の顔を見つめた。
「サガの振りをして、何のつもりだカノン」
それが法衣を着たカノンへの第一声だった。
「よく見分けたな。ここへ来る間にすれ違った連中は、誰一人として気づかなかったというのに」
先ほどまでの雰囲気とはうって変わって乱暴な所作となった双子座の片割れへ、アフロディーテは呆れたように肩を竦めた。
「悪趣味なことをする…」
それでもカノンを一応来客とみなし、宮内へと案内してハーブティーを振舞っている。
諌めの言葉にも、カノンは全く動ずる様子が無かった。
「射手座の英雄サマも山羊座の堅物も気づかなかった。アイツらもサガのどこを見ているのやら」
せせら笑いながら、出されたカップに口をつけている。サガに親しく近づく人間たちに対してカノンが持つ複雑な感情は、このような折に露となる。といってカノンは彼らを嫌っているわけではないのだ。
それを知るアフロディーテは、大人げない年上の黄金聖闘士の悪戯へ溜息を零した。
「私とて見分けたわけではない。ただ、花たちの反応がサガの時とは異なったのだ。彼が来ると、花たちが彩りを増す」
「は?何だそれは」
カノンの視線が胡散臭いものをみるような目線へ変わったのは、アフロディーテの言葉を信じていない内面の表れである。笑い飛ばせないでいるのは、実際に双子を見分けた現実を踏まえたためだろう。
「彼はあの花園の薔薇たちにとって、守るべき教皇だったのだ。今更違いましたなどと言っても、世俗の変化など花に通じる由も無い。彼の小宇宙を感じると、薔薇たちは未だに競って彼を守ろうとする」
何でもないように言い終えて、アフロディーテもハーブティーを口にした。
「ならば、見分けのつかぬお前達は花以下か」
カノンは行儀悪くテーブルへ頬杖をつき、にやりと笑った。
「それに、お前の育てている薔薇がサガの事をそう思ってるってことは、ひいてはお前がそう思っているってことじゃないのか」
笑ってはいるものの、カノンの目つきは睨んでいるかのように真剣そのものだった。
兄と、兄に何らかの感情を持つ者に対して、カノンは驚くほど強い視線を向ける。アフロディーテはカノンとは短い付き合いながら、その事は既に良く知っていたので気に留めることはなかったが、言うべき事はきっちり返すのが彼の性分だ。
「貴方の言う見分けとはなんだ?双子であれ異なる内面を理解しろということではないのか?ならば、サガの振りをして表面上の見分けが付かぬ人間を笑うのは愚行であり、フェアでもないな。見かけの違いを探させて何になる」
ばっさりと切り返されて、カノンはつまらなそうにフンと鼻を鳴らした。そのあたりは言われなくても自覚していたものとみえる。アフロディーテもそれ以上の追求は避けて、本題を促した。
「それよりも私に何の用か」
ああ、とカノンは姿勢を正す。
「お前に花を操る技のコツを教わろうかと思って」
「魚座の技のコツを聞いたところで、双子座の貴方には役立つまい」
「双子座にはな」
カノンの笑みが不敵な面差しに代わる。
「海龍の技に、面白そうなのがあるらしい」
「シードラゴンの技?」
アフロディーテが怪訝そうな顔をみせた。
「珊瑚を駆使して相手を拘束し、相手の神経と同化させる。結構えげつない技のようだ」
「なるほど。動植物を使いこなすとなれば、私の技が参考になるだろう」
薔薇の使い手としてカノンの頼みは納得はしたものの、アフロディーテは溜息をついた。
「だが断る」
「即断か」
「海将軍の技と聞いて、黄金聖闘士の私が協力出来るわけがない」
そう答えると、カノンは思いもよらぬ事を聞いたかのように、目を丸くして瞬かせた。
「そういえばそうだ。海龍としてのオレとお前達とは敵同士だった」
「聖戦も終わったいま、敵とまでは思っていない。ただ、けじめは必要だと思う」
「お前、意外と真面目だな。サガの影響か?」
「貴方がルーズすぎるのだ」
キツイくらいずけずけと返すアフロディーテだったが、カノンがそれに反発せずガッカリした顔でテーブルへ突っ伏したのを見て、拍子抜けしたのか言葉を和らげた。
「こう言ってはなんだが、その技は貴方には必要ないのではないか?貴方には珊瑚を媒介とせずとも他人を支配する幻朧拳があるだろう」
小宇宙の消費率から考えても幻朧拳のほうが良いはず。そう伝えた魚座へ返されたのは意外な言葉だった。
「技の効果に用はない。オレが欲しいのは珊瑚だ。珊瑚を湧かせたかったのだ」
「は?潜って採って来ればいいだろう。貴方は海に詳しいのだろうし」
だが、カノンは首を振った。
「オレが作った珊瑚が良かったのだ。お前とてサガに薔薇をやるなら、自分で丹精込めて育てたやつを渡しているのだろう」
今度はアフロディーテのほうが目を丸くする番だった。
そのあとは口元を押さえ、何かを堪えている様子だったが、耐え切れずに笑い出す。
「は…ははは!何だ、それならそうと、言え…」
笑いながら話しているために、言葉が途切れる。カノンは嫌そうな顔をしたが、アフロディーテは手を伸ばしてぽんぽんと彼の肩を叩いた。
「そういうことならば協力しよう」
「海将軍には手を貸さないのではなかったのか」
「私が手を貸すのは、海将軍ではなくサガの弟のようだからな」
アフロディーテはまだ笑っていた。
カミュに次ぐクールさを秘めた彼が、これほど笑うのがどれだけ珍しい事なのかを、まだ馴染みの浅いカノンは知る由もなかった。
アフロディーテは男前性格希望です。
珊瑚の宝石言葉は幸福。カノンはサガに自分の手で幸福を渡したいのです。