1.柚子湯(タナトス&蟹in巨蟹宮)
2.人類滅亡の日(タナトス&双子in双児宮)
◆柚子湯
巨蟹宮を守るデスマスクは、黄泉比良坂から近づいてくる強大な小宇宙を感じて反射的に身構えた。タナトスの小宇宙だ。巨蟹宮には冥府入り口に接近する道があり、代々守護者が許可をすれば、その空間は十二宮へと繋がる。そのため、十二宮の住人と私的な交流のある冥界者が非公式に訪れる場合、このルートを使うことが多々ある。
もちろんデスマスクも無条件に通行を許しているわけではなく、彼なりに毎回通行チェックは行っているのだ。幸い今のところ敵意をもって押し入るような者はいない。しかし、タナトスレベルの存在が万が一狼藉を働いたならば、デスマスク一人ではとても抑えられない(多分ほかの黄金聖闘士でも無理だろう)。
それゆえ、デスマスクが緊張するのも無理は無かった。
ただ、神は嘘をつかない。なので、デスマスクはいつも簡単に来訪の理由を尋ね、聖域や女神に害意なしとの回答が得られた場合には、素直に通すことにしていた。
今回も形式的な問答のあと、道を開いたデスマスクは目を点にした。
神々しく(そして禍々しい死の気配も振りまきつつ)現れたタナトスの後ろに、大量の柑橘類が浮かんでいる。厳密には魑魅魍魎たちが1匹につき1つずつ抱えて飛び回っている。タルタロスフォビアの弾代わりとなる下級霊たちだ。実の大きさはオレンジよりも大分小さいだろうか。
巨蟹宮がいっきに柑橘類の香りにつつまれた。
悪い香りではない。むしろ涼やかなのだが、見た目がちょっと、いや、かなり異様である。おそらく小型トラック1台分の実が飛んでいる。
「あー、タナトスサマ。これ、ナンデスカ」
確認を入れたのは、守護者としての職務もあるが、つっこみが先に立った感がある。
「ふ、そんなことも知らぬのか。今日は冬至であろう」
「……ああ、そーデスね」
デスマスクはイタリア人であるが、東洋文化には造詣が深く、柚子湯の存在くらいは知っている。
(それ、アンタの嫌いな塵芥どもの行事ですけど)
言いかけた台詞を胸のうちにおさめ、顔だけはにこやかに相対する。
タナトスは上機嫌だ。
「お前の宮は負の気が充満していて過ごしやすいが、風呂が今ひとつゆえな。双児宮のものを使おうと思い、土産を持ってきてやったということだ」
「それは双児宮の連中も喜びますね」
十二宮はお前の別荘じゃねえぞ!という心の突っ込みもなんとか我慢する。天然のサガは喜ぶかもしれないが、カノンは多分暴れるだろう。聖戦後の三界和議のあと、タナトスは当然のように聖域へも遊びに来る。暇なのだろうか、どうせならニンフのねーちゃんたちも一緒に連れて来てくれればいいのにとデスマスクなどは思う。
まあ、人間を塵芥扱いしていた頃に比べれば格段の進歩ではある。以前は本当に人間を塵芥と思っていたタナトスが、現状ではミジンコくらいには扱いを変えている…口では相変わらず塵芥扱いではあるが。
「それにしても、珍しいですね。人間の行事に合わせてのご来訪とは」
巨蟹宮の出口へデスマスクが接待しながら案内すると、タナトスは得意そうに頷いた。
「この先のクリスマスとやらは、冥府に敵対する概念のイベントだが、冬至は夜のもっとも長くなる日。我々が地上をおとなうことに問題あるまい」
「えーと、その」
とうとう我慢できずにデスマスクは突っ込んだ。
「柚子湯ってのは無病息災を祈る習慣ですから、思いっきり死の神のアンタの意義には反すると思いますよ」
そう言った途端、タナトスの頭上を飛び回っていた魑魅魍魎たちから、デスマスクは次々と柚子をぶつけられる羽目になった。
地上のめでたい行事って大抵タナトスの意義に反してますよね 2012/12/21
◆人類滅亡の日
「何か良いことでもございましたか」
機嫌のよさそうなタナトスへ、サガは愛想よく紅茶を差し出した。自死をした彼はもともとタナトスの性質に惹かれる傾向があるが、タナトスが風呂用アイテムとして柚子を持参したことで、一気に好感度を上げている。
隣ではカノンがそっぽを向いてソファーに座っていた。こちらは諸所不満があるものの、海将軍筆頭として外交の一貫と割り切ることにしたようだ。サガがカノンの前にもティーカップを置く。
タナトスはカップを取り上げ、紅茶の香りを楽しんでから口をつけた。上質のアッサムティーだ。一口含んで喉を潤し、満足そうに余韻を味わっている。
「ふ、機嫌よくもなろうというもの。聞けばお前達塵芥は今日滅ぶそうではないか。ハーデス様もお喜びになるだろう。オレは忙しくなるが、そのまえに風呂で英気を養おうと思ってな」
カノンががたりと立ち上がった。サガもさすがに引き締まった表情となる。
「何かのお間違えでは…」
それでも穏やかに尋ねたのは、僭称ながら教皇職を務めた貫禄だ。
「そんなことはない。お前達の情報ツールであるインターネットとやらに書いてあったぞ」
サガは怪訝そうな顔をしたが、カノンの方は目を瞬かせたあとソファーに腰を下ろした。そして、努めて喧嘩口調ではなく外交的な姿勢で話しかける。
「マヤ暦による『人類滅亡の日』は…いくぶん人間による予言ゆえ、精度に欠けます。とりあえず風呂にでも入って滅亡までの時間をお待ち下さい」
まっっっっっっっっっっったく信じていないカノンであった。しかし、地上に現れた死の神のせいで、万が一にも滅亡の可能性が上がるよりは、双児宮で接待漬けにしておいたほうが良いとの判断をしたのである。
さらに、タナトスの地上来訪にヒュプノスが伴っていないということは、ヒュプノスはその予言を信じておらず、タナトスの夢を壊さぬよう何も言及しなかったのであろうという背景まで読み取っていた。
「ふふ、珍しくしおらしいではないか。いつもそのような態度でいろ」
尊大な態度のタナトスへ、内心で(うるせーバーロー)と返しつつ、カノンは茶菓子をタナトスのほうへ差し出す。事情の判らぬサガは、判らぬなりにカノンを見て大丈夫と判定したらしい。座りなおし、紅茶を口にした。
柚子の香りが充満した双児宮で、『滅びぬではないか!』とタナトスが怒り出すまでには、まだもう少し時間があった。
なんか人類滅亡予定の日だったらしいです 2012/12/22