布団の中で違和感に目を覚ましたアイオリアは、同じ寝台のすぐ隣に横たわり、自分を覗き込んでいる紅の瞳に硬直した。
「ななな、なんで、お前がここに!」
黒髪紅瞳の人物など聖域には一人しかいない。
眠気など一度に吹き飛んだ。これだけ近づかれて気づかない自分の迂闊さにも腹が立つが、この黒髪のサガは13年間教皇に化けていただけあって、気配の誤魔化し方に長けている。
「今日はお前の誕生日だろう」
何の答えにもなっていない言葉をかえし、黒サガはニヤリと微笑んだ。本人は普通に笑んだだけなのだろうが、何かを企んでいるようにしか見えない微笑みだ。
慌てて起き上がると、互いの身体からばさりと布団が落ちる。サガは服を着ていた。このような時だがアイオリアは激しく安心した。
「以前、お前とわたしでシュラの誕生日を祝った事があった」
「お前ではなく、本来のサガの方とだがな」
「わたしもサガだ。そしてその時に、シュラを山羊づくしで祝ったのを覚えているか」
そのようなこともあったが、それがどうしたとアイオリアは睨みつける。
睨みつけられても黒サガは涼しい顔だ。
「それゆえ、この度はシュラと私で、お前を獅子づくしで祝おうという話になったのだ」
思わぬところで出てきたシュラの名前に動揺しつつ、アイオリアは平静を装って尋ねる。
「では、シュラは…?」
「いま台所でシシ鍋を作っている。本当はライオン料理が良かったのだが、色々と問題がでたのでな…」
「この暑い夏の朝から鍋料理だと!?というか、シシ鍋というのは何の鍋だ」
「猪の鍋だ」
ライオン鍋でなくて本当に良かったと思いながら、アイオリアは寝台を降りた。
黒サガが布団の上で残念そうに呟いている。
「獅子舞でお前を起こす計画もあったのだが、聖域奥部に部外者を連れ込めず…」
「シシマイというのが何か判らんが、それも実行しないでくれて何よりだ」
「お前は欲がない」
「いや、欲があったとしても、不要なものはいらん」
朝から眩暈を起こしそうなアイオリアをよそに、黒サガは我がもの顔で寝台を占領したままだ。そして、片手に持っていた包みをアイオリアへと投げつける。見れば、それは『ライ●ン歯磨きセット』。
「生活必需品であれば文句もないのだろう?」
「……確か誕生日を祝うとか言っていなかったか」
「それがプレゼントだ。受け取れ」
「…」
プレゼントにしてはしょぼいと失礼な事を考えかけ、しかし直ぐに考えを改める。この男から高価な品物を寄越されるほうが怖い。実用品なら確かに受け取って困る事もなく安心だ。
そうこうしているうちに、シュラが寝室へ顔を出した。
「朝食の用意が出来たのだが…アイオリア、おはよう」
「…おはよう」
隣には寝台の上で胡坐をかく黒サガ、目の前にはエプロン姿のシュラ。あまり広くないアイオリアの許容量を、状況がそろそろ超えそうである。アイオリアは胸中で頭を抱えていたが、シュラは1度扉の向こうへ引っ込み、そして何やら鉢植えの草花を持って戻ってきた。
「誕生日おめでとう、アイオリア」
「…これは?」
「タンポポ(dandelion)だ」
これもライオンづくしの一環らしい。この時期に咲く花ではないだろうに、可愛らしい黄色が鉢の中で存在を主張している。
何となくアイオリアは目を伏せた。シュラの顔を見るのが照れくさかったのだ。黒髪のサガに対しては好き勝手に思うところを話せるというのに、何故かシュラの前では緊張してしまう。
「花言葉は”思わせぶり”らしい、ぞ」
黒サガが聞いてもいないマメ知識を披露し、アイオリアはますます対応に困る。
シュラはそんな空気を読みもせず、相変わらず仏頂面だった。といっても機嫌が悪いわけではない。それが素の顔なのだ。朴念仁であるがゆえに、シュラもまた場の空気に鈍いところがあった。
「二人とも、その、プレゼントをありがとう」
それでも、礼だけは何とか口にしたアイオリアへ、黒サガが寝台の上から声をかける。
「贈り物はそれだけではない」
「なに」
黒サガの手がひらりと振られると、その手に封筒が現れた。表面になにやら見た事のある旅行会社のマークが入っている。
「有志からの寄付によるペア旅行券を預かっている」
「ゆ、有志とは…?」
「具体的に言えば、私とシュラを含む黄金聖闘士たち、そして過去にお前を逆賊の弟として冷遇した覚えのあるものたちだ」
「…は?」
「これで過去のお前の苦労を購えるわけではないが、まあ、今さら過去について直接お前に詫びるよりも、多少なりとも今後は楽しんで欲しいと言う気持ちを持つ者が多いという事であろうな」
アイオリアの過去の苦労の原因の大半を占める黒サガが、他人事のようにさらりと言う。
差し出された旅行券を、アイオリアは黙って受け取った。どんな顔をして良いのか分からなかった。それほどアイオリアは器用な人間ではない。いま感じた気持ちすら、自分自身で説明できないものだったのだ。
重くなりかけた空気をシュラが破った。ぼそりと低い声で旅行券の詳細を付け足す。
「ちなみに、それはシンガポール行きの旅行券だ」
それがどうライオンと関係があるのだと思いかけ、直ぐに有名な像が脳裏に浮かぶ。
「…ひょっとしてマーライオン?」
「ああ」
あまりのセンスに笑うしかなく、アイオリアは救われたように顔を歪めた。
そうだ、笑ってしまおうとアイオリアは思った。
あの13年間は簡単に流せるものではないが、今日この日に、こんな不器用な方法で自分を祝おうとしてくれている皆の気持ちも簡単に流して良いものではないのだ。
それに、今にして思えばあの13年間とて、黄金聖闘士の仲間たちは常に自分を気遣ってくれていたのではなかったか。
己の恨みよりも皆の想いの方が何倍も大切な光のカタチだと思う強さを、アイオリアは持っていた。
「ありがとう」
今度こそ感謝を込めてアイオリアは太陽のように笑う。
「シュラの手作りの鍋、楽しみだな」
黄金の獅子の笑顔をみて、シュラとサガも顔を見合わせ、それからどこか安心したような笑顔をみせた。
のちに、黒サガが「アイオリアとは寝台を共にしたのち、朝食を一緒に食べた仲だ」などとアイオロスに伝えたため、大きな騒動になるのだが、それはまた別の話。
2009/8/16-17