オリーブはアテナの聖樹ということもあり、聖域では最もポピュラーな植物の1つだ。この季節、青々と茂る葉のあいだには、楕円形のちいさな実がたわわにぶら下がっている。
収穫はまだ先だが、現段階でも豊作であることは一目瞭然であった。
「今年もよく採れそうです。村の者たちが喜ぶでしょう」
十二宮の通路をゆくサガが隣のアテナへ話しかけた。
本来であれば、人間にすぎぬ聖闘士が女神の隣を歩くことなど許されない。一歩下がって付き従うのが聖域の慣例である。けれども今生の女神は外国育ちのためなのか、堅苦しい序列を好まず、それを知っているサガは、十二宮エリアへ入ったあとに限り横に並ぶようにしている。
「嬉しいことです。デメテルのお陰ですね」
祭典用の衣装を着た彼女は、軽やかに白のドレスの裾をさばいていた。それでいて乱暴なところはなく、優美に洗練された動きだ。黄金で統一された腕輪や首飾りとニケの杖が、太陽を反射させてきらきらと輝く。派手なほどだが、アテナの美しさの前では、それすら霞むとサガは思う。
「貴女が人間にオリーブを与えてくださったお陰です」
「ふふ、昔の話だわ」
明るい栗色の髪をなびかせ、颯爽とアテナは歩いていく。
サガはアテナへ微笑んだ。
「この樹は聖域中に恵みをもたらしてくれますが、1箇所だけ生えていないところがあるのですよ。ご存知ですか?」
「あら、そうなの?どこかしら」
「教皇宮です。昔、赤子であった貴女がこの地を去られたあと、教皇宮まわりの樹が実ることはなくなりました。それを見たあれが…もう一人のわたしが、すべて引っこ抜いてしまったのです」
「まあ」
「愚かですよね」
自嘲まじりの穏やかな笑みには、数多の苦しみと悲しみを乗り越えてきた人間特有の静謐が含まれている。
アテナの歩みがわずかに鈍り、無言のままサガの手を取った。手を繋ぎながら歩くことになったサガは、どうしていいのか戸惑いながらも、その手を離すことは無い。
拒絶がないとわかると、少女はまた歩の速度をあげた。
「今度、一緒に植えましょう、サガ」
「アテナ」
「オリーブたちにも言っておかなければ。私は誰かを苦しめるために、あなた達を創り、人に与えたわけではないのだと」
「……貴女というひとは」
手を引かれるように歩くサガの顔が、くしゃりと泣きそうにゆがむ。
けれども涙がこぼれることはなかった。代わりにサガは低くゆっくりとアテナへ伝える。
「貴女の生誕と御世を祝います。貴女のために、わたしは戦う」
13年前とは違い、心の底からの言葉であった。
「ありがとうサガ」
にっこりと笑ったアテナの笑顔は、戦女神のようでもあり、人間の少女のようにも見える。この笑顔を二度と曇らせたくないと、サガは心の中で呟いた。
2012/9/1