1. 山羊づくし…(白サガ→山羊←アイオリア)
2. シュラ誕前日…(シュラと黒サガ)
3. 幸福な朝…(シュラv黒サガ)
◆山羊づくし…(白サガ→山羊←アイオリア)
遠地での勅命から戻ってきたシュラは、麿羯宮へ戻る途中で双児宮を覗いてみた。
サガがいれば立ち寄って、挨拶をしてから通り抜けるつもりであったのだが、どこかへ出かけているようで人の気配が無い。
多少残念な気持ちになりながら十二宮の一本道を登っていくと、すぐ上の巨蟹宮では、デスマスクが何やら気の毒そうな表情を浮かべて「がんばれよ」などと言ってきた。「いや、仕事はもう済んだ」と返しても、友人はひらりと手を振るばかりだ。
首を傾げてさらに宮を登っていく。ギリシア在住のはずのアイオリアも留守で、次に声をかけられたのは人馬宮だった。
「お前はいいなあ…」
聖域の英雄が、珍しく溜息なんぞをついている。何が良いのか判らなかったが、羨ましそうな視線が微妙に突き刺さって痛い。とりあえずシュラは先輩に頭を下げその宮も通り抜けた。
人馬宮を出た辺りから、奇妙なケモノ臭が漂い始めた気がして、シュラは眉を顰めた。階段を上がっていくにつれ、それはハッキリとした異臭として鼻に付いた。
見上げれば麿羯宮の窓から、煙が立ち上っている。異臭の発生源もどうやらそこらしい。
シュラは慌てて自分の守護宮へむけて走り出した。
光速で駆け込んだ自宮のなかで彼が最初に見たものは、にこやかなアイオリアとサガの共同作業だった。
「おかえりシュラ。早かったのだな」
アイオリアがさわやかに振り向けば
「疲れたろう、お前のためにささやかながら夕食を用意しておいた」
とサガも神のような笑顔で出迎える。
しかし、シュラは動けない。
出迎えてくれた二人の笑顔と裏腹に、麿羯宮内は惨状としか呼べない状態だった。
「こ、これは一体…」
青い顔で呟くシュラへ、アイオリアが多少はにかみながら答える。
「シュラはもうすぐ誕生日だろう?」
「ああ」
「その、シュラの誕生日を山羊尽くしで祝おうと思ってさ」
ギリシアには誕生日を祝う習慣はない。そのため、ギリシア人であるアイオリアとサガは自力で祝い方を考えたのだった。
「ま、まさか、この匂いは…」
「山羊だ」
にこにことサガが言い添える。アイオリアも付け足した。
「チーイリチーといって、山羊の血と内臓を煮込んだものだそうだ。サガが調理してくれた」
「山羊を掴まえてきてくれたのは、アイオリアだろう」
「……」
ただでさえ壮絶に臭い野生の山羊肉を、匂い抜き処理なんぞ知らなさそうなサガが調理したのでは、下手なテロの工作よりも異臭が発生するはずだとシュラは眩暈を起こした。
「山羊のチーズに山羊刺しも用意したんだ。チーズケーキも山羊のチーズの特注なんだぞ。山羊のミルクを飲むのにはこの角杯な」
アイオリアに手渡された、おそらく山羊製であろう角杯を受け取りながら、シュラは「ありがとう」と言うほか無い。
宮の壁に目を向ければ、これまた山羊製であろう毛皮の掛け物と、立派な角をもつ雄山羊の首の剥製が飾られている。良く見ればこまこまと山羊のオーナメントも飾られている(これはクリスマスツリーの使いまわしだろう)。二人で飾り付けをしたのであろう場面を想像すると微笑ましいが、生憎サガもアイオリアも装飾センスはあまり持っていない。
宮の裏ではおそらく二人が捌いたであろう山羊の血が飛散し、肉の残りが干してあるのだろうなとシュラは予測した。
(異教のサバトのようだ…)
シュラがちょっぴり涙ぐんだのは、強烈なヤギ臭と煙が目に染みたせいだけでもなかった。
「少し早いが」
「ハッピーバースデー、シュラ」
それでも二人から祝われると、シュラの胸に温かいものが流れる。
有難い事にアンゴラヤギのセーターというまともなプレゼントもあり(山羊煮の匂いが染み付いていたが)、シュラは勅命帰りの体力を、全部このあとの食事会で使い果たす決意をした。
(−2009/1/9−)
◆シュラ誕前日…(シュラと黒サガ)
「いくら気に入ったからと言って、腹を壊すまで食すことはあるまい」
黒い髪をかきあげながら、サガが紅い瞳に呆れの色をのぼらせている。
シュラは麿羯宮の寝台からそれを見上げた。
昨日の山羊煮を気に入ったわけでも、食べ過ぎたわけでもないのだが、それを告げる勇気はない。
アイオリアと白サガの共同制作であるその山羊煮は、二人とも「シュラのために作ったのだから」と言って自分たちは手を出さず、処理作業はシュラの単独担当となったのだ。
血と内臓で作られたチーイリチーの匂いは凄まじく、1日たった今でもまだ麿羯宮にその痕跡を残していた。見かねたアフロディーテが匂い消しにと大量の薔薇とハーブを持ってきてくれたくらいなのだ。
「アレの手料理はそれほど良かったか」
どこか拗ねたような顔をしながら、黒サガは片手に持っていた蝋燭をサイドテーブルに置いた。
そこはきっぱり否定したほうがいいのか、あの破壊的な料理の腕前について気遣った方がいいのか、シュラが逡巡しているあいだに時は過ぎ、返事をするタイミングは流れていく。
ふと鼻腔をくすぐる慣れぬ匂いに気づいて、シュラはサガの持ってきた蝋燭をみた。
「それは…いつもの聖域支給の蜜蝋ではないですね」
話題を逸らすつもりはなかったが、黒サガは片眉をわずかに上げた。
「…獣脂蝋燭だ」
「珍しいものを」
独特の匂いはグリセリンであろうと思われる。キャンドルの語源ともなった獣脂蝋燭は、昨今あまり見かけない。揺らめく灯りも蜜蝋とは微妙に異なり、サガの表情を陰影深く照らし出す。
黒サガは口元を子供のようにへの字にしてから、ぼそりと吐き出した。
「それは山羊の獣脂で作ってある」
「…そ、そうなのですか」
彼も実は山羊尽くしに参加したかったのかとシュラは目を瞬かせる。
「お前は、アレとアイオリアが祝っただけで充分のようだがな」
「いえ」
今度は思うより早く言葉が飛び出した。それだけでなくサガの法衣の袖を掴んだ己にシュラは驚く。はっと気づいて慌てて手を離したものの、持て余したその手のひらをどうすればいいのか。
黒サガは何も言わず、宙を彷徨うその手を取った。
暫しの無言のあと、黒サガが口を開く。
「早く体調を万全にしろ。明日は私の供をさせるつもりなのだから」
明日はシュラの誕生日だった。
シュラは黒サガの手をぎゅっと強く握り返した。
(−2009/1/11−)
◆幸福な朝…(シュラv黒サガ)
12日の朝、黒サガは予告していた通りシュラを迎えに来た。
どうせ下界へ降りるのだから、逆方向の麿羯宮まで足を運ばず、双児宮から呼びつければいいのにとシュラは思ったが、そう思いつつも顔が綻んでしまう。自分のもとへサガが通って来てくれるという事だけで、何となく贅沢な事のような気がするのだ。
もっとも黒サガは無駄に押しかけたわけではなく、手には籠を持っていた。
途中にある巨蟹宮でデスマスクに渡されたという。中を覗くと朝食用のパンとサラダ、ヨーグルトの入った容器が二人分入っている。
「お前の分もあると言っていた。ここで一緒に食わせてもらっても良いか」
シュラにはそれがデスマスクによる計らいだと直ぐに判り、内心で感謝しつつも顔を赤くした。
確かにサガとの時間を自分は好むが、こうして改めて友人たちにお膳立てをされると、何かとても気恥ずかしく照れるものだ。
「ど、どうぞ…では飲み物を用意してきます」
サガが籠からデスマスク手製の朝食を取り出している間、シュラはそそくさと台所へと向かった。
サガは日頃からよく麿羯宮を訪れる。泊り込むこともあるので、朝食を共にいただく事も最近では増えたのだが、そういう普通の友人らしい付き合いには未だ慣れない。
サガが偽教皇を辞めた今でも、シュラにとっては先輩であり上位者であるという力関係は変わらない。
近しくなった分だけ、逆に自分の態度がぎこちなくなっていることをシュラは自覚していた。
早朝に世話周りの従者が置いていったオレンジを絞り、ジュースを作る。
黒い髪のサガは妙に舌が肥えていて、出来合いのものよりは、作りたてのものを好むのだ。もっとも、旧態依然とした聖域の生活システムでは自給自足の手作りが当たり前なので、それは特に贅沢な嗜好というわけではなかった。
出来上がった果汁をグラスに移し変え、それを持ってサガの元へ戻ると、既に朝食一式がきれいに並べ終えられている。
シュラが席に着くのを待ち、サガが口を開いた。
「今日の予定だが…買出しだ」
「何のですか」
「デスマスクに頼まれているのはケーキで、アフロディーテに頼まれているのは花だ。どちらもモノにこだわりがあるらしく、店の指定付ときている」
「…」
「街中にある店ゆえ、騒ぎを起こさぬよう直接テレポートはするなとの指示だ」
「……」
「買ったらお前に渡せという。だからお前も一緒に来い」
「…………」
ケーキならば、デスマスクが作ればプロ顔負けのものが出来上がる。
花であれば、アフロディーテの薔薇以上のものはそう見つかるまい。
つまりこれも明らかにお膳立てだ。
シュラが黒サガと一日を過ごすための。
「あっ…あいつら…」
先ほど以上に真っ赤になったシュラの顔を、黒サガが不思議そうな面持ちで眺めている。
「どうした、まだ具合が優れぬのか」
「い、いえ、何でもありません!」
あたふたしているシュラを目の前にして、サガの方はマイペースだ。
だが、サガをよく知るものが見れば、彼のほうもまた機嫌よく浮かれているのが一目瞭然だった。黒サガにしては珍しい事だった。
「折角聖域の外へ出るのだ。ついでに映画なども見たい。お前はどこか行きたいところなどはあるか」
相手の意思の確認をするという行為も、黒サガ的には最大限のサービスである。
「えっ、ええと、デートに行きたいです」
サガの問いに、テンパっているシュラがトンチンカンな答えを返しても、黒サガはただ笑って
「残念ながら女は用意できん。私で我慢しろ」
と答えた。
動揺したシュラが、その後余計深い墓穴を掘ったのは言うまでも無い。
平和で幸福な一日が始まろうとしていた。
(−2009/1/15〜16−)