巨蟹宮に入り込んでくる気配を感じて、デスマスクは目を覚ました。
まだ日が昇るか昇らないかの早朝であるが、聖域の朝は早い。訓練生たちはとっくに朝の稽古を始めているし、まかないの雑兵たちは朝食の支度に忙しいさなかだろう。
朝寝は、スケジュールに自由の利く黄金聖闘士ならではの贅沢であるのだ。それを邪魔するのはどこのどいつだ…と思いかけ、デスマスクはがばりと寝台の上へ起き上がった。
宮奥のここ、私的エリアまで許可なく踏み込んでくるのは数名しかいない。
そのなかでも今感じ取った小宇宙は、隣宮を預かるかつての上司のもの。
慌てて寝台から降りて、身支度を整えようとするも、相手の侵入の方が早かった。
「邪魔をするぞ、デスマスク」
黒髪のサガが、まるで自分の部屋であるかのように寝室へと入ってきて、デスマスクは寝起きの頭をがしがしと掻いた。身だしなみも整えぬ姿を見せるのは本意ではない。
そんな胸中を察したのか、紅眼のサガが笑う。
「イタリア男も形無しだな」
「アンタが整えさせなかったんでしょうが」
「その姿も悪くないぞ」
軽口をたたきながら、サガはサイドテーブルへ手にしていた紙袋を置き、中身を取り出した。
メロンだ。瑞々しい香りがふわりと漂ってくる。よく見るとギリシアでよく出回っているものとは違う種類のようである。
「アンデスメロンだ」
またしてもサガが先回りして答える。サガは13年間、聖域を牛耳っていただけあって、他人の思考には敏い。
「へえ、アンデスのメロンとは珍しいですね」
「いや、これは星矢が持ってきた日本産だが」
「産地偽装って奴ですか?」
「産地は偽装しておらぬ。アンデスというのは『作って安心』『売って安心』『買って安心』…という『安心ですメロン』の略なのだそうだ」
「…やっぱ、開き直った産地偽装なんじゃないスか?」
黒サガはどこに隠し持っていたのか、フルーツナイフを取り出した。メロンの下に紙袋を敷き、ストンと器用に一人分だけ、くし型にメロンを切り取る。
普通は半分にカットして、それをまた切り分けるんだぞ…とデスマスクは思ったが、黒サガが果物を扱うところなど滅多に見れるものではないので黙っていた。
くし型のメロンへ更にナイフをいれ、皮と果肉部分を切り離す。果肉部分を6等分にカットして一口大にした黒サガは、満足そうにそれを1つ指で摘み、食えとデスマスクの口元へ押し付けてきた。
「アンタね、せめて楊枝で刺してから勧めるとかして下さいよ」
「いらぬのか」
「いただきます」
ぱくりと食いつくと、一瞬だけ唇へサガの指が触れた。
起きぬけで喉が渇いていたこともあり、メロンの水気が身体に染み入っていく。
「『安心デスマスク』も略すとアンデスだな」
サガはとても頭がいいはずなのに、冗談なのか本気なのか、時々ネジのゆるい発言をしてデスマスクを脱力させるのだ。
もっとも、他人に対しては決して隙を見せないサガであるので、こうした一面を知るのは、ごく身近な数名だけのこと。
「俺はむしろ危険な男と言われたいんですケド…アンタにとって、やっぱ俺って安全牌なの?」
巨蟹宮の主が、ちらりと本音を覗かせてサガを見ると、サガはどうとでも取れる笑みを浮かべながら、また甘いアンデスメロンの一片をデスマスクの口へと押し込んできた。
そのメロンが、自分ですら忘れていた誕生日の贈り物だと気づいたのは、サガが帰ったあとに酒を持って乗り込んできた悪友ども…アフロディーテとシュラから、ハッピーバースデーの言葉を聞いたときのことだった。