1.
ハーブ粥(ロスサガ)
2.
海草リゾット(海将軍)
◆
ハーブ粥
アイオロスが双児宮通り抜けの許可を求めてきたので顔を出すと、彼はいつもの笑顔でひらりと片手を振ってきた。軽装なのもいつものことだが、小脇に深めの籠を抱えている。視線に気づいて、アイオロスがその籠をくるりと器用に指で回して見せた。中身は空のようだ。
「野草を採りに行こうと思ってな」
「訓練生や下働きの者に任せず、お前自ら?」
「たまには良いだろう。星矢に聞いたのだが、日本では今日、春の野草を七種類摘んで粥に入れ、無病息災を願いつつ食べる日らしいぞ」
納得して頷く。アイオリアに食べさせるのなら自分で摘みたいに違いない。確か、もともとは老師の出身地における風習が日本に伝来したものだったと記憶している。
彼がそのまま下宮へ歩き去ろうとするのを、わたしは声をかけて止めた。
「ちょっと待ってくれ、アイオロス」
「何だ、サガ?」
「その、わたしも…一緒に行って良いか」
今日はカノンが海界から戻る日だ。弟のために、わたしだって何か用意してやりたい。
アイオロスは目を丸くしたが、直ぐに頷いたので、急いで着替えを済ませて籠を探す。アイオロスは何故かニコニコと上機嫌でいる。
「待たせてすまないな」
「いいや、君から誘われることなんて、昔も今も滅多にないからな。少し待つくらい何でもないよ」
そんな風に言われて少し恥ずかしくなった。わたしからしてみれば、かつて私生活で気兼ねせず外出の同行を頼めるような相手などアイオロスくらいしかいなかったのだが、確かにその頻度は少なかった気がする。
カノンが一人で居るというのに、わたしだけ誰かを誘って外へゆくようなことが出来なかったためだが、彼からすればひどく付き合い不精に見えたろう。カノンもまたわたしの遠慮を嫌い、いつしか禁を破って勝手に聖域の外へ遊びに行くようになっていた。
結局わたしの対応は不器用で、アイオロスとカノンのどちらに対しても上手く行かなかったのだ。
当時を思い出して、つい溜息が零れると、アイオロスが近付いてきてわたしの眉間に指を当てた。
「しわが寄っている。どうした、俺は何か気に障ることを言ったか?」
「すまん、お前のせいではないのだ…その、丁度良い籠がなくて」
誤魔化そうとしてついた苦しい嘘を、アイオロスは笑って気づかない振りをしてくれた。
「籠かあ…そうだ、君の聖衣のあれなど丁度いいのではないか?」
「あれとは?」
「ほら、ヘッドパーツ」
「わたしの聖衣を何だと思っているのだ」
確かに丁度良さそうだと思ってしまったが、本当に籠代わりにした日には、むくれて次回戦闘のとき呼んでも飛んできてくれない予感がする。
すると、アイオロスは持っていた籠をまたくるりと回して見せた。
「じゃあ、俺の籠を一緒に使おう?」
「しかし、お前の採った分と混ざってしまうが…」
「いいじゃないか、混ざったって。もし良ければ夕飯も一緒にどうだ」
今度はわたしが目を丸くする番だった。
この男はいつでも適当で、完璧な分類を好むわたしとは相容れない。
…おろかにもそう思っていた事もあった。
だが、今なら判る。アイオロスは適当なのではない。度量が広いのだ。どうして当時のわたしは、そんな簡単な事を認めるのが悔しかったのだろう。
「混ざってもいい…か」
「混ざってない君も好きだけれどね」
さりげなく告げられた好意に気づいたのは暫くたってからだ。
わたしは赤くなった顔を見せたくなくて、一歩ほど下がった後から黙って彼についていった。すらりと真っ直ぐな背中を見ているうちに、わたしに殺された彼が背中を見せてくれることの意味に気づいて、どうしようもなく涙が零れそうになる。
アイオロスのことを征く手を阻む敵だとか障害だとか、闇の半身は常にわたしに囁いたけれど、この男を好きなわたしも本当だったのだとその時初めてそう思った。
2010/1/7
朝食の行事だということまでは知らないギリシア人ふたり
◆
海草粥
海皇による招集がかかったのは、まだ陽も昇らぬ早朝の薄暗い時刻だ。
珍しく南大西洋の柱へ降臨したらしく、スキュラのイオが慌しく伝令を飛ばしてきた。残りの七将軍がポセイドン神殿に集うと、何故かそこには食事用のテーブルセッティングをされた長机が置かれている。
「朝食会議か?」
「それほどに緊急を要する内容なのかもしれんぞ」
バイアンとカーサが言葉を交わすなか、カノンはとりあえず将軍たちを席へつかせた。
皆が椅子に座るとすぐに玉座の奥からジュリアンの身体を借りたポセイドンが姿を見せる。そして、椅子から降りて膝を付こうとする一同を片手で制した。
「そのままで構わぬ。この度そなたたちを呼んだのは、皆で朝餉を囲むことが目的よ」
「…そんな下らんことで朝から…」
カノンがぼそりと突っ込むも、ポセイドンはそ知らぬ顔でニコリと続けた。
「先日、日本育ちのアテナより七草粥という風習について耳にした。無病息災を祈り、七種のホルタ(野草)をリゾットに混ぜて朝に食すらしい…アテナは自ら摘んで聖闘士たちに振舞うのだと自慢しおってな」
七将軍たちは顔を見合わせた。それは自慢ではなく単なる世間話の気がするのだが、ポセイドンには配下との仲の良さを見せ付けられたように感じたのかもしれない。
女神に対抗して自分も…ということなのだろう。
だが、暴力沙汰で角を突き合わせるよりも平和なことだ。クリシュナが真面目な顔で尋ねる。
「では今からその七草粥とやらを?」
「ああ、だがスキュラに話したところ、そのままホルタを混ぜてもアテナの真似に過ぎんというのだ。海界でするからには、海のものを食すべきだと申してな」
「海のものというが…まさか海の草を食すと?」
カノンが怪訝な顔をしている。ソレントも口は挟まぬものの、やはり首をかしげている。ヨーロッパでは海草を食べる習慣がないのだ。
ポセイドンは頷き、両手を広げた。そこに現れたのは平笊に乗せられた見慣れぬ海草の数々だ。ワカメや昆布などの一般的なものから、見たこともない怪しい形状のものまで様々である。
「わたしもギリシア育ちゆえ、海草を口にする機会もなかったが、考えてみれば支配する界のものを活用せぬのもおかしなこと。幸い海神として食用となる海草は判別できる」
丁度そのとき、イオが全員分の皿を運んできた。白いリゾットに赤や緑の海草の細切れが混じっているのが見える。
「調理はイオとテティスに任せたが、七種の海草は私が摘んできたのだ」
それこそ自慢げに話すポセイドンをみて、七将軍はこっそり女神に感謝した。女神や聖闘士たちに関わる事で、ポセイドンは人に親しんでいく。俗に染まるのはいただけないが、寝てばかりいて人や世界への興味を失っていく神を見るのも寂しいのだ。
ポセイドンはカノンの隣へと座り、己の海龍の顔を覗き込む。
「下らぬ用件で朝から呼び出してすまんな?」
悪戯っぽい目つきで言っているところをみると、本当にすまないなどとは思っていないのが一目瞭然だった。カノンが渋い顔で答える。
「…申し訳ない。貴方が手ずから用意した食事なら、下らなくはない」
「ほう、素直ではないか」
「調理まで貴方がなさるのならば心配であったが、テティスとイオならば問題もなかろう」
「私に料理が出来ぬかのごとき言い草だな」
「出来るのか?」
「私と共に夜を越してみれば、翌朝の食事どきに判るであろうよ」
「何があろうとお断りする」
朝からじゃれあっているようにしか見えない海神と海龍のことは放って置いて、残りの海将軍たちは黙々と海草リゾットを口へ運ぶ。
それは意外と美味しくて、育ち盛りの彼らはお世辞ではなく皆お代わりを頼みポセイドンを満足させた。
2010/1/7
食べ物が美味しいのは平和な証拠です(>▽<)