ハーデスとアテナによる聖戦後、神々の思惑が交錯するなかで各界の闘士が次々と蘇生されていたが、双子座の黄金聖闘士もその例にもれなかった。
新たなる生を受けたサガは前非を悔い、時折人格を変異させながらも弟のカノンと共に双児宮で慎ましく聖闘士としての任に就いている。
もっとも、カノンの方は海将軍との兼用なので聖域に常駐しているわけではない。
いま珍しく二人が揃って双児宮にて朝食の席についているのは、今日が二人の誕生日であるためだ。
互いに任務の都合をやりくりして、この日の為に休暇を合わせた。
二人にとっては久しぶりの穏やかな朝だった。
「サガは今日も紅茶に砂糖なしか?」
「ああ、ミルクだけ入れて欲しい」
どこにでもある日常風景。
過去の兄弟仲の微妙さを思えば、現在の関係は奇跡のようなものであるとも言えるが、昔と比べると二人も大人になっている。コミニュケーション代わりの喧嘩をたまにするくらいで、傍目にはむしろ仲が良すぎるくらいの同居生活を送っていた。
食卓に甘いミルクティーの香りを漂わせ、二人がささやかな朝食をいただこうとしたその時、双児宮の入り口に来客の気配がして双子は顔を見合わせた。
「このような早朝に…?」
「下宮への通り抜けじゃないみたいだぜ。何だろうな」
誰だろうとは言わない。その小宇宙には覚えがある。
覚えがあるどころか、それは唯一双子が頭の上がらない女神のものだ。
彼女だけは守護宮の聖闘士に許可を取らずとも、自由に十二宮を行き来することが出来る。
慌ててサガが立ち上がって出迎えの礼を取りに行こうとしたが、アテナはすでに居住区の方へ入り込んできていてそれを制し、双子を見てニッコリと笑顔を見せた。
「おはよう、そして二人とも誕生日おめでとう」
どうやら女神はジェミニの誕生日の祝いを述べに来てくれたらしい。
「お、おはようございます」
「勿体無いお言葉です。罪深い我らの誕生日まで心にお留め置き頂けていたとは…」
表立って誕生日を祝われたことの無いカノンはどう反応して良いのか珍しく動揺しているし、サガは何やらひどく感銘を受けて目を潤ませている。
女神はそんな二人を交互に見て、さらに花がほころぶような微笑みを見せた。
「今日は二人にお祝いをしようと思って参りました。何が良いか色々考えましたよ」
「そのようなこと…そのお言葉だけで過分なことでありますのに」
サガはそこまで言って主を立たせたままであることに気づき、慌てて女神に椅子を勧めた。その間にカノンが客用のティーカップを取ってくる。
女神は慣れた動作で優雅に腰を下ろすと、二人を見上げた。
「貴方たちは、過去にこの地上の覇権を望んでおりましたね」
その言葉に苦い思い出が胸へと去来し、双子の顔色が沈む。
「…己の分を知らぬ愚かな所業まことに申し訳なく」
「若気の至りというか、まあその」
「ああ、責めているのではありません。当事は私の力が未熟だったのですもの、そう思わせてしまった私の咎でもあります。いま話したいのはそういった事ではなく」
少女の姿をした地上の君主は、少し間をおいて言葉を続けた。
「誕生日祝いに、今日だけその願いを叶えてさしあげようと思います」
…カシャーン。
一拍おいた後、カノンの手から落ちたティーカップの割れる音が響いた。
「アテナ、申し訳ありません。よく聞こえなかったんですが」
「あらカノン、耳が遠くなるにはまだ若いでしょう」
平然と返すアテナへ、カノンはそれでも食い下がった。
「いやいや、意味も良く判らなかったのですが」
「今日だけ私の役目を代行させてあげます。一日駅長のようなものです」
「もっと意味が判りませんアテナ」
「とはいえ私は実務的なことはしていませんから、実質一日教皇ですね」
「いま教皇をやってるアイオロスはどうなるんですか!」
「大丈夫、ちゃんと話を通してあります」
頭を抱えたカノンの隣で、それまで呆然としていたサガが女神に向かって口を開いた。
「何を考えているのだ貴様は!!!」
いつのまにかサガの髪はすっかり艶やかな漆黒へと変化していた。
「という訳でサガにカノン。今日は教皇業務も宜しく頼むよ」
教皇の間でにこやかに告げたアイオロスを、紅の邪眼を持つ黒髪のサガが射殺しそうな目で睨んだ。
カノンは遠い目で確認する。
「お前はそれでいいのか」
「いやあ、助かったよ。ココのところ書類が溜まってしまってね」
指差す方を見ると、教皇机の上へ山となった書類が崩れそうに積まれている。
カノンは別の意味で眩暈を起こしそうになった。
黒サガは遠慮がないので直球でアイオロスへと咆哮している。
「どうやったらあれほど仕事を溜められるのだ!」
「そう言うけど、聖戦の事後処理とか結構面倒なんだよ」
「あれでは下の管轄の業務が滞る!決裁印をよこせ」
黒サガはサガなだけあって、書類の流れが止まっていることが性格的に許せないようだった。新米教皇から必要な印鑑を奪い取ると、それこそ神業といえるスピードで書類に目を通し次々に判断を下していく。聖域の方向性に関わる重要な案件だけアイオロスの方へ書類を投げ『目を通して処理しろ』と命じてくる。
アイオロスは慌ててそれに従い、黒サガにやり方を聞きながら自分も業務に入った。
カノンは二人の処理した書類をチェックし、該当の神官や事務官を呼んでそれらを渡すと具体的な指示を与えた。黒サガによる端的すぎる決定事項の一文には説明を添える事も忘れない。采配は海界での筆頭将軍として慣れている。
双子が作業に取り掛かった後は、あれだけあった書類の山が見る間に減っていった。
アイオロスが感嘆の声をあげる。
「いやあアテナのおっしゃるとおり、二人に任せると早くて助かるな」
言った途端に二人から半眼で睨まれたが。
カノンがぼそりと零した。
「ひょっとしてコレは、誕生祝という名で業務の後始末をさせられているのか?」
黒サガも苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちをしている。
「ひょっとしなくともそうだろう。あの小娘…」
文句を言いながらも仕事の手を止めないのは、何だかんだ言ってその女神を認めているからだった。
そしてまた二人は気づいていた。おそらく女神は双子をアイオロスの前で仕事させることにより、カノンからは戦闘以外においての采配を学ばせ、サガには遠まわしな形で偽教皇時代の引継ぎをさせたいのだと。
公の形で双子に指導させてしまうと、新教皇が頼りないという印象を与えかねない。また、半分は海サイドであるカノンや元反逆者であるサガに、教皇が鞭撻を受けるというのも形式としては頂けない。かといって引退しているシオンを前面に出すのは、院政かと裏読みする者が出る。
一日だけの女神の気まぐれによるイベント…そういう事にするのが一番いい。
多分、そのことはアイオロスも判っているのだろう。だからこのような茶番に乗っているに違いないのだ。
それならばたった一日しかない時間を無駄には出来ない。
双子は書類を捌きながら、新米教皇に遠慮なく業務の要を叩き込んだ。
そのころアテナは双魚宮にいた。
その場にはアテナだけでなく、黄金聖闘士たちや双子になじみのある青銅聖闘士たちが集まっている。アフロディーテは瞬たちと共に宮の飾り付けを行い、デスマスクやカミュなどの料理が出来る面子は女神の用意した簡易調理場を占領していた。
着々と準備されていく誕生祝いの会場の様子を見て、シュラが心配そうに女神に尋ねる。
「サプライズは良いとして、こんな大々的に準備などして気づかれませんか」
だが、アテナはにっこりと返した。
「大丈夫よ。教皇宮から1日出られないくらい仕事をふってありますから」
その仕事が終わって双子とアイオロスが教皇宮を降りてきたら、この双魚宮で出迎えるという計画だった。
横からムウが半分呆れたように口を挟んだ。
「過去の行為への嫌がらせも出来て、溜まった業務の処理も出来て、アイオロスを鍛える事も出来て…誕生日祝いの準備も出来るというわけですか。アテナ、貴女は戦女神よりも智恵の女神の方が向いているのではありませんか?」
アテナはムウに悪戯っぽい目を向ける。
「あら、智恵だけでも力だけでも地上を守れないのですよ。人の持つ愛の力が無くてはね」
そうして城戸沙織でもある少女神は、自らの焼いた不恰好なケーキに生クリームの飾り付けをすると、湯煎したチョコレートで『HAPPY BIRTHDAY SAGA & KANON』と書き込んだのだった。